第16回
分かった上で、あえてした行為を責めたところで一切無駄と、ダーンが結論づけるのは早かった。
思っていたとおり、この者との会話はやはり気がふさぐ。
ひとそれぞれ、千差万別の考えがあるのは承知しているが、この者と自分では価値観が違いすぎるのだ。
これ以上口をきいたところで自分が不愉快になるだけだということは分かっていたが、確かめておかなくてはいけないことがまだいくつか彼にはあった。
「しょせんは憶測だ。予測が外れ、きさまの出した提案を父が実行していたならどうした。
あの魅魎をけしかけるつもりだったのか」
探る口上とともに、かちりと、今度こそ剣帯の金具が威嚇音をたててダーンの手がかかったことを告げる。
だが返答如何によっては抜刀も辞さない、という表れにしては鋭さがない。
あくまで威嚇。そのことを見抜いてか、まるでかまったふうでなく、むしろその問い自体に閉口するように仮面の者は大きく空を薙いだ。
「はっ、笑わせるな。あんな姑息で愚劣な小悪党ごときに一体何ほどのものができる!
第一、おまえは本当に気付いていなかったのか? あの男が女を見るときの、あの舐めつけるような視線、好色気な表情。指先ひとつまで、全てが語っていたじゃないか、ああいう行動に走ると!
息子であるおまえが、ほんのわずかも感じなかったとでも言うのか?」
肉親を前にしながら遠慮もなく断定し、は、は、は、と喉につまる笑いを長い間漏らした。つけた仮面の内で反響し、こもった声はまるで風邪でもひきこんだ老人の出すそれのようにひび割れている。
けして耳障りがいいとはいえないそれにもダーンはなんら反応をしめさず、さえぎりもせずに黙したまま、たえていた。
「お笑いだ」
高ぶりが静まり、笑みを消したあと。急にきまりが悪くなったのか、闇にまぎれるようにふいと顔をそらしてつぶやく。
「何かと目端につく、平常を保てない、わずらわしい、目障りだ、消えてしまえ。
その憎悪の裏が何か、まるで気付かないとはね。尻の青いガキでもあるまいし。あげく、あれだ。想像通りとはいえ、もはや先は読めたな。
やつは正真正銘、けだものさ。どれだけ良質の衣服をまとい、きらびやかに表をつくろっては人間をまねて二足歩行をしようとも、あの汚らしい畜生の本性がごまかせるものか。
出生や育ちなど関係ない、どう在るか、それこそがその者の値打ちとなるということにも気付かぬ大マヌケが!!」
「それを知るおまえがなぜこんなことに手を染める」
激しい罵倒とは対照的に、冷めた声で問いの矢は放たれる。
「不思議かい? 私はそうでもないがね。私の性は闇の側にあった、それだけのことさ。
実際この闇は心地良いよ。肌が闇と反応し、活性化することで感覚という感覚が極限まで研ぎ澄まされる。
あいにくとおまえたちはお気に召さないようだが」
さあ見ろとばかりに首を巡らせた。魅魎の負の気が満ち満ちた、真暗い闇へ。
人間への害意が満ちている、とでも言うのか……密度の高い闇がうっとうしくまつわりついてくるようにダーンには感じられた。
袖や襟元からもぐりこみ、こちらが少しでも隙を見せれば内部へにじみ入ろうとしているようで、片時も気が安まらない。
常人であるなら1日もかけずに足腰も立てないほど疲弊してしまうだろう。
こんなものの中に長く身を任せておいて精神や身体に変調をきたすでもなくああして瓢々としていられることからして、その言葉にきっと偽りはない。
「そう、それから見てみれば、あれも己の性に正直になっただけかもな。その低劣さはかなり見苦しいが。
息子の恋人と知りながら、己の欲の前にあってはそんなこと、気にもかけないのがいい証拠だ」
この発言が相手にどれほどの影響を持つか。
好奇にちらと背中越しにダーンを見た、白銀の面との隙間から、まるで血をぬりつけたかのように赤い朱唇が覗く。
「おまえはそれほどにも気にかけられちゃいない。もちろんおまえ自身、そんなことようくご存知だ。
なのに、おまえは庇うんだね。ただ一人の肉親、父親だからと、それを理由に。それが何をしても許される大義名分であると言いたげに。
ほんと、親子だよ、あんたらは。その髪も、顔も、肌も。見た目はどこも似てないが、胸の内は似たりよったりさ。何が一番肝要か、ちっとも分かっちゃいない。
どうして慰めてやらなかった? 7年ぶりの顔あわせだろう? 愛しい娘じゃないか。抱きしめて慰め、あのけだものの仕打ちの非難に同意してやれば……そうだな、その場しのぎのうそでもいいから「逃がしてやる」とでも言ってやれば、あの女は今ほどみじめにならずにすんだかもしれないぞ。
今、あれがどうしているか分かるか? 下級退魔剣士のおまえに感じられるわけはないだろうが、私は手にとるようによく分かる。
あれは、おまえにきらわれたと泣き伏せっている。愛想をつかされてしまったとね。
潔癖そうな女のことだ。あの様子では、明日の朝には浴槽で冷たくなっているかもな」
「気にしているのか。止める気もなかった者が。
おまえのような者でも、まだ少しはとがめる心があるというわけだ」
「おまえたちけだものとは違うということさ」
そう来ると待ちかまえていたのか、間髪を入れず返された厭味にも一向に動じた姿を見せず、ダーンは雑に前髪を梳きあげて答える。
「無用な心配だ。侍女を配するよう言いつけている」
相手が何かと自分を感情的にしようと挑発していることに気付いているのかいないのか。
自分には分からないことを武器にして惑わし、優位になろうとしても無駄だとすげなく告げる。
その返答に、仮面の者は大袈裟なほど手を広げて彼へと歩み寄った。
「『侍女を配するよう言いつけている』?」
まるで、面白い冗談でも耳にしたようだった。吹き出しそうになるのを必死にこらえているのだと言わんばかりに茶化して復唱したその声はうわずり、震えている。
「これはこれはまた冷たい言いようだ。とても久方ぶりに会った恋人にかける言葉とは思えないが……おまえは行ってやらないのか?
簡単だ、今きた道を戻ればすむ。愛しい女だろう?
そういえばこの半月、時間は山ほどあったというのにまだ一度も顔をあわせていなかったな。
遠く離れている間に心も離れたか。王都にあるもの全てがきらびやかな光を放って、田舎者のおまえの目など、さぞまぶしくくらんだことだろうしな。
温室育ちで手入れのいきとどいた大輪を映した目には、ああいった可憐な野の花など色褪せて見えるというわけだ」
気が変わったのか、頬に触れる寸前でとまった白手袋をつけた指先は、遊びのようにゆらゆらと宙をたゆたって引き戻される。
「無意味だ」
それは先の質疑に対してか、それとも不誠実であるとの嘲りへか。どちらともとれる言葉を、それ以上の追及も許さない声で吐き出すや、ダーンは仮面の者の身で唯一露出した目を真正面より見据えた。
殺意、と表せる緊迫した視線が、初めて2人の間に通じる。
事実、ダーンには殺せた。
あと半年もすれば卒院し、なんの不都合もなく貴族との養子縁組契約も切れるというのに強引に籍を抜き、半ば強制的にこの町へ呼び戻されて以来、この得体の知れない術師や館内にはびこる連中への警戒から、館内では常に長剣を帯刀している。
間合いは十分すぎた。行為に気付いた仮面の者が退こうとしてもその身に致命傷を負わせるのはたやすい。
奥の部屋に控えているに違いない、魅魎を呼んだとしても、その助け手が届く前にこの細い体は一刀のもとに両断されているだろう。そうしたならダーンの身もただではすまないかもしれないが、仮面の者が死んだとあれば、忠誠心など皆無な魅魎はその瞬間解放されたことに気付き、消える公算が大きい。
しかしこの頭の切れる怜悧な者が、それと気付いていないはずはなく。
ダーンが己の存在をうとんじていることを知り、即座に排除する力を持つことを知りながら、距離を保って退こうとしないのはなぜか。




