第12回
「ほら、ここがいい」
夜。危険を承知で会いにきていたダーンは、あるとき彼女の手を引いて庭の壁近くの木へと誘導した。
「枝葉の重なりで館や本道からは上手に隠れている。ここならまずだれにも見つからない」
「それよりダーン、腕の具合はどう?」
触れて、彼が痛がりはしないかと気遣わしげな目で傷ついた二の腕を見る彼女に、ダーンは大丈夫だとその手を動かして見せた。
前の晩、彼女に会いにきたときうっかり家人に見つかって犬をけしかけられてしまい、逃げる際に負った傷である。
まだ昨日の今日で、到底癒えるはずもない傷なのに、自分のせいだと思い沈む彼女の悩みを払うため、なんてことないとほほ笑むのはダーンにとって苦痛でも我慢でもなく、至極当然のことのようだった。
大人たちの争いなど、自分たち子どもには一切関係のないことなのに、それが常識として通用しないのが大人の世界の理屈なんだと、何度愚痴ったことか。
彼を不容易に傷つけたのが自分の親しい者だと思うと、申し訳なくて目許が熱くなった。
『あいつらは町の汚点だ。だいたい生まれからしてはっきりしない、見るからにいやしい、それこそ生きてたって百害にしかならないならず者のくせに、町をわがもの顔でうろつきやがって。
あいつらのせいでこの町の治安は悪くなる一方だ。あいつらが考えなしに公共物を破損してまわるおかげで町の運営費まで大幅に割かれて……いくら王都から割りあてられる年間運営費用の不足分は町民が補填するのが国の決まりといえ、よそへ回す金を切りつめながらこんなにも赤字を出すのはこの町くらいのものだ。
しかもそのほとんどをうちのご主人が私財から出しているんだぞ? 自分たちの管理能力不足だと、俺たちに頭まで下げられて……。ほかの町長たちは、税率を上げて徴収するっていうのに。
感謝こそすれ、どうしてそんな御方を踏みにじったりできる!?
あの館にいる者は全員、人間のクズだ!』
生きる価値もないと、みんなこぞって悪態をつく。彼らが奉公している町長夫婦はそろってお人良しで、そういう言葉を耳にするのを何より好まないので、隠れてこそこそと。
日ごろ抑圧されたうっぷんを晴らすように、集まると必ず一度はこの話題になり、殺気立たせて罵る。
そんな彼らの姿を見かけるたび、違うと言いたい気持ちを押し殺し、息苦しい思いを我慢して通りすぎた。
幼い彼女の弁など、はたしてだれが本気でとりあってくれるだろう。そのくせなぜそんなに彼を庇うのか不審がられ、ダーンとのことを執拗に追及され、聞き出されたあげく、二度と会わないよう約束させられるに決まっている。
警備も今以上に増えて、もう1人では外へ出してくれなくなるに違いない。
きっとそうなると、シェスタには想像できていた。
あの温厚な父や母でさえ、いい顔をしない者達。どうしてダーンだけは違うと信じてもらえるだろうか。
もうすっかり思いこみ、頭から決めつけてしまっている彼らをどうすれば説得できるかなど、シェスタには見当もつかない。けれど、そのせいでダーンが傷ついてしまったと思うと、無理にでも彼らを納得させねばならなかったのではと悔やまれた。
でも泣いたり、おおって隠そうとしたりすれば敏感な彼のこと、すぐさまこの負い目を読んでしまいそうでそれもできない。
鼻の奥がつんとしたけれど、我慢した。
「ほら、触れて。分かる? 穴があるだろう? ここは裏の細い路地に面した場で人通りも少ないし、草で隠れてるからたぶんおいそれとは見つからない。もし会えなくても、ここに手紙を入れておくから」
「私も……私もそうするわ、ダーン。きっとそうする。でも会えないのはいやだわ」
わがままが、止める間もなく口をすべって出た。
まっすぐ自分を覗きこんでくる、その愛らしいねだりにダーンも苦笑をして、そっと彼女を引き寄せる。
「うん、僕もだ。きみに会いたい。できることならずっと、こうしていたい。だから努力するけど、どうしようもないときはしかたないよ」
「そうね……」
同意のように彼の胸に頬をすり寄せた。
部屋にいないのが知れると大変だから、もう戻った方がいい。そう言ってダーンは立ち上がり、柵をよじ登ってやすやすと越えた。
柵の隙間から手を伸ばし、ダーンのやわらかな前髪に触れた。額、眉間、鼻筋となぞるように伝って降りた指先を捕え、愛しげに、幾度となく口付けて、走り去って行く。
もう少し、もう少しだけ一緒にいて。ほんの少しの間でいいから……!
ダーンの唇に触れ、燃え盛る熱をおびた胸で狂おしいほどこがれ、追いすがりたい手を必死に地へ押しつける。息を止めることで、呼び止めかけた声をようやく殺した。
これはわがまま。昨日の今日でこの館を訪れただけでも十分危険なのに。
引き止めて長居させたりすれば、ますます彼の身を危うくするだけだと分かっていても、それでも、想いは長く消せず、もしや戻ってきてくれるのではとその場を動けなかった。
以来、密会をくり返す。
賊が暗闇にまぎれて忍びこみはしないかと、不審者に用心深い館の者は犬を連れて数時間おきに見回りをするので、せっかくダーンが忍んで来てくれても、そうそうゆっくりはできなかった。
それに、シェスタだけでなくダーンのほうにも都合があって、来られないときもある。
それでも会える日は、たとえ雨の日であろうとダーンはやってきてくれた。
『だれもこのことを知らないなんて、おかしいね』
3年ほど過ぎたろうか。さまざまなことが起きて、中には本当に危ないときもあったけれど、運よくだれにも気付かれずに周囲をだまし続けてこられたある日、シェスタはそんなことを書いた手紙をもらった。
『だからって知られても困るんだけどね』
もうすっかり慣れた、余裕すら感じられる文面。
月日を重ねるにつれ、薄まるどころかますます険悪になっていくだけの2人の家の事情を思えば、まず不可能と思えたこの逢瀬も、ダーンが何事にも慎重な性格で、忍耐強く、頭のきれる、とても頼れる性格の持ち主だったので、できたことだった。
だから大丈夫と、シェスタは安心していた。きっといつまでもこの秘密の秘め事は続いて、そしていつか2人が大人になったとき、必ず自分たちは幸せになれるのだと。
彼女は、信じきっていた。
これが、最後のやりとりとなることも知らず……。
10日ほど、ダーンが姿を現さない日が続いた。いくら穴に手を入れても土くれ以外何も指先に触れるものはなく、もしや重いけがか病気を患ったのではないかとの懸念が浮かんだが、それを晴らそうにもだれに尋ねることもできない。
もしかして彼のことを話題にしたりはしないかと、町ですれ違う少年たちの会話に耳をそばだてたりもした。毎日毎日彼のことしか考えられなくて、不安で――たまらなく不安で、いやな想像ばかりふくらんで、頭から離れてくれなくて。一刻も早く彼の無事な姿が見たいと気も狂いかけたころになって、ダーンはようやく現れた。
「どうしたの? 何か、あった?」
せっかく会えたのに、ずっと黙したままで触れてくれようともしない。よくよく見れば、顔色も優れないようだ。現れて以来、気難し気な顔をして、眉がきつく寄っている。
彼にまつわりついた苦悩という影に言いしれない不安を感じ、おそるおそる尋ねたシェスタに、ダーンは別離の言葉を口にした。
「おわかれだ、シェスタ」




