第11回
●幼き日の秘密
彼と出会ったのは、国王の視察団を歓迎して設けた宴席の会場だった。
町長である両親の後ろにくっつくようにして出たあれは、まだ8つになるかならないかのころのこと。ダーンは3つ上なので、11。
ああいった宴の席で本当に楽しめるのは、意味の分かる大人と、大人ぶりたい年ごろの若者だけだろう。
今までクレオたちとともに館へ残され「シェスタがもう少し大きくなったら一緒に行きましょうね」と言われ続けていた場に、初めて連れてきてもらえて嬉しかったのは最初のうちだけだった。『わくわく』も『どきどき』も、ものめずらしさが消えればたちまち退屈に早変わりしてしまう。
「きっとシェスタには面白くない所よ。母さまもあまり好きじゃないもの」
連れて行ってと何度もせがみ、駄々をこねた自分に、母は困った顔をしてよくそう言っていたが、あの言葉は本当にそのとおりだったと思い知った。かといって、早く帰ろうとせがむのも、笑顔で話している両親を見ると気がひける。
とにかく『子どもには理解できない、難しい話』をする大人たちの足元を、訳もなくうろうろしながら、ときたま両親に呼ばれて見知らぬ人とあいさつをかわしたりしていた。
「まああ、なんてきれいな子なんでしょう。こんなにきれいな顔立ちの子は初めて見たわ。髪と瞳はお父さま似ね。
お人形さんみたい。きっともう少しすれば、とびきりの美人さんになるわね。それこそ数えきれないくらいたくさんの男の子に「ぜひ私の妻に」って求婚されて、困っちゃうわよ。間違いないわ。
ほんと、私のセランのお嫁さんにもらっていきたいくらい。あなたが、もう少し遅く生まれていたらねえ」
屈託のない笑顔で、王妃と呼ばれた女性がまるで未来を覗き見てきたような誉め句をくれた。
まだ『きれい』という言葉がどういう意味なのかもよく知らないころの出来事。
それは、会うほとんどの人が自分を見たときに使った言葉だったけれど、彼女が用いた響きはほかの者たちが口にするときのものとは微妙に違っていた。
称賛しても、だれもあんなふうに手放しでは嬉しがってくれなかった。だからこんなにも記憶に残ったのかもしれない。
国中のだれよりも恵まれた女性と称される彼女は、あのときも知らなかったのだろう。『飛び抜けてきれい』であることが、人にとって時にどれほど重荷になるかを。
きっと、今も知らないまま、王都にある王宮で何不自由ない生活を送っているに違いない。
「ありがとうございます、王妃さま。ですが、あまり幸運であるとも思えませんわ。だって、セランさまよりお姉さんに生まれてしまったんですもの。
もう少し遅く生まれていましたら、きっと私は王妃さまのくださったお言葉に恥じない子でいられたと思いますわ。とても残念」
この返答に、王妃は「利発な子」と顔をほころばせて、頬へのキスと、めずらしい虹色のアメ菓子が入った小袋を手に握らせてくれた。
もらったアメ菓子を1つ口に放り込む。カリコリ外側の固い殻のようなアメの部分を噛み砕くと、ふわりと甘い中の詰物が舌に流れ出てくる。2つめを放りこんだら、冷たい空気が頬に触れた。
そちらを見ると、テラスへ通じる扉窓が半分開いた状態になっている。そこから差し込んだ月光が一際美しくて、目を奪われた。
この館は今回の国王訪問により特別に建てられた館で、柱や壁に限らず窓ガラスにも細かな彫り物が豪華にほどこされている。
その模様を透過する際に分散される淡い光と違い、強く冷やかなそれに触れたくて近付いた。手のひらに光をあてて、じっと見つめる。
そのうちもっともっと浴びたくなって、扉窓の隙間からテラスに出ることにした。
叱られるかもしれないと、くぐる一瞬迷ったけれど、べつに遠くに行くわけではないし、呼ぶ声がしたなら気付かれる前に戻ればいいと思い直す。
思ったとおり、外は清しい空気に満ちていた。肌を刺すような夜風も気持ちいいし、ほんのわずかも欠けていない丸い月はとても美しくて、うっとりする。
首を伸ばして見上げながら風になぶられた髪を流きまとめていたら、視界の隅で何かが揺れた気がした。
「やあ」
少年の、澄み渡る声が聞こえたのは、その瞬間のこと。
樹の葉影の中に、まるで闇をまとったような漆黒の髪と、そして真夏の空のように青い瞳をした少年がいた。
それが、出会い。
自分よりもずっと背の高い少年の瞳の輝きに見とれて、シェスタは返事を返せなかった。
「きみも飽きたの?」
少年は照れ笑って、ためらいも見せず一歩距離を詰めてくる。
同じ月光の下に現れた礼服姿の彼は、葉影にいたときよりもずっと凜々しく、金の光を放っているようにすら見えた。
シェスタは答えない。ただ、一目で自分を魅了し、釘付けにした少年を茫然と見続ける。
少年のした、困ったような表情に、一度首を振りかけたものの、曖昧なままで止めてしまった。
ふと彼の表情が驚きに変わり、視線が下に落ちる。つられて下を見て、はじめて握りこんでいた小袋の口が半分解けて、中のアメがこぼれていることに気がついた。
「ああ、先から甘いにおいがすると思っていたら、きみか」
ひょいとしゃがみこんだ少年が、足元に転がっていた1つを拾い上げる。
「ほら、今のきみと同じにおいがする」
笑って、そっと覗き上げられたその瞳と瞳を合わせたとき。
時間の流れそのものが止まったように言葉は失われ、ほんのわずかな間も、互いから目が放せなかった。
事実止まってしまったと、シェスタは疑わなかった。あの瞬間、神は自分と彼だけを世俗から切り離し、透明の薄布1枚で隔てた別空間へ隔離してしまったように思えてならない。
あの瞬間から自分は、身も心も彼だけに固定されてしまったのだから。
『音』としての言葉はなく。
はたしてどれだけの思いを授受しあっただろう。数千か、数万か。それともただ1つか――。
突如、わあっと沸き上がった宴席での歓声と拍手に揺さぶられ、はっと自分をとり戻した少年が、膝の土をはたいて立ち上がる。
「どうやらやっと終盤に近付いたみたいだね。
見つかって、うるさいことにならないうちに戻ろうか」
行こうと差しのべられた手に、触れていいものか、ためらいがちにそっと手を重ねる。
「ああ、そういえば、まだ名前を聞いてなかったね。
僕はダーンっていうんだ。きみは?」
シェスタ。
だれひとり知る者のない、2人だけの秘め事。
親同士のいさかいやしがらみなど関係なく、互いを見出した。
互いの運命を、互いの手で、触れあわせたのだ。
まだ幼かったけれど、たしかに彼らは恋しあっていた……。




