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魔断の剣11 人妖の罠  作者: 46(shiro)
第4章 寂寞たる思惑

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第10回

 ――ダーン……。


 もはや声にならない名前がシェスタの脳裏にひらめく。砂漠に染みこむ雨のようにこの身になじんだ、ただ1人と決めたひとの名。


 もう二度と会えないと思った。必ず会おうと約束したけれど。その約束だけを支えに、家族や町の者たちを窮地に追いこむという自己嫌悪にもたえて、自決を思いとどまってきたけれど。こうなってしまってはもうあのひとと会うことなんてできない。何もなかったふりなんて、とてもできない。


 このまま辱められるくらいなら死を選ぶほうがずっとましだ、そう思って舌に歯をあてた。


 二度とダーンに会えないのなら。あのひとの目を見返せない身になるくらいなら、今死んでもかわりない。


(ごめんなさい。せいいっぱいがんばったけど、もうだめ……)


 胸に浮かんだダーンの姿は、とても遠くに思えた。その背に追いすがるように、歯に力を込める。

 そのとき。

 いち速くガザンが顎をつかみ、強引に口を開けさせた。


「汚される屈辱より死を選ぶか。我が身ひとつ守れぬ弱者の分際で、自尊心だけは一人前を気取るのだな。

 死にかけた者と楽しむ、それも一興。わしは一向にかまわぬぞ。上辺のみの拒絶を吐いては胸を押しつけてくる女にはもう飽いた。

 さあやってみい。舌を噛んでの窒息死では息絶えるまで間があろう。苦しみ喘ぐそのさま、ここで存分に堪能させてもらうわ。その上で四肢を裂き、箱詰めにしてあの男の元へ送り返してやろう。

 じわじわじわじわ時間をかけて……それともいっそ、館の前に打ち捨ててやろうか。氷詰めは面倒だ。わしが命ずればたとえ死体であろうと抱く男はいくらもおる。

 もっとも、その相手がおまえとあれば、命じずとも我れ先で群がるやもな。なにせ生きておれば到底鼻にもかけられぬ身と、あれらも重々知りぬいておる。


 一目で乱暴され、凌辱されたとわかるよう、裸で野ざらしにしてやるのも手か。さぞお面白おかしく吹聴する者も出るであろうな。娘がそんな恥さらしとなってはあの家族ももはやこの町にはおれまい。長の権利を手放し、去るか。

 そうか、そのほうがわしの手間がはぶけるかもなあ」



「ひとでなし!!」



 シェスタに自決を思いとどまらせるために思いつきをそのまま口にのせたとはいえ、人を人と思わない、あまりの暴言にシェスタはわれを忘れ、その頬を打っていた。


「このような卑劣な策を講じたことに、ほんのわずかでも良心の仮借があるのではと思ったりもしたけれど、それは見当違いな考えであったのね!

 今ようやく分かったわ! おまえは人でないのだわ、このけだもの! よくも、よくもそんな……!」


 引き戻す間もなく再びつかみとられた手首にこめられた力による痛みに顔を歪めながらも、シェスタは必死に罵る。

 射殺さんばかりの視線で自分を睨みつける彼女の頬骨をはさみこむようにして、ガザンは手のひらを押しつけた。


「そういうきさまらは、なにさまのつもりだ!?」


 頂点に達する寸前の憤怒にぶるぶる身を震わせ、うわずった声でガザンは低く呻く。

 見開かれた目は、他者と比べればやはり細く、小さかったが、丸いケシ粒のような銀灰色の瞳が異常な興奮にぎらぎらと邪悪な照りを発していた。


「貴族でなくば人にあらずか。きさまらのよく述べるロ上、決め文句よな。それで万事が万事、決着がつくように言い捨てる。

 わしらをけだものと呼び、けだものもやはり赤い血をしておるのかと問うては切り刻んで、気に入らぬと皆殺しにしたクロイアの領主の話を知っておるか?

 たわむれに村娘をさらい、犯しては殺して打ち捨て、満月のたび、若い衆に殺しあいをさせ、見物の宴席を開くザザナの伯爵は!

 虫けらのように殺される者を、わしはいくらも見てきたぞ! そうするきさまらはけだものでないと言うか!!」


 強い口調で問いながら、返答は聞きたくないと言わんばかりに手にこめた力を解かない。むしろますます強まった力にシェスタはぎゅっと目を閉じたまま、どうにかはずそうと懸命に首を振った。


 頬にくいこむ指に骨まで砕かれそうで、激痛に、意識が遠のく気がする。じっとり汗ばんだ手のひらの厚い肉から伝わる熱も気持ち悪かったが、これだけは手放すわけにはいかないと必死にしがみついた現実は、その選択は間違いであると罰するように、さらに過酷な犠牲を彼女に強いた。


 白鳩のように震える彼女の胸に、猛然と、ガザンが顔を埋めたのだ。


「ああ、だれが知る。たやすくもみ消され、この地に届くはずもない……金の力とはそういうものよ。

 弱者は強者の踏台となる。それがきさまらのいう人の道であるというなら、わしらのけだものと同義語ではないか。

 人でなくばどうした。けだもので結構。その程度の悪態など、とうに耳に慣れておるわ。いくらでも叫べ」


 残酷の一言に尽きる言葉を、ガザンは傲慢な笑いでもって告げた。


 渾身の力でもってしても払いのけることができない、強い力で屈服させられ、せめてと発する言葉ですら彼に傷を負わせることはできない――それがでまかせなどでなく、真実であることに完全な敗北をさとる。

 死を選ぶ自由すらない、あまりの己の無力さに、シェスタは暗黒の淵へ落とされた思いで涙を伝わらせた。


 この男ならやりかねなかった。死によって純潔を守ろうとした者への一片の慈悲もなく、(わら)って、宣言した言葉どおりに行動するだろう。

 自分にできるのは、生きて、それだけはさせないようにすること。


 死ぬことも、狂うこともできない。


 今はもう、この暴行に甘んじるしかないということに堪えかね、ふっと気を失いかけた寸前。

 何の前触れもなく、突然彼女は解放された。


 自分の上に小山のように丸くおおいかぶさり、胸の上を這いずり回っていた重い塊――ガザンの姿が視界から消えて、そのかわりのように凜々しい青年が傍らに立っている。


 いつの間に入ってきていたのか。開いた扉からの灯とおぼろな部屋の灯の明暗に上手に邪魔をされ、顔が見えない。

 短くかりこんだ漆黒の髪をしたその者をよく見ようと、思わず身を乗り出したなら、ガザンが寝台から転げ落ちて唸っていることに気付いて、急ぎ胸元に布をかき集めた。

 寝着も上着も、もう原型も分からないほどずたずたに裂けていたが、幸いショールのほうは無事だった。


「き……、きさまっ」


 引きはがされ、落ちた際に打ったのか、後頭部をさすりながらガザンが身を起こす。気色ばんで下から青年の面を覗き上げた直後、ガザンはすうっと表情を消した。


「酒の上での乱行も、ほどほどになされてはいかがですか、父上」


 何の感情も拾えない、静かな声で淡々と青年は告げる。


 父と呼んだ相手の、腕ずくで相手を手込めにしようとしていた凌辱行為を非難するわけでも、裏返った蛙を想起させる今の不様な姿を嘲る含みもない。


「きさま、わしが酔いに飲まれておるとでも言うのか!」


 はだけた胸元を直しながら、きまりの悪さをごまかすように声をあらげて立とうとする。しかし、途中で膝が崩れてまたもやぺたりと絨毯の上に尻をつけた。


「おのれえ……くそっ」

「彼女は客だ、手荒な真似は控えるようにと再三に渡り皆に言い聞かせたのはあなたでしょう。それを、言ったそばから本人が破っては示しがつきません」


 手を差し出して、ガザンの身を起こす手助けをする。


「う、うるさいっ! えらそうに、息子の分際で父親のわしに指図するつもりかっ! なにさまのつもりだ!

 おまえを王都にやり、何不自由なく存分に学ばせてやったのは一体だれだと思うておる! 

 だれのおかげか! 言うてみい!」


 一度はたたき払ったものの結局自力では起き上がれず、補助の腕にすがりつくという醜態をさらしながら、それでも面目を保とうとしているのか、ガザンはあくまで高圧的にまくし立てる。


「もちろん感謝してますよ。息子というだけでなく、その気持ちも含めて、こうして進言してさしあげているのです。

 この行為は、あなたにとってマイナスにしかなりません。ひと眠りされて、酒気が抜ければあなたにもそれと分かるでしょう」


 冷静にさとしながら、青年は扉口から中の様子をうかがっていた3人の侍女たちに合図を送った。


 部屋へ寝かせつけるように、と指示をして、彼女たちにガザンの身を預ける。

 口をもごもご動かして何かをひきりなしにつぶやいているガザンに、「しっかりしてくださいませ、旦那さま」と声をかけつつ部屋から連れ出す侍女たちをぼんやりと見送った。


 先の折、彼女たちはただ命令に従って引き下がったわけではなく、おそらく今のガザンを諌められるのは息子であるこの青年だけと考えて、呼んできてくれたのだろう。そう見当をつけながら、身を捻って青年に背を向ける。


 こんなみじめな自分など、見られたくなかった。

 どうしてそれを悟ってくれないのだろう。なぜ、立ち去ってくれないのか。


 呼吸も満足にできない強い動悸に胸が詰まった。徐々に扉が閉まり、まるで何事もなかったような静けさと薄闇が再び部屋を満たす。けれどもシェスタは、ガザンといたときよりはるかにたえがたい、数倍の緊張に(さいな)まれていて、さながら断崖絶壁へと追いつめられた思いで身を縮めていた。


 いたたまれない。

 こうしているだけで、ざくざく心が傷ついてゆく気がする。


「シェスタ」


 と青年は呼んだ。

 自分のした呼びかけにシェスタの肩が、この距離からも一目瞭然なほど大きくわなないたのを見て、ふいと視線をそらすと、床に落ちていた小さなナイフを拾い上げる。


「シェスタ。きみは、少々不注意すぎる。今度も……前のときもだ」


 彼女の受けた不当な屈辱への憐憫はおろか、同情というものが微塵も込められていない、愛想のない言葉に、こらえきれず涙がこぼれた。

 気付かれまいと抑えこんだ手の下で、唇が震える。


 みじめな……なぜ、こんな……。


「……あなたは、分かるわね……?」


 寝台から離れて扉へと近付く足音に、追いすがるように声をかけた。


「これは……こんなことは、到底(ゆる)されることではないわ」


 返事は返らない。もはやこれ以上かわすものは何もないと思ってか。

 ただ扉が開き、閉ざされる。

 とり残される。それだけの、短い再会。


 望んだのは、こんなことではない。



「ダーン……!」



 シェスタは悲鳴のように彼の名を呼び、わっと泣き伏せった。

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