第9回
屈辱にこぼれかけた涙をこらえるため伏せた瞼を、不思議そうな仕草でガザンの指がなでる。
「おまえもあれと同じよ。この指と同じでな。自尊心はあれど、もろく、弱い。どうせ堪えられるわけはない。
さあ机へ向かえ。書を書け。おまえの父に宛ててのな」
「書きません!」
ようやくガザンの目的を知って、シェスタは即座に言葉をさえぎった。
「見えすいた虚を張るでない。この指が落ちるのだぞ?
大の男でも痛みに我を忘れ、悲鳴を上げて不様に床を転げ回る。か細いおまえでは死んでしまうやも知れぬ。いや、もし生きておれたとて、指をなくしては未来は消えたも同じ。どのように美しくともそれは欠けずそろっておればの話。指のない女を相手にする酔狂はどこにもおらぬ」
「……やればいいのだわ。すべて切り落として……足の指だって、この目だって。その剣でえぐって父に送りなさい。
あなたの言うとおり、二度と元には戻らないでしょう。戻らないことに自分の責任を投げ出すほど、国王より町を預けられた父は愚かではありません。
そんなことをしても、あなたへの憎しみをつのらせるだけのこと。そしてあなたは自分の意にならぬこともあるのだと思い知って、地団駄を踏めばよいのだわ!」
あり得ないことを承知の上で、彼女は強く言葉をぶつけた。
父も母も優しい。あれほど感受性の強いまま大人になれるひどはいないのではないかと思うほど。
けれど優しさは、時として弱さにもなる。
2人とも、シェスタが傷ついたことを知れば、わが身に起きたこと以上に嘆き苦しみ、何もかも投げ出そうとしてしまうに違いない。
けれどあのひとは違う。法師としての職務に忠実なあの女性は、きっと2人を諌め、自分が口走ったものと同じことを語り、押しとどめてくれるに違いない。
きっと……必ず!
指を落とされてもいいと、シェスタは本気だった。それだけのあやまちを、自分は犯してしまっているのだからと。
その屈服を知らない目が、ガザンの狂気をさらに追いつめることになるとも気付かずに。
「生意気を言うな! 小娘が!」
「あっ……」
頬を平手され、起きかけていたシェスタは再び寝台に両肩をつけた。
「気を失うほどの痛みがどれほどのものか、蔑みの視線がどのようなものか、何ひとつ知らぬくせに……!」
あまりの怒りのためか、普段は厚い瞼の肉に埋もれて糸のように細い目を、このときばかりは目尻が切れそうなほど見開いて、肌を土気色に染めてがたがた震えている。
その、どれほど力をこめ続けても抑えることのできない震えとあせりが、彼を衝動的な行動へかり立てた。
「きさまなどっ!」
強引に抱き起こし、唇を奪う。
「!」
予想だにしていなかった凌辱行為に驚愕し、シェスタは今だ何が起きているか理解できなかった。
ぬめぬめとした、生温かいものが彼女の唇に割って入り、歯に触れる。しっかりと閉じたその先に進もうとしばらくあがいたものの、諦めた肉塊はかわりの居場所を求め、歯茎の上をのたうった。
弾かれるようにして正気に返る。
「やめ――いやっ!」
肩に両手を押しあてて突っぱねようとする。決しておびえを見せまいとしていたことも忘れて彼女は無我夢中で自分に触れようとするもの一切を拒絶し、もがき、抗った。
「いやよ!」
堪え切れないおぞましさに一瞬で肌が粟立つ。
ガザンに触れられた肩が、頬が、燃えるように熱い。彼女がどれほど拒否し、あがいても、火を放たれたようにその箇所はどんどん増えていった。
「おまえはわしのものだ」
残酷な響きで、その言葉は彼女のしびれた耳を打つ。
強い自信にあふれた傲慢な声。どう扱うのも自分の自由だと言わんばかりの無慈悲さに、シェスタは一瞬息をつめた。
「気が、違われたのですか……? あなたは、私の父より老いて……私は、あなたの息子ほどもいかぬ、小娘ですのよ……?」
ほんのわずかでいい、塵ほどでいいからこの男にも分別というものが残っていることを心底から懇願する思いで、必死にふさがったのどから言葉を押し出した。
震えていようとおびえを悟られようと、もはやかまわない。彼女にとって、沈黙が今は何よりも恐ろしい。
対し、ガザンはこれが答えだと言わんばかりに彼女の胸元へ這わせた手で、一息に上着を引き裂いた。
指が寝着にもかかっていたのか、びりびりと布の裂ける音がして肩が露出する。
怖かった。人でありながら、ためらいもなく獣になれるこの男が怖くて怖くて……顔をおおいたかった。
けれど、そんな事に唯一の抵抗手段である両手を用いることはできない。
ガザンが一体何を考えてこんな事をしているのかなど、混乱した彼女には全く思いもつかなかった。
それどころではない彼女は、懸命にもがき続けることでそれ以上の凌辱を防こうとする。ひたすらもがいた手に、天蓋からの垂れ布がからみつき、薄絹は悲鳴のような音をたてて裂けた。
「…………っ……!」
助けを請う叫びは、上げたところで無駄なのは分かり切っていた。防音の壁は、外の物音を遮断すると同時に内部の一切を漏らさないので。
「いや……っ、やめ――」
か細い、とても自分のものとは思えない震えた声が聞こえる。
先までの苛立ちそのままに抑えこもうとする力。あの、緊張という言葉からは一番縁遠く思えた見た目からは想像もできなかった、はるかに強い力で彼女から自由を奪い、服従することを強いてくる。
なんと荒々しく傲慢な力か。捕われの身となるまではただの一度たりと向けられたことのない、それだけに信じられないほど圧倒的な力が今、彼女を壊そうとしていた。
「い――」
唯一自由となる唇すら、拒絶を発する前にふさがれる。
こみ上げる嫌悪感……嘔吐感。
どうにかして引き離そうとする両腕もたやすくとられて後ろに回され、逃げる先を追うように強引に割り入ってくる、熱い、今の男そのもののような激しい陵辱行為に、彼女は目まいすら感じていた。
恐慌状態へ陥り、空白化し、じんと痺れた頭の奥でがんがんと鋭榔が猛打する。
「ぁ……っ……」
胸に浮かんだ幻を求めてつぶやいた名は、嗚咽に変わった。
(いや……こんなのはいや。いや)
おおいかぶさったガザンの肩の向こうに開けた闇が、涙でぼやける。
なぜ、こんな辱めを受けなくてはいけないのか。望んだのは、こんな結果ではないのに。
自分をはるかに上回る力で粉々にしてしまおうとする恐怖から心を遠ざけ、庇うように、ただひとつの名をくり返し口にして、何度も何度もしゃくり上げる。
そんな彼女の姿にも一向に気をそがれることなくガザンは布こしの感触を存分にあじわったあと、大きく寝着を引き裂いた。
太腿に冷たい空気を感じて、シェスタはぎゅっと目を閉じ顔をそむける。見なくとも、ガザンの自分を見る突き刺すような好奇の視線は肌で感じとることができる。
もはや抜け出すことはできない。この腕の中では、自分は、こんなにも無力なのだ。
思い知り、一切の抵抗を諦めてぐったりとした彼女の体は、さらに強い力で息もできないほど抱きしめられた。
ぴったり隙間なく触れた肌のぬくもりを服越しに感じあう。常軌を逸した野獣のように荒く、むせた息遣いを喉元で感じて、そのあまりのおぞましさにシェスタは一瞬気を遠ざけた。
ガザンはその柔順さに満足するように何度となく髪を撫でつける。
青銀の糸が、くすんだ灯火にきらめくのはなんと神秘的なことか。あの女はこれを持っていなかった。みごとな漆黒の髪を誇っていたが、あんなもの、この銀糸とでは格からすら違う。
この肌はどうだ。指先に吸いつくようなしっとりとしたきめ細かさは。きつい香水ばかりすりこんだ娼婦などおよびもつかぬ。
その感触を確かめるように、幾度も肩口に舌を這わせた。肌から甘い、温かな匂いがする。春の若芽ばかり食べさせた生まれたての雌鹿の匂いだ。健康的で、とてもかぐわしい。
顔を上げ、彼女の面を見た。涙が流れた頬も、強く目をつぶっているせいで寄ったしわも、噛みしめて歪んだ唇も、それでも美しかった。
若く、美しい。どんな女もこの美しさにはかなわない。
それが今こうして目の前にあり、自分の指図を待っているのだ。
生まれてこのかた一度も感じたことのないような快美の波に、爪の先までぞくぞくした。
いくらでも、好きなだけ、思うままにしていい。
そう思うたび、強い征服欲のうずきが起きて、その久方ぶりに覚醒した若々しい感覚に歓喜があがる。
彼女の頬に貼りついてある髪を一本一本つまんで丁寧にはがしてやると、ぴくりと瞼が動いた。そのおびえをあじわおうと、瞼へ唇を押しつける。瞼から目尻へ、こめかみ、頬と順々に這わせた舌はやがて唇に到達する。強く引き結ばれたそれに己のそれを重ねあわせ、ゆっくりと、その力を解きにかかった。
ここまでご読了いただきまして、ありがとうございます。
つらいシーンですが、未遂に終わります。
次回、彼女のヒーローが彼女を助けますので、ご安心ください。




