第7回
ガザンは棚の上にのっていた陶器の人形を、まるで子どもがはじめて目にしたおもちゃを扱うようにおもしろおかしく弄んでいる。
「さあおっしゃってください。無理矢理この部屋へ押しこめられ、ただ日をおくるしかない私にいまさらなんの御用があるというのです。もう数刻もすれば夜も明けようというのにそれも待ちきれずこのような無作法をなさるからにはさぞかし急を要することなのでしょう」
胸の震えとは裏腹の、厳然たる態度をいささかも崩さず、シェスタは言う。
もはや口もききたくない相手だが、不満であれ八つ当たりであれ、とにかくひととおり吐き出して気を晴らし、一刻も早く退室してほしかった。そうすれば、奥底へしまいこんだはずの感情が揺り起こされることもない。
シェスタからの言葉にガザンはへたな役者の役でも演じるように芝居がかって目を見開くと、わざとらしく手を広げ、驚愕の表情を作った。
「おおそのように声を荒らげて。春の花のように可憐で愛らしいそなたの唇から、よもやそのような声が出るとは、ただの一度も思わなんだわ。
か弱いそなたのこと、この激しい雷雨に眠ることもできず、さぞ雛鳥のようにその小さな胸を震わせ、片時も休まることなく心細い思いをしておられるに違いない、卑小の身なれどこのガザンめがそのお心をいかほどなりと解きほぐしてさしあげようと、善意によりしたことであったのに。
謝辞ももらえず、逆にそなたを苦しめることになろうとは、なんたる悲劇。
右手の窓にお目をくだされませ。わが心の痛む気持ちはまさしくあの荒れ狂う嵐のごとく、この小さな胸で一時も休まることなく吹き荒れておりますぞ」
朗々と説くその言葉が、先に自分の吐いたことと矛盾しているのは分かりきっているだろうに、ガザンは臆面もなくロの端に浮かべると、さらに一歩前へ踏み出し距離をつめてくる。
(またざれ言を)
自身の発した言葉が全く無感動なものであり、この男に対してこれまでただの一度たりと何かを期待しているような素振りを見せたことがないことをよく知っているシェスタは、いまいましい思いで胸中で毒づいて顔をそむけた。
「おおこれは冷たい。信じてもらえませなんだか、このわしの本心を。さもありなん。天空にかかる月に焦がれる人間の気持ちなど、到底月に察してもらえるはずもないこと。
嘆きは我が胸にのみしまい、もはや何も申すまい。
さあどうかお気を直され、その青月の慈愛のごときうるわしき瞳にわしをお映しくだされ。それこそがせめてものわが望み」
「……今宵はずいぶんと深酒を召してらっしゃるようですわね。ご自分が何を口にされているかもお分かりにならないようでは、何をされても無意味です。
わたしが無事に過ごしていることは確認できたでしょう。ほかに御用がないのであれば、どうぞすみやかにおひきとりください」
たわむれはもう十分と、すげなく一蹴した彼女の冷ややかな態度に、ガザンの肩がすぼまる。
上着の上からまとったショールに手を添えた、とりつくしまもないその姿を覗き上げるような目でうかがいながら背を向けたガザンは、唐突に背を正して棚にたてかけられていた鏡をとり上げた。
「自身の置かれている状況もわきまえずに、相も変わらず可愛気のない態度をとる女だ」
先までとは声も口調もまるで違う、その冷めた言葉にはっとなって目を向ける。
そんな彼女の姿がうすぼんやりと映った鏡面をしたり顔で見つめていたガザンは、まるで沈黙がどれほど彼女のうちの不安をかりたてることになるかまで計算ずくのように、ゆっくりと時間をかけて振り向くと、皮膚のたるみのせいで喉との境もあやふやになっている顎を指でさすった。
「非力な女の身でありながら、そのようにわしに醜態を見せまいとするさまは天晴れではあるが、愚かしいことでもある。
そのような姿を見せられては、直接おまえへの恨みはなくとも憎らしくもなる。
そら、犬を思うて見ろ。やつらは人に媚びを売らねば満足に身なりを整えることもできぬ身であるくせに、何かと思い上がりたがる。主の権威が己の上にもあると、錯覚をしてな。
きゃんきゃん喚きたてる犬は殴りつけ、身のほどというものをみっちりたたきこんでしつけ直せばまだ番犬として使えるが、愛想のあの字も知らず人を見下すような駄犬など一切役に立たぬ。
殺すしかないのであれば、あとはその始末を存分に楽しませてもらうしかないではないか」
「な、にを……一体……」
突き刺すような鋭い眼光とともに向けられた言葉の危うさに押されて、のどが詰まる。
怒りも、悲しみも、それにつながる思いを断ち切ることで消すことはできたが、恐怖やおびえといった類いは本能の領域である分、抑えがきき辛い。
もともと赤みの足りたほうではないが、無言のまま、ますます青冷めた頬に、自分の言葉が彼女の心理へ大きく作用したことを読み取って、ガザンは満足そうに大きくロ端を吊り上げた。
「まあよいわ。泣き喚くだけの犬は、あのごろつきどもでいいかげんうんざりしておるからな」
独り言のようにつぶやいて、鏡を床に放り出した直後、靴の裏で踏み割る。
「まったく、ロ先だけの雑種が。真っ昼間から浴びるように酒を飲んではへつらい顔で金の無心ばかりしおって。分別の欠片も持たない輩が一番気に障る! 品というものがまるでない!
このようなときでなくばあの汚い尻を蹴り上げて、1人残らずわが館から追い出してやれるというのに。
ええい、くそっ」
その者たちを思ってか、がしゃがしゃと踏みにじっては蹴飛ばす。床を滑り、自分へ向かってきた破片を避けようと身動いだシェスタに反応して、彼女を映した目は苛虐への衝動にぎらぎらと照っていたが、2人の間のうす闇が、不幸にもそれを隠した。
1歩、2歩。
満面の笑顔で近付くガザンの身を包む不穏な気配に飲まれ、あわせてシェスタも退く。けれどその歩みも、やがて行きついた壁によって隈まれた。
がたんと、肩に触れた額縁が音をたてる。
「どうした? そのような目をして。そうおびえずともよいよい。今のはおまえを叱ったのではないからな」
お気に入りの愛玩動物の機嫌をとるようなロ調でありながら、刃物のような鋭さを孕んだ声が威圧する。
水気のない、がさがさの指先が、ゆっくりとこめかみに触れ、頬におち、顎を伝ってのどに絡む。
シェスタは震えを殺すことに必死で、避けることはおろかまたたきすらできなかった。
じわじわとのどを伝わってくるガザンの生温かな体温に、胃の方から嘔吐感がこみ上げてくる。音をたてて血が下がり、両足に力が入らず、今にも身を崩してしまいそうで、ふらふらした。
窓からの白閃に浮かぶガザンの面についた不規則な敷聯は怪物のように恐ろしく、間近で吐き出される酒の臭気が朦朧としはじめた頭を鈍く刺激してくる。
「……こんな、ことをして、許されると、お思いですの……?」
あえぐ息をして、ようやく口にできたといった様子のシェスタの呻きに、ガザンは不敵な笑みを浮かべた。
「このわしが、一体誰の許しを請わねばならんというのだ?」
名を上げてみろ、わしには思いもつかぬ、と迫る。
不遜な物言いだった。黄ばんだ不ぞろいの歯を見せて笑う、その悦に入った面を見て、かあっとシェスタの胸に火が燃え上がる。
なんと傲岸なやからだろう。己のしていることが人道的に許されることではないとの自覚もなく、それどころか罪悪だとすら思っていないなんて。
そんな人非人に、自分や、自分の大切な人たちは心を踏みにじられているのだ。
衝動的、悪態をつきかけるのを、ぎりぎり思いとどまった。
己の力に慢心しているときは何を言ったところでその一切が無駄なのだ。
もう一言だってロをきくものか。こんな男、言葉をかわす価値もない。何とでも言ってかまわないから、さっさと消えて。
はっきりと言葉にはしなかったが、したも同然の目で見返す。確固たるはずの決意は、しかし次のガザンの一言で、高波を受けた砂の城のようにあえなく崩れさった。




