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魔断の剣11 人妖の罠  作者: 46(shiro)
第4章 寂寞たる思惑

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第6回

 はっきりとした音はなかった。この部屋の防音はとてもしっかりしているので、たとえ廊下で何か起きたとしてもそれが扉のすぐ前ででもない限り聞こえない。


 けれど、半月もの間、朝も昼も夜もひたすらこの部屋に身を置き続けたシェスタには、肌で異変を感じることができた。


 花びらの散る音すら聞きとろうとするかのように耳をそばだてる。


 間違いない。たしかに何かが近付いてくる。しかも距離からして隣室の侍女ではない。

 確信とともに襲ってきた警戒に、さっと肌が強張った。


 夜中もとうに過ぎたこんな遅くに部屋を訪れようとする者が、礼節をわきまえた道徳者であるとはとても思えなかった。

 この館において自分のおかれた地位がどれほどのものか、シェスタは自覚している。

 食事やこの部屋に表れているように、とりあえず客人として扱ってくれようとしているのだろう。たとえそれが『何が起きようとも』という絶対の保証のない、相手任せの不安定な足場とはいえ、まがりなりにも向こうは下に何十人とかかえる、立場ある身だ。ましてや殺しては意味のない人質(そうでなければとうに殺されるか奴隷商人あたりに売り渡されている)、体面というものがあると、シェスタはそれなりに安心していたのだ。


 もしや、あの慮外者たちだろうか。


 脳裏をよぎったのは、この館に常時20はいるという、むくつけき男たちの姿だった。

 普段町の中で見かけたことのない顔ばかりなので、おそらく今回のためにいずこからか雇い入れてきたのだろう。まさか、ほかの町にいる自分の手駒を呼びよせるなど、そんな発覚の危険を犯したりはするまい。


 逃走と奪回の防止に窓下等に配置された彼らは、容赦ない、色にまみれた視線でシェスタを隙間なく検分した。

 彼らのなかで自分がどんな扱いをされ、評価を受けているかなど一切知りたくないのに、野蛮な態度と卑猥な言葉で否応なく彼らはシェスタへつきつける。そんなことをして、彼女にも自分たちと同じような醜い欲望が沸くとでも思っているのか。


 分かっていてならまだしも、ただ(おとし)めているだけだということにすら気付かない無知さはとかく腹立たしい。おかげでシェスタは、わずかに解放を感じさせてくれるベランダに出ることすらできなくなってしまったのだ。


 理知の光など欠片も見出せない、いずれも劣らぬ濁った瞳の持ち主。身なりや動作がしゃんとしていないところからして、精神の方も似たようなものだろう、そうシェスタは思った。この男たちの中では、おそらく良心だとか歯止めとか、良識や忍耐、そういったものがあまり重要視されていないのだと。


 その彼らがとうとう思いあまって、暴挙に出たのか。


 身の毛のよだつ考えにざわざわと総毛立ち、保身から、まさかとそれを打ち消そうとする。

 今の彼らはあの男に寄生する身で、だから、宿主であるあの男の不興を買うようなまねは、まさかするまいと。

 だが同時に、男がとても気まぐれな者であることも、彼女は知っていた。


「お、おやめくださいませ、お館さま」


 扉のすぐ向こうで、驚き、諫めようとする侍女の声が聞こえた。

 『お館さま』と呼ばれる存在は、あの男以外ない。


 やはり、と。相手がだれか、はっきり知れたことでつかの間ほっとしながらも、あの男が彼らとそう大差ない相手である上、事を起こした張本人であることに再び肌が強張った。


「お嬢さまはもうとうにお休みであられます。まして、このようなお時刻に訪れる場ではございません。

 ご用件がおありでありますなら、明朝、責任を持ちまして私めのロよりお伝えしますので……。直接お嬢さまにということであられますならば、どうか、どうか明日に、今一度お考え直され、思いとどまりくださいますよう……」


 頑なな声は・しかし隠しようもないおびえに震えていた。

 おそらくあの者だろうとシェスタは見当をつける。

 自分の職務に誇りを持ち、義務を重んじる侍女の鏡のような女性だ。節度を越えた主の行動を諌めること、その義務感が彼女を暴力という恐怖に立ち向かわせているのだろう。


 けれどもその勇気に報いれるだけの技量を、相手は持ちあわせてはいなかった。


「ええい黙れ! わしのすることにいちいち口出しするな、うっとうしい!

 金でひとにへつらうような輩の分際で、ごちゃごちゃ言わず、きさまらは隅にでもひっこんでおれ!」


 かすれ、ひび割れた怒声にかぶさって、がたんと重く固い物が揺れる音がする。悲鳴は聞こえなかったが、おそらく先の侍女が突き飛ばされて、廊下に飾られている壺か何かに当たったのだろう。

 直後、がちゃがちゃと扉の把手を回す音が起きた。


 鍵がかかっていることまで忘れているのだろうか? 常にかけていろと命じた者のくせに。


 執拗に回す音に、相手がとても不機嫌であること、そして理性が働いていないことを感じ取る。

 侍女を襲った災いがもうすぐ自分にふりかかろうとしていることに身震いをしつつ、シェスタは室内を見回した。


 思い出したようにひどく寒い。寝台の上にかけてあった上着に素早く袖を通し、前合わせのひもをぎゅっと結び、決意に今一度腕を抱きこんだとき。扉が強く左右に押し開かれた。


「これはこれはシェスタどの。まだお起きであられましたか」


 扉が内側の壁に当たった音響に重ね、そら見るがいいと、背後の者にひけらかすように高らかと告げる。

 うす暗がりに慣れた目をまぶしく刺す、煌々(こうこう)とした廊下のあかりに照らし出されたその姿は、思った通りガザンだ。


「いけませんぞ、睡眠不足は女性の大敵と申しますからな。若いあなたでは肌の冴えからして違ってくる。その無垢な雪原よりもきめこまやかな、世にもまれな柔肌の質が落ちるようなことがあれば、まさに芸術的損害」

「今起きたところです。騒々しくて、あれでは私でなくとも目を覚ましますわ」


 非難の意を多分に織りこんで、ガザンの言葉をさえぎる声に力をこめる。

 その言葉に、ちらりと寝台へ視線を配し、一糸の乱れもないそれにうすら笑いを浮かべながら、


「それはそれは。わしとしたことが気配りが足りず、まっこと申しわけないことをした」


 と、全く真実味のない謝罪を形ばかりに口にして、しまりのない体をゆすりながらゆっくり部屋の中へ歩を進めてきた。


 女の自分ほどもない小柄な背丈は、今でも十分すぎるほど内側で脂肪を飽和させているが、以前はもっと肉付きがよかったことをうかがわせるしわが、手首や喉などの関節部で(ひだ)のように折り重なっている。

 すっかりたるみきった、見るに不快なそれがちゃんと引き締まっていたころもあったとは、シェスタにはどうしても想像がつかなかった。


 まだ大分距離があるというのに早くも鼻孔をつく、生温かな濃い酒気からそむけた視界に、心配気な顔で部屋の中を覗きこむ侍女たちの姿が入る。


「おさがりなさい」


 これから自分がどんな辱めを受けることとなるか……侍女の赤くなった頬に逸速く悟り、覚悟を決めたシェスタは、それを彼女たちに見られまいと指示を出す。

 無論、彼女たちに従う義務はない。町長の娘といえど今のシェスタには何の権威もなく、彼女に雇われているわけでもないのだから。


 彼女たちが受けている命令は、シェスタの身の周りの世話だ。その中には彼女の身の保全も入るだろうが、当の相手が雇用主ということで迷いが生じているらしい。まして、止めようとしたところで到底彼女たちに止めきれる相手でもない。


 どうすればいいか。困惑気な顔をして互いを見あっていた彼女たちは、結局無難にシェスタの言葉に従うことを選んだようで、おどおどした手つきで扉を閉めた。


 再び部屋が薄闇に閉ざされる。巻きこまれることを恐れるように走り去るかすかな足音に、もはやこの場において味方となる者は1人もいないという、逃げ道のない不安を感じながらも、それを気取られまいと、シェスタは毅然とした態度でガザンに向き直った。

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