第20回
●エセルの真意
セオドアは速足で、先に通った道を宴席会場へ向けて戻っていた。
手には、あの紙片を握っている。
感情が高ぶっている今の状態では本来なら走るのが普通だろうが『廊下を走ってはいけません』と物心つくかつかないかのころから蒼駕によって根気よく躾けられた彼女はすっかりその手のことが身についてしまっていて、無意識的に抑制がかかってしまうのだ。
セオドア自身じれったいが、走っている姿をだれかに見られ、とがめられたりしてはますます立場がなくなるということもあった。
いらいらしながら歩いているせいか、靴音の響きがやけに高く聞こえる。
『誰もこのことを知らない』とはどういう意味なのか。なぜこれは燃やされているのか。
気にかかることではあるが、もしかすると単なる考えすぎで、彼女を知っている者からすれば「なんだ、そうか」ですむことかもしれない。
だが彼女は町長の娘だ。私用の手紙を館のだれかが勝手に燃やすなどということがあるだろうか?
もしこれが燃やされたのが行方不明になった前後であれば、これを書いた者が関係している可能性が高いことになる。手紙の主が分かれば今より道は開けるし、うまく相手を特定できなくても、候補をしぼりこむことができるだろう。
エセルに訊いてみよう。あいつが知らなくても、あいつからだれかに訊いてもらえればいい。
そこまで思考して、セオドアは唐突に足をとめた。エセルの声が聞こえた気がした。
一切の音を断ち、耳をすませる。
遠すぎて、何を言っているかまでは分からないが、声はそれほど間をあけずにまた聞こえた。
宴席へと続くこの廊下でなく、側路からだ。
「向こうか」
そういえば、サリエルと連れ立って行ったんだった、と思い出す。とすれば、会話の相手はサリエルだろう。
あの騒々しい場へ戻らずにすむことにほっとしながら靴先を声の聞こえるほうへ向ける。そのまま歩いていくと、奥からかすかな風が頬に触れてきた。先を見れば、突きあたりに閉じきれていない扉がひとつある。
漏れた薄明かりに、きっとあそこだと足を速めた。
特にこれといった意識もせず、把手へと手をかける。わずかに開いた扉をさらに引き開けながら中を覗いたセオドアは、エセルと呼びかけた声を止めた。
紙燭が1本灯っているだけの、絶対的に光源の足りない幽暗な部屋の中。ベランダに出て月光浴を楽しむエセルの傍らには、彼を見上げるサリエルの姿がある。
会話の相手はサリエルだと分かっていたはずなのに、セオドアは、その親密な2人の姿にどきりと大きく胸が跳ねたことに驚いて、うろたえた。
2人のまとった雰囲気のせいかもしれない。
自分といるときとは全然違う、あの子どものようにとりとめなく変わる表情は消え失せ、微笑を浮かべたエセルの横顔はずいぶんと大人びて見えて、全くの別人のようにすら思える。
枝葉を透かせて届くほのかな月明かりに照らされた2人の姿はさながら1枚の絵画のように美しく、厳かで、いつの間にかセオドアはその光景に目を奪われてさえいた。
微弱な光を吸ってきらきら輝く、静寂をたたえた瞳でうっとりとエセルと見つめ合うサリエルに、どきりとする。
もしかして自分は、来てはいけない場に来てしまっているのではないだろうか――現実にたち返った瞬間、そんな罪の意識がもたげた。
緊張に肌が痛いほど張り、すぐ下で血管がどくどく熱く脈打っている。ひどく息苦しい。
2人の関係を知った以上、間に割って入ってその語らいを邪魔するような無作法なまねはできない。
緊急を要する用でもない。明日、あらためて出直すべきだと分別が告げていたが、なぜか足はその場に縫いつけられてしまったようにわずかも動いてくれなかった。
「……させないわ」
サリエルの固い声音が聞こえた。
それはロ先で囁いたように、本当に小さなつぶやきだったのだけれど、耳に障りのいいよく澄んだ声は部屋の内に響いて扉の影に身を隠したセオドアのもとまでも届く。
「絶対、あいつの好きなようにはさせない」
それは、耳にした者の胸までもしめつける、どこかさみしげな決意である。
「できるさ、きみなら」
エセルのする返しもまた、セオドアの知るいつもの安請合いとは全く違う、いたわりと慈しみに加えて、それは事実だとの確信がこもっている。
「きみほどの内力を持つ術師はそういない。いろんな国を回ってたくさんの法師を見てきた俺が言うんだから、確かだよ。いくらきみがここの生まれだからって、きみほどの能力者を王都付きにせず手放すなんて、シエルドーアの王は度量が大きいと思っていた。
それとも、目がないのかな? こんな美人なのに」
「ばかね」
くすり。サリエルが口元に手を添えて笑う。
「それに責任感も強いし。この町や、ここに住むみんなをとても愛している。
きみならできる」
すっと胸の奥に入りこんでくる、優しい力づけに、サリエルはなぜか口元を歪め、泣きたがっているような弱い表情を初めて見せたが、それもほんの一瞬のこと。
すぐさま「ありがとう」と、かすれた声で礼を口にした次の瞬間にはくっとあごを引いて表情を引きしめ、手擦りを握る指の力を強めた。
「ええそう。私はこの町が好き。ほかの、どの町より突出していると誇れるところはとりたててないけど、素朴で、素直で、一生懸命で……。
この町の民のために最善をつくすことが私の義務であり、誇りであり、決めた道なの。だれにもゆずれないわ、これだけは……エセル」
最後、とても辛そうに、彼女はその名を口にした。
か細い声はそのあとも途切れがちに何かを眩いていたけれど、ただ唇が震えるのみで言葉にはなってくれないようだ。しかし、確とした言葉以上に明確にその意を訴える眼差しから、エセルはなぜか目をそらした。
自分から逃げることを拒むように、倒れ伏してその胸にサリエルが身を投げ出す。
「サリエル」
「本当は怖いの。怖いわ。怖くて、怖くて、もういっそのこと全てを投げ出して逃げ出してしまおうかと考えたことも、1度や2度じゃないのよ」
「きみが?」
くすり。笑って、それから頬を包みこむようにして顔を上げさせた。
じっと瞳の奥を覗きこむ。
「きみは逃げたりしないさ。一度こうと決めたきみの決意を止めるのは、だれにもできやしないんだ。
2カ月前のときだってそうだったそうじゃないか。みんなにどんなに言われても、きみはがんとして強気に主張し続けたんだろう? きみはそういう人だと知ってるから、聞いても別段驚きはしなかったけど。
ほんと、きみはとても頑固だからね。こうと決めたことは、だれに何を言われても、きみ自身にだって、崩せない。そうだろう?」
「……そう、ね……」
エセルの言葉を認め、唇を噛みしめる。
どのようなときも毅然とあろうとする彼女が堪えきれず見せる痛々しさは、たとえ何者であれ、抱きしめずにはおれないだろう。エセルもおそらく。
なのに、それを拒んだのはほかならぬサリエル自身だった。
「なら……なら!
お願いよ、エセル。もうやめて……!」
悲痛めいた声に、彼女の肩にのったエセルの手が、遠目からも分かるほど大きく反応した。なによりまばたきすらとめた無言の面がエセルの受けた衝撃の深さを物語っている。
ゆっくりと自分から離れた手を、サリエルは包みこむようにして引き寄せるや、放さないと自分の胸に押しつけた。
「あの子を呼んだ、それで十分でしょう。もうやめて。もういいわ。これ以上こんなことを続けたら……あ……私……。
私、あなたを失いたくないの!!」
それは懇願だった。
宴席では、そんな彼女の姿など想像することさえ難しく思えたのに、現実として耳にしたそれは懇願以外の何物でもなかった。
法師としての誇りを踏みにじられながらも町のことを第一に考え、最善をつくそうとする、退魔師としても人間としてもすばらしい胆力の持ち主である彼女がこれほどまでに心を乱す原因は何か? それは量りかねたが、しかしサリエルの感情がこれ以上ないと思えるほど高ぶり、精神的に追いつめられているのは疑うべくもない。
決して放さないとばかりにつかまれたエセルの袖に深く刻まれたしわ、蒼白した指。
追いつめられた思いで食い入るようにエセルを見上げる瞳は涙をにじませ、一方では不思議と彼を糾弾しているようにも見える。
「サリエル、俺は――」
短い沈黙の後。意を決めたように彼女に何かを告げかけたエセルの言葉がそこで途切れる。
扉が不自然に開いて、その陰影に靴先がわずかに見える。
ちゃんと閉めていなかったのか……それにしても、重い扉があんなに開くほど強い風はついぞ吹いていない。
「……あいつには、何もさせない」
扉の影にいるのがだれか、見当がついて。
エセルは幾分声を大きくして、影にいる者にも聞こえるように、途切れた言葉を継いだ。
「攻撃系退魔師の必要性についてはもう話しあったじゃないか。隠していたにもかかわらず、魅魎の存在はすっかり知れてしまっている。はっきりした証拠がないし、2カ月前の件もあるからまだタチの悪いうわさ程度で済んでるけどね。
ああもちろんきみや町長の人徳のおかげでもあるよ。魅魎らしいものを見たってだけですぐ恐慌状態を起こす場所だってあるんだ。そんな所に比べたら、この町の団結力はたいしたものさ。
だけど、いつまでもそれに頼ってもいられない。魅魎が出たのは事実だし……シェスタがいつまでも公然の場に姿を見せないこともうわさを裏付けて助長させることになる。
事実と認めたととられかねなくても、とにかく安心を深くするには攻撃系の退魔師が必要不可欠だ。
そうだろう?」
「……そうね。でも……」
「魔断のない剣師に何ができるのか。あいつもそれをよく知ってる。
それ以上は俺だってはじめから期待しちゃいない」
その言葉を聞いた瞬間――!
セオドアは悲鳴を上げかけた口元をおさえて、その場にへたりこんでいた。
一瞬で凍りつきそうになった心臓は早鐘のように乱れ打ち、死の床についた死者同然に手足から一切の力が失せている。押し殺された悲鳴は、ちぎれる息となって闇に消えいった。
いくら奥歯に力を入れてとめようとしても、がちがちと歯は鳴るばかりで…。
地底をおおう真闇の果てにあるという虚無の奥底に突き落とされた思いで、ともすればずたずたに引き裂かれかけた心を、セオドアは何も考えないことで必死に守り続けた。
動揺に揺れたなら、壊れてしまう。わずかでも気を抜けば、その瞬間、暴走した感情はいともたやすく心を破壊し、一片も残さず粉々に踏み砕いてしまうだろう。
死んでしまう。そんなことになったら、自分は、きっと死んでしまう!
そう、本能的にさとった恐怖から、セオドアは、頑なに心を保ち続けたのである。
ここまでご読了いただきまして、ありがとうございます。
エセルはセオドアが聞いていることを知った上で、ああいうことを言ったわけですが。
まあ、盗み聞きをするならそれなりのことを聞く覚悟がいるということですね。
(ただ、言葉の本意は、セオドアが考えたこととはかなり違っているのですが)
さて。
この回で第3章は終わりです。
4000文字を超えてしまったので2回に分けようか悩みましたが、1回で公開することにしました。
明日からは第4章となります。
第4章は、再び仮面の者側がメインとして出てきます。
引き続きよろしくお願いいたします。




