第18回
「ご存知ない?」
「……不勉強なものですから……」
聞こえよがしな文句以外、うわさの収集とは縁のない生活をしていた。
司書室とか食堂とか、ああいった人の集まる場は苦手だし、座学用の参考書物は許可をとって宮内で商売をする隊から購入するか、せいぜい蒼駕から借りるかだ。もっぱら後者であったため、雑学である。
それに、そんな、書に記されるほどの強力な能力者を調べてますます落ち込むようなことはしたくない。自虐的すぎるというものだろう。
「そう……そうね。知らないほうがいいこともあるわね」
サリエルは隠した手元で曖昧な独り言をつぶやいて、1人納得する。
あいにくその意味深な言葉はセオドアの耳についてしまったのだが、彼女は再び話し始めたし、へたに触れて、先のを蒸し返されるのもいやなので、それはどういう意味かと質問することはできなかった。
「私も退魔師だから、事情はおそらくある程度理解できてると思うわ。
あなたにとって一番大切なこのときに、わざわざこの町までお呼びたてしてしまって、本当に申しわけありませんでした。
まったくあのひとったら、言い出したらきかないんだから。この国と関係のない退魔師が必要だ、との意見が出た途端、幻聖宮に知りあいがいるからと請け負って……まさかそれがあなただなんて、そのときは思いもしなかったわ。
あのひとのことだからきっと、あなたの事情もろくに聞かずに強引に連れてきたんでしょう、その分の非礼も含めて、あらためて謝罪しますわ。どうか許してくださいね」
あたりまえのようにそう告げる彼女に、なぜか息づまりを感じて顎をひく。
ひとと対話して息苦しさを感じることはこれが初めてではないが、それにしても、そんなことを感じる要因は彼女の言葉には含まれていなかったはずだ。
謝罪されただけで、厭味や皮肉が入っていたとは思えない。むしろ彼女の言葉には誠実さと厚意があるし、事情を悟った上で気遣ってくれてさえいる。
感謝しなくてはいけないのに、彼女の言葉を聞いているとだんだんと胸が重苦しくなって、息がしづらくなってしまうのだ。
「でも正直、驚いたわ。彼と知りあってもうすぐ3年になるけれど、訪れたさまざまな国やそこで出会った人について、いろいろ聞いてはいても、友人を連れてきたのはこれが初めて。しかもそれが退魔師で、あなたでしょう?
ルビアでのことも、ほんのつい最近まで教えてくれなかったのよ。私が聞き出そうとしなかったら、きっと、いつまでも話してくれなかったでしょうね。あのひとって、変なところで口がかたいんだから。
たぶん、魅妖と対決したなんて、法師の私が知ったら卒倒するとでも思ったのね。そりゃあ私は魅魎がどれほど油断のならない恐ろしい存在か知っているけれど、でも盲目的に恐れているわけではないのに。
ああでも本当に、こうしてる今も信じられないくらいよ。あなたと会えるなんて」
「………………はあ」
今までの例にもれることなく生彩に欠ける応答をしているというのに、サリエルの態度は一向に変わらない。
初めて彼女を目にしたときの、冷徹であるとの印象は、今やセオドアの中からすっかり消え失せていた。
包容力にあふれ教養豊か。非の打ち所のない立ち居ふるまい。まるでセオドアの不器用さまですでにさとっているようだ。責めようとも、あきれて立ち去ろうともせず、他人に聞かれても不都合のない言葉で自信を持てと力づけてくる。
もしかすると、数少ない理解者になってくれるかもしれない。そんな期待が胸に浮かんだ。
貴重な存在――それが『滅多やたらといない存在』であるということはセオドアも承知しているので――になってくれることを願いながら、セオドアは思いきって尋ねてみることにした。
「エセルとは、どういったお知りあいなんですか? あの、わたしも、初めてなので……。
それに、あいつはえり好みが激しい印象で、あいつが厚意を持つ人、っていうのも、知らないし」
つい、後ろで言い訳めいたことを付け足してしまうのがなさけない。
「そうね」
質問に、ふむ、と考えるような素振りをする。
「あのひと、3年前に暴漢からシェスタを助けて、足をくじいた彼女を連れ戻ってきてくれたのよ。それが始まりかしら。館の人たちともすぐ打ち解けて、よくこの町を訪ねるようになって。今では年の4分の1ほどをここで過ごしてくれているわ。
町長も、息子のように頼りにしてるみたいよ。あの外見から女性が騒ぐけれど、身持ちはしっかりして、人妻や恋人のいる相手にはちょっかいをかけたりしないし。
男の人たちも、あっさりした明るい彼の気質にひかれているようなの。とてもうまくやってるわ」
離れた壁際で同じように友人たちと会話しているエセルの姿を幸せそうに見つめながら、まるで自分のことのように誇らしげに語って息を吐く。
ややして正面を向けると、おもむろに手を伸ばしてセオドアの首飾りへ触れた。
「これ、あのひとが選んだ物ね」
断定し、指で弄ぶ。
「いかにもあのひとの好みそうな細工物だわ。はなやかで、品があって。使ってある石もあかるく深みのある紅。あら、竜石もあしらってあるのね。あなたのその碧翠の瞳や白金の髪に、とてもよく似あっているわ」
つと、その手が伸びて、翡翠の耳飾りへと触れた。ひんやりした手のひらが頬に触れ、袖ロからかすかにライリアと呼ばれる花の匂いがする。
かつて同期生だったマシュウという名の上級退魔剣士がよくつけていたので、セオドアも覚えのある香りだった。
甘みのあるさわやかなその香水はとても高価な品で、ほんの小指の爪ほどで万単位の額になるとか。
「あら、気付いた?」
巧みに視線を読んだのか、サリエルは手をひく。
「いい香りですね」
「あのひとからの、贈り物。私に一番似合う香りだからって。以来、なくなりそうになるとあのひとが買ってくれるようになったのよ。いつも、これ」
口元をほころばせ、嬉しげに語られるその言葉に、セオドアはトガでのエセルの姿を思い出していた。
自分にこの盛装衣を買い与える際、エセルは奥の棚に陳列された香水の小瓶も物色して購入していた。贈答用に包装を頼むのをそばで見ていたセオドアは、あれもまさかつけろと言われるのかとつい身構えたりもしたのだが、渡されたのはこの服だけで、ほっと胸を撫で下ろしたものだった。
あれは、この女性に贈るための品だったのだ。
男が女に香水を贈る理由は、いくらそういったことにうといセオドアでも分かる。
直後、脳裏にひらめいたのは、応接室で初めてサリエルが現れたときの光景だった。
『おかえりなさい、エセル』
うなじに手を回して愛しげに抱き寄せた。
身も心も委ねるサリエルと、それを当然とするエセル。
エセルはあんなことを言ったけれど、行動が全てを物語っている。やはり2人は親密な関係の恋人同士だ。
加えて、門番の男たちに愛人呼ばわりされたことまで思い出し、セオドアは口元に手をあてた。
「あら? セオドア、どうかして? 顔色が悪いわ。私、また何かあなたの気にさわ障るようなことしたかしら」
それまでエセルを見て、彼と視線を合わせていたサリエルが、セオドアの様子がおかしいことに気付いてやんわりと手を伸ばしてくる。
「いえ。
どうやら、酒気に酔ったようです」
額に触れようと伸ばされた指先を、さりげなくかわしてそう答えて。セオドアは、あいさつもそこそこに、その場を抜けた。
腑に落ちていない表情をしたものの、サリエルもあえて引きとめようとはせず、「今度魔導杖を見せてくださいね」と言ったきり、エセルのほうに向かって歩いていく。
正面の鏡張りの壁に映った、近付くサリエルに気付いたエセルが会話の輪に受け入れるよう手を差し出すのを見たところでセオドアは2人から目をそらし、たどりついた扉をそっと後ろ手に閉めた。
外に通じる扉を探すが、両手のどちら側も廊下だ。行きで通ったのは左手。窓から入る、育ち始めた月光のおかげでそう暗くもない右手の廊下に、こちらと見当をつけて踏み出す。
角を曲がり、さほど歩くことなく庭に出ることのできた彼女は、そこでようやく握りしめていたこぶしを解くことができた。
一体いつからそうしていたのか……すっかり汗ばんで赤くなり、爪の食い込んだ跡までついた手のひらに、ため息が出る。
ばかな笑い話だった。
毎度のこととはいえ、いいかげん鈍すぎる自分への嘲りに、皮肉気に歪んだロ元から白い息がこぼれる。
仰いだ天空の新月は輝きのわりにまだまだ針の先で引いたように細く、届く光も脆弱だったが、星はこぼれ落ちんばかりに青白くまたたいていて、とても美しい景色だったが、しかしそれがまた今のこのみじめったらしい感情を刺激しているように思えて、セオドアはうとましげに目を細めると足もとへ顔をそむけた。
まったく、こんなばかな話があるだろうか。自分は、嫉妬していたのだ。
今さらながらに気付いた、おろかしい独占欲。
サリエルからエセルのことを聞かされたときのあのいたたまれなさ、違和感の正体がこれだ。
自分は、心のどこかでエセルを一番知っているのは自分だとばかり思っていた。
あいつはとことん外面がいいから、ここでもにこにこ適当に愛想を振り撒いて、いい顔を見せて、ちゃっかりやっているようだ。みんなすっかりだまされきって、きっとだれもやつの本性を知らないんだろう、なんてことも浮かんでいた。
ルビアでの数日しか知らないくせに、だれよりエセルと親しいつもりでいた、なんて。なんといううぬぼれか。むしろここにいるだれよりも自分はエセルのことを知らない、新参者なのに。




