第16回
まったくもってこういうとき、エセルの観察力と察しの良さが思い知らされた。
エセルはほんの少しの動揺も見逃さず鋭くついて、それがあたりまえのように反応してくるので、夕方のときみたいに長時間話していると、自分は普通の人並みに表現できているのだと錯覚してしまう。
思考経路を完壁読まれているのだと思えば嬉しさの大半が吹き飛ぶが……それでも気分的には楽だった。
「ヴァイスです」
「よくきてくださいました」
「おうわさはかねがね」
入れかわり立ちかわり、相手が変わる。なのにどの者も浮かべるのは変わりばえしないへりくだったような笑顔と世辞、覗き上げてくる監察する視線。印象も同一で、とうに名と顔を覚えるという、無駄な努力もやめた。言葉を聞いてもむなしいだけだ。上辺だけの調子いい文句は『音』と同じで、ただ発せられているだけでなんら意味はない。遠巻きにしている者も含め、本当に知りたいのはたったひとつしかないのだから。
『魅魎は再び現れるのでしょうか?』
みんな、自分以外のだれかがその発言をすることを期待し、答えをセオドアに求めているのが分かる。いつ自分に降りかかるか知れない災いへの怯えが彼らの心を冷ませ、上っ面だけのそらぞらしい笑みにしているのだ。
魅魎の出没は口止めをして、シェスタの失踪もごまかしているとエセルは言っていたのになぜ知っているのか……まあ人の口になんとかは立てられないと言うし、どうせどこか口の軽い者からもれたのだろうが。
だが気をきかせてこちらから切り出そうとは思わない。たとえ訊かれたところで、セオドアは返事に足る言葉など持ってなかったからだ。
未来を予知する力など、自分は持ちあわせていない。せいぜいが『ないとは言えないでしょうね』だ。
エセルと話した限りではその可能性もないように思えたが、それは全てを見通したうえでの結論ではない。魅魎を操る以上、どんな不測の出来事があちらに起こるか知れたことではないし、まして、話は途中で断ち切られたままだ。
向こうの目論見の中にエセルの推察どおり、退魔師をこの地へ呼ばせるということが入っているにせよ、それがこの誘拐事件の最終目的のはずはないだろう。しかも自分で確認したものはなく、何もかもエセルから聞いた推測ばかりで肝心の部分も謎のまま――そんな半端な情報で一体どんな判断がくだせるというのか。
彼らが一人立ちした退魔師として自分を見、扱う以上、発言はかなり重視されるに決まっている。どんなに『先は分からない』と断りを入れてもだ。それをくつがえす出来事が起これば『うそつき』と罵られるだろう。
そうなると『幻聖宮の退魔師』の肩書きで紹介された身としては、一緒に幻聖宮の体面まで落としてしまうことになる。自分一人の失態ではすまないだろう。それに、彼らの悲観がますます強まり絶望が深まるのも深刻な問題だ。堪えきれずパニックを引き起こす輩が出るかもしれない。
事は自分だけにとどまらない、おいそれと無責任なことはロにできない。
しかし、これは彼女に限っての特別な状況であるというわけではなかった。
退魔師を目指す者であるならば、こういうとき、うまく彼らの胸を曇らせる不安をとり去ってやらなくてはいけない。退魔師はただ魅魎と闘ってさえいればいいというものではないのだ。
一般市民への適切な助言と不安の緩和。それもまた、退魔師の大切な役目のひとつである。
けれど、事こういうことに関してセオドアは、改善の見込みがない能なしの役ひ立たずという評価を甘んじるしかないと諦めていた。
彼女とはこんなにも違う。
正面、男の肩越しにのぞき見えたサリエルに目を引きつけられ、じっと見入った。
淡い色あいの紅のドレスをまとった彼女もまた、自分と同じように数人の客にとり巻かれている。
笑みをまじえたほがらかな表情、仕草。差し出されるグラスを受けとる際の身のこなしまで、全てが自信という輝きに満ちあふれている。
並び立つエセルの腕に軽く添えられた右手。肩が触れあうほどの距離が、2人の親密さを物語っていて……やはり先の言葉は自分の聞き間違いだろうとセオドアは結論した。
サリエルは美しい大人の女性だ。エセルが惹かれるのも当然だし、エセル以外でも彼女に好意を持つ男は多いだろう。
魅魎に限らず、心ある者であればだれであれ、美しいものや強いものにはおのずと魅かれるものだ。目を奪われる。
退魔師の礼服である盛装衣をあえてまとわないのも、あるいはそういった思いを他者に与えることを計算に入れてのことかも知れない。そんなもので自己を主張する必要などなく、一目見ただけで非凡な女性であるのが分かる。
理知の光にあふれた緑の瞳。あの瞳に見つめられ、語られた言葉なら、たとえどんな不安な内容であろうとも信じ、この女性とならばともに立ち向かえるとの思いが誰の胸にも沸くに違いない。だとすればやはり特別な、まさしく天神に選ばれた女性だ。そして、彼女はその都度最も適した処置をとり、力づけ、助言するのだろう……退魔師らしく。
そう思った直後、胸底に暗い、ねっとりとしたものが澱んだ。
ああいやだ。妬んだり、羨んだり。自分にないからと嘆いて、どうなるというのか。
世の中完全に満ち足りた存在などそうそうあるわけない。彼女には彼女の悩みや苦しみがあるのだろう。なんといってもここは彼女の管轄地だ。そこを土足で踏みにじられた胸の苦しみは、到底他者には計り知れない。
それに、よしんば彼女がそうだったからといって、自分にどんなしわ寄せが来るというんだ? ばからしい。
そりゃあわが身を比べて劣等感を意識してしまうけれど、それも全部自分が悪いわけで、自分のせいだ。
(ほんと、エセルの言うとおり、すっかり悲観主義になっているな。もう少し建設的な考え方をしなくては。
剣師は魅魎に立ち向かってくいとめるのが役目で、法師は避難地へ民を誘導するのが役目。だから、口がうまくなくても別にいいんだ、というのもやっぱり後ろ向きだし……)
喧噪のただ中にありながら、そんなことを考えることで気をそらし、ひたすら忍の一文字で堪え続ける。
半時ほど経ったろうか。宴席も盛り上がって開かれた意味もようやく忘れられはじめたころ。やっと壁の花になれてひと息ついたセオドアの盛装衣の端を引く者が現れた。
横から太股の辺りをつんつん引っ張ってくる。
エセルにしてはずいぶん子どもじみたおふざけだな、と思いつつ、たしなめるべく横を見たら、そこにいたのは本当に子どもだった。
それも背丈がセオドアの腰までもない、まだせいぜい5つか6つの少女だ。けぶるような金灰の髪を軽く肩口でゆらし、まるで夜明け前の泉のような青灰色の大きな目で見つめている。
少女は、自分を見たセオドアに向かい、紅をさした小さな口元を開いて、一言
「だいきらい」
と言うなり走って逃げてしまった。
器用に人と人の隙間をすり抜け、あっという間に見えなくなってしまう。
そのいきなりの宣言には、驚きだとか怒りだとかよりもまず気を抜かれてしまい、呼びとめて理由を求めるどころか完全に茫然自失の体で見送った。
(……なんなんだ? 一体)
そんなセオドアの胸中の疑問を読んだように、くすくすくす、と失笑する声が近くで起きる。
聞き覚えのある、純銀製の鈴のように凛とした声。
そこにいたのは予想どおり、サリエルだった。
「あれはティルフィナお嬢さま。シェスタの年のはなれた妹よ。2人姉妹なの。かわいいでしょう?」
まるで自分の妹のように得意気な顔をしている。
言われて、セオドアもああと思いあたった。そういえばあの髪の色、目許など、アメリア夫人とよく似ている。
少女を見ていたサリエルの視線が、ふとセオドアのほうを向いた。
「こわい、思いつめたような顔ばかりと思ったら、そんな表情もするのね。
あなたを見かけて以来、ずっと話したかったのに、考えごとの邪魔をしてはとなかなか声をかけづらかったのよ。でも、よかったわ。気難しいひとだったらどうしようかと思っていたの。
エセルから、無ロであまり考えを面に表すひとじゃないとは聞いていたけれど、もしや怒らせてしまったんじゃないかって、内心どきどき」
そう言って、おどけるように胸に手をあてた。
応接室で初めて顔合わせをしたときとは正反対なほど、くだけた声と柔和な笑顔で親しく話しかけられる。
銀細工の髪留めを用いて髪を高く結い上げ、胸元が大きく開いたドレスを着た彼女の姿は、こうして間近で見ると、ますます存在感を際立たせる。
シェスタとはまた違った、燃えたつ星の輝きを思わせる女性だった。
ヒールを履いても自分より5センチは低く、そして女性らしい豊満な体つきに、セオドアは複雑な思いを抱いて、ほんの少し、ロ端を歪める。
なぜだか分からない。ただ、彼女を見ると、淡い差恥が胸を圧迫するのだ。
今さらながら、この女らしさに欠ける未熟な容姿を恥じているのだろうか……。
「どうかして? あの、私、何かあなたの気に障ること、口にしたかしら?」
無言で自分を見続けるセオドアに、困ったようにサリエルは小首をかしげた。




