第13回
留守にすると聞いていたからこそ、その日に開いたのだとは言えない。
顔を歪め、なんとか苦笑らしいものを作って、「花をありがとうございました、シェスタも喜んでおりました」と礼を言う。
これは事実だ。宴席の前に届いた両手にあまる花束は、どこで調べたのかシェスタの好む淡い色あいのものだった。
シェスタも「花に罪はないわ。送り主がだれであっても、きれいな物はきれいよ」と言って顔をうずめ、さっそく部屋に飾っていた。
『ほう。それを聞けてようやく安堵できましたわ。やはりあの粗忽者どもに任せるのは誤りだったのではと、少々案じておりましたので。
まったく、最近の若い者はこらえ性がないというか、口さがないやつが多い。血の気が多いのが災いしてか、無分別に何かとあたり散らしては夜毎酒ばかりあおりおって。
そちらの娘御がここ数日姿を見せないということが、どうやら不満の種のようでしてな。わたしの下にも、あなたのお美しい娘御を女神のように信奉する者が数多くいるのですよ。
中には、あれだけの美しさだ、もしや魅魎にかどわかされたのではないかと口走る輩もおりまして』
一瞬背筋にひやりと冷たい汗の流れる文句で切りこんだあと、意味深な間をとっていたぶる。「いやはや、本当につまらぬことを」と濁して笑うガザンの顔は、嘲りに満ちていた。そのくせ厚く肉を蓄えた黄土色の瞼の下に埋もれるようにある、灰色に濁った細い目は、ほんの少しも笑ってはおらず、鋭い光を放っている。
『もちろんわたしは言ってやりましたよ。娘御は婚儀が決まり、婿を迎える準備で忙しいのだと。
娘御は、世にもまれな美貌の持ち主ですからな。成婚とあっては熱にのぼせた頭で不埒な行為に走る狼籍者が出ないとも限らぬ、おまえたちのような者を遠ざけるために館から出さないようにしているのであろう、とな。
図星をさされてか、目を白黒させて二の句が告げなくなっておりましたわ。まあその愉快なこと愉快なこと……いや、失礼』
この場から1秒でも早く立ち去りたい思いを我慢し、不快な物言いをひととおり耳にして、「それでは」と横を抜けたリランドの背に向かい、ガザンは勝者の余裕とばかりに追い討ちをかけた。
『まこと、そのうち現れぬとも限りませぬが、はたして以前と変わらぬ姿を拝させていただけるでしょうかねえ』
これが決定打だった。
もしやと思いつつ、だれもが押し殺そうとしていた懸念が一気に噴き上がり、頭中で明確な言葉となる。これは、ガザンの仕組んだ謀計であると。
手段は分からないが、ガザンが妨害に出たのだ。
「やつが何を求めているかは明白さ。財力を手に入れ、権力を持った者が次に望むのは、相応の地位と決まっている」
一体何に相応していると思っているのか。その基準を知りたいとばかりにやれやれと肩を辣めると、エセルは重いため息をついた。
それは、この未解決な出来事の厄介さではなく、出来事を引き起こした理由そのものに不満があるように見える。怒りよりも苛立ち。つまらない、といった類いだ。
ここの者と懇意であるということは、シェスタともそうだということだ。自分の知りあいが巻きこまれて命の危険にさらされているというのに、どうしてそうも淡泊でいられるのか。
いつも現状を突き放して他人事のように物事を見るきらいのあるやつとはいえ、今度ばかりはひどく冷血なものに思えて、セオドアは顔をしかめた。
「跡継ぎにこころもとない……つまり、町長の地位を譲れとさ。
前々から下のやつらがそれらしいことを口にしていたんだ。この町の長にふさわしいのは決断力も行動力も備えたガザンだってね。
もちろんそれは付随してるおまけで、ガザンの本当の狙いは下級貴族としての爵位だ。それが手に入れば王都に宮をかまえることができるし、王命の催しに直接参加することができる。なにより、金や力での無理強いより、貴族という言葉の持つ威圧感のほうがすんなりいく」
「そういうものか?」
やはり世間知らずのせいか、エセルの言った理屈が飲みこみづらい。
どう違うのか分からないと返事を待つセオドアに、エセルは苦笑して頷いた。
「そういうもん。大体、この町の税収ぐらいの利益はとっくに稼いでいるよ。やつの息のかかった店は大小あわせて150以上。この数はシエルドーアの全定置の3分の1を超える広範囲さだ。中でも勢力地であるこのリィア近辺の町はほぼ全部掌握されていると言っていい。
それに爵位が加われば、間違いなく3年と経てず半分を超えるだろうな。今までかけた時間の3分の1以下だ。北部では特に貴族支配が強い」
「そうか……」
身を引き、そっと、膝の上で指を組んだ。
人が人を支配する。今でこそ十数国まで減った体制だが、100年ほど前まではこの3~4倍はあったらしい。
地表の大半が砂と化した大陸。さらに魅魎という天敵の存在から、国の興廃たるやすさまじいものがある。
壊すのはたやすく、生み出すのは難しい。そんな中、教育制度がうまく根づかない、貧しい国に多い思想だと習った。エリート願望思想というのかもしれない。いわゆる、『恵まれ、優れた者が導いてやらなくてはいけない』という使命感だ。
とんだ選民思想だ、それが差別意識の増長につながるんだと口々に悪態をつく仲間たちの中、きっと、そのほうが生き残る確率が高いという考えから始まったのだろうと、当時のセオドアは思った。実際、今もその論理が悪いとも正しいとも言えないし、自分が言ったところで意味もない。
けれどあのときと違い、今はそれに何か、憂慮というか、もの悲しいものがあって、それが胸にきているしばらくの間、思うように言葉が出なかった。
「……ガザンのことはともかく、退魔師を派遣してくれるよう王都に要請することはできるはずだ。実際に人1人が消えているのだし、魅魎を見たという目撃者もいるのだろう?」
銀髪、鉛肌の威容をした者。炎に身を包んでおり、さらに人外の気配をまとっていたと聞けば、まずどんな退魔師でも中級魅魎と判断するだろう。
王命により退魔師がこの地へ派遣されてくれば、ガザンも自分がどれだけだいそれた事をしたのか思い知り、目が覚めて娘を戻すに違いない。魅魎のほうも、退魔師がやってくれば解決だ。
「まあな」
これはまた歯切れの悪い返事だ。先からずっとこの調子で、全然こいつらしくない。
どうやらこの件に関してらしいが、一体何を隠しているのか。
しかし、事こいつに限っては、その『迷っている姿』さえ計算ずくの芝居に見えて、どうにもうさんくさい。
用心しながら次の言葉を待つセオドアの前、突然立ち上がって寝台から降りたエセルは水差しの乗ったサイドテーブルに寄り、水を入れてコップに口づけた。
「エセル?」
「目撃者の件だけど、あやしいな」
「なに?」
あやしい?
「うそなのか?」
「いや」
首を振る。
「一応調べたが、目撃した者とガザの間につながりは全くない。祝宴を開いている町長の館へわざわざろくでもない夢話を持ちこんだりして利があるとは思えないし、騙っているようにも見えなかった。事実だ。そこまではな。
ここからは俺個人の論になるから確証はないが、まず当たりだろう。ガザンに、これが魅魎の仕業であるとこちらに思わせるつもりがなかったのなら、あれは予想外の出来事だったんだ。
その気があったとすればわざわざ朱の広場で、しかも偶然その場に居合わせたたった1人の目撃者を作るなんて面倒はしないだろうし、当時この家は宴の真っ最中。そのただなかでさらったとして、一体だれが魅魎を止められる? 目撃者も大勢できて、ばんばんざいさ」
……たしかに。
かすめるようにさらうとは、魅魎らしくない心配りだ。まさかさらわれる側であるシェスタ嬢の気持ちを汲んで、などあるはずもない。
彼女が魅魎にかどわかされた者として以後どううわさされようが、魅魎には知ったことではないのだ。とすれば、それは首謀者側の思惑だったのだろう。
『誰にも気付かれることなく彼女をさらってこい』
「だがそれだと今おまえが当然と思ったとおり、王都から退魔師を呼ぶ恰好の理由となる。それが目的でない限り、仕掛けた者としては目撃者の存在は好ましい状況じゃない。
魅魎の手引きをした者がこの国でどういう罰を受けるか知ってるか? 少ないが、過去において前例がなくはない。
それがどんな理由・状況下においてであれ、即死罪だ。墓も作られず、その死体は野の獣に引き裂かれるがままに放置される。
他人の命を巻きこんでも許される理由など存在しない……これは国の法でなく、人間そのものの法だな。同族を裏切り、危機にさらす者は、それだけで決して許されないんだ」
最後、加えた辛口は皮肉に歪んでいた。
まるで『人間』そのものを嘲るように冷たく突き放している。自分も人のくせに。




