第11回
直後、思ったとおりエセルが身を起こす気配がする。
道をはさんだ家屋の屋根に触れて、燃え尽きる寸前の輝きのようにきらめきを強める反射光によって朱に染まったベランダへと顔をそむけたまま、セオドアは続けた。
「おまえがなぜ呼んだのかは分かった。退魔をさせ、こちらのご息女のシェスタ嬢を救出させたいのだろう。その気持ちは分からんでもないが、無理な相談だ。リィアはシエルドーアの町だ。わたしはシエルドーアに所属する退魔師じゃない。
町を預かる長のするべきことは、消えた娘のために日々泣き暮らすことじゃなく、一刻も早く王都に報告することだ。
対処は国が考える。目撃者がいるのであれば早々に王都所属の退魔師か、近辺の町に配属されている退魔師が派遣されて来るだろう」
口にしたセオドア自身の胸に突き刺さる、冷たい言葉だった。
言いようはもう少し改善できたかもしれないが、セオドアにはこれが精一杯だし、どう言い換えたところで内容は結局同じだ。
魅魎の介入があった形跡があるというのに、動かないと、言っているのだ。
もし魅魎が本当に関わっているのなら――それは目撃者本人から聴取しなくては確定することはできないが、法師のサリエルが怠っているとは思えない。彼女が認めているところからみて、事実なのだろう――まだ被害が出る恐れがある。
この町には法師しかいない。その探知能力も封じられた状態では、彼女と自分だけでも手に余る広さだというのに。
自分は、放棄しようとしている。
「……わたしは、幻聖宮に籍を置く者だ。まして出立の儀もしていない候補生。退魔師として動く資格すらない。他国の退魔師の領分を犯すのは避けるべきだ」
口にするのは正論だが、これは建前で、自分自身にとって言い逃れであるのは間違いなかった。
卑怯者と誹られてもいい。未熟な自分が考えなしに動いたその結果、どうなった?
5カ月前の二の舞は避けるべきだ。
それに、セシルとも約束したじゃないか、この町に迷惑はかけないと。
釘を指したつもりだった。ほかならない、自分に。
忘れてはいけない。自分は、退魔の知識はあっても魔断もいない、ただの候補生で、しかもおちこぼれなのだ。たった1人で中級魅魎を相手どれるなどといったうぬぼれを持つのは百年早い。
「………っ…」
こみあげた生温かな嘔吐感に口元をおおう。
どれだけ弁明を浮かべ、これは正しい判断だと思いこもうとしても、自己嫌悪の吐き気はおさまらなかった。
重苦しさを増した胸。指先から血の気が失せ、ロ内に、砂を含んだようなざらりとした苦味が広がる。
「なにをいまさら」
エセルは至極当然と返してくる。それがルビアでのことを指しているのは間違いない。
どうして分かってくれないのか……苦々しい思いで舌打ちをした。
たしかにあのときは退魔に走った。そうせざるを得なかった、というのもあるが、第一にあれは向こうから襲ってきたせいだ。
自分の身に降りかかる火の粉まで防いではいけないということはないし、それに、あそこには剣師のルチアや朱廻といった、手練れがいてくれた。
サリエルが悪いわけではないが、法師に戦闘時の支援を期待することはできない。
ましてやすでに妖鬼の街と化していたルビアはともかく、ここには大勢の一般人がいる。へたに刺激したりすればどこにどれだけの被害が出るか知れたものじゃない。
人命にかかわる、そんな責任など自分には負えない。
「あのときとは事情が違う」
もろもろをひっくるめて返した言葉は、いつもと違って素直に責める響きを表に出せていた。
応答よりも、むかつきのほうに気の大半を奪われていたせいかもしれない。
普段が普段のセオドアから表れた意思表示であるだけに、これは相当深刻なのだと受けとめなくてはいけないのに、しかし一向に変わらない、そういうところでは無表情よりタチが悪いのではないかという脳天気な顔でエセルはこう応えた。
「どこが? たしかに町の規模は違うけど、魅魎が出て、おびやかされる人がいて、配属されている退魔師の力が足りない。それに…………だ」
「なに?」
最後、つぶやいた独白が胸の琴線に触れた気がしてセオドアは、視線をあわせることを拒んでいたことも忘れて正面を向いた。
「ん?」
「何て言った? さっき」
「ああ……うん、おまえも言ったことさ。おまえは、幻聖宮の者だって」
くり返された言葉は先に聞き逃したものとは微妙に違っているような気がしたが、ロ調の軽さとは裏腹に、エセルの目には有無を言わせない強い光が浮かんでいる。
そんなエセルに詳しく問おうとした気が失せて、口を閉じ、おとなしく次を待つセオドアに、エセルはあの、自信と魅力にあふれた不敵な笑顔でもって、いけしゃあしゃあとこう言ったのだった。
「おまえはどこの国にも所属しない、候補生だ。知りあいに呼ばれて遊びにきた先で魅魎と遭遇した、不運な見習いが人々を思いやる正義感と自己防衛でしたことを非難したりすれば、それこそしたほうが大人げないと言われるさ」
くつり。
とことん意地の悪さを証明するも同然の笑いを語尾に交える。
(こいつ、そこまで考えてわたしを呼んだのか……?)
まじまじと見つめ、視線を合わせた瞬間。
ひんやりとしたものが背筋を伝い下りた気がして、セオドアは知らず身を振るっていた。
すっかり言葉を喪失してしまったセオドアに、「だからさ」と、言葉を継いでエセルはそのご自慢の饒舌さをさらに披露しようとする。
「実際におまえが動くか動かないかといった、それはともかくとして、こちらとしては事件の存在を知った以上、全部知っておいてほしいんだよ。不測の出来事がこの先起きないとも限らないし、だれかに意見を求められて返せないと、おまえの肩書だと困るだろう?
まだ候補生だからといちいち説明していたら、それこそ芋づるで知られたくないことまで話さなくちゃいけなくなるんじゃないか?」
それくらいしてくれるよな、との言葉には、不思議なくらい素直に頷けた。先に悪どいたくらみを聞かされて、毒気を抜かれたせいかもしれない。
膝上に立たせて組んだ指の上に顎をのせ、真面目な顔をして語られるその言葉は、真実からに思える。
実際エセルの言い分はもっともで、個人的な感情を抜きにすれば理解できるものだ。加えて、声自体恵まれてさわりのいい、豊かなものなのだし、もともと人の目を引きつける魅力には富んでいる者である。こんなふうに見つめられながら頼まれて、はたして断れる者がこの世に何人いるだろうか。
退魔してほしいと言われなくて良かったと内心では胸を撫でおろしながら、セオドアは椅子の背もたれに背中を押しつけた。
沈黙を同意ととったエセルは、満悦の笑顔で話を再開する。
「さて。先の語りのままだとかなり疑問が出る。
なぜ証拠もないのに首謀者をガザンと断言したか。なぜ『さらった』のか。なぜ目撃者は殺されなかったか。なぜ館から消えたシェスタが朱の広場で目撃されたか。そして肝心の疑問。
どうして王都から正規の退魔師を呼ぶことを拒んでいるのか」
エセルの上げた数々の疑問。特に最後のものに、目を瞠る。
たしかにそうだ。これは不明な点が多すぎる。いや、不明というよりも不備の点、だ。聞いたあのときは手際がいいと思ったが、よくよく考えてみればおかしなことだらけだ。
もしシェスタをさらったのがガザンだとすれば、理由は、まず間違いなく夫人の言っていたとおりだろう。王都の上級貴族との縁談の妨害だ。
彼女を通じて町長がさらなる権力を得ることを防ぐために謀ったに違いない。その手段として邪法師を雇い入れ、魅魎の力を使った。
だがそもそもなぜ、誘拐なんだ?
破談にするだけならもう少し穏やかな方法で、悪質なうわさを流すという手もあるじゃないか。
物騒なことをあえて言わせてもらうとすれば、殺したほうがてっとり早い。事故に見せかけてもいいし、それこそこの結婚をきらっての自殺に見せかければ、相手側をこけにしたということでなおさら都合がいいだろう。
人の身で、人間は自分たちの餌でしかないと決めつけている魅魎なんかを自在に操ろうなどと、諸刃の剣を素手で握るよりも危険すぎる行為ではないか。
しかも相手は下級でなく、中級の魅魎……高慢で尊大で強欲、常に恣意的で我欲むき出しという、この世において最低最悪の化物だ。
ちょっとした手違いで自滅を招きかねない、そんな無謀極まりない方法をとるくらいなら、刺客を送るなり毒をもるなりの手段をとったほうが、よほどましというものだ。
どんな阿呆でも、それが全く予測できないはずはない。それをせず、危険を犯してまであえてさらったというのなら、生かして帰すつもりがあるということだろうか? それとも、まだ何か裏があるのか?
そういった意味あいの意見を返す。聞いたエセルは、さて、とおもしろそうに輝きの強まった目を細めた。




