第9回
魅魎召喚。
それは、それなりの能力の持ち主であればできただろう。なにも幻聖宮に集められる者ばかりが能力者ではない。その内にある力を見出されることなく育った者も、世界には数多くいる。
成長するにつれて己の非凡な才に気付き、自在に操る方法を独考により得たかもしれない。陣や道具といった媒体は、要は集中力を高め、不可視な力を最大限に活用するのに最も楽なかまえをとることができさえすればいいもので、特にこれといった決まった形や法則をしているものでもない。
ちょうど剣師や封師が使う封魔具のようなものだ。
セオドアは真球の翠玉を使うが、剣を使う者もいる。糸や水、鎖、弓、鏡と、個人によってさまざまだ。
だが守護結界は違う。念を高め、蜘蛛の糸よりも細くして大気中に幾重にも織りこんで魅魎の侵入を阻むというその方法は、幻聖宮でのみ伝授されるものだ。
法師である彼女にさとられることなく、ましてや町規模でなく個体単位で張るなど、相当熟達した能力者でなくては不可能と言っていい。
そういった知識により、サリエルがこれは自分と同じ法師の仕業であると結論づけるのは当然として、しかしそれでも、セオドアにはおいそれと納得できることではなかった。
よもや退魔師がそんなことをするなんて。
信じられない。いや、信じたくない!
退魔師は魅魎より人々を守護する役目を担っている。なにより人命を重んじ、己の命を賭けて人々を残虐非道な魅魎から守るのだ。
その生き方に誇りを持つ良識者ばかりだからこそ、入国許可書不要や町中での帯刀許可などといった特権を与えられているというのに。
退魔師の裏切りは、日常的に起こり得る一般市民のそれとははるかに次元が違う。これまで退魔師が築いてきた信用、仲間の顔をつぶすだけに足らず、消えない恐怖を未来に残す。
これからも十分起こりうることだと……。
「魅魎を見たというのは、可能性だけでも、重大なことです。
早急に、王都に連絡をとり、退魔師を派遣してもらうべきです」
知られるわけにはいかない。まだ町長や夫人たちはそこまで考えを到達させてはいないはずだ。
サリエルも事の重要性を知っているからこそ、はっきりと断言することを避けて、におわせてきたのだ。これが正規の退魔師の仕業であるなどと、絶対にさとられてはいけない!
その一念で、セオドアは差し障りのない助言を口にした。粟立った両腕を服の上からおさえこみ、その内にある震えを隠そうとする。
待て、と叫ぶ声があった。あせりに先走りそうになる思考を妨害し、最悪論へ到達するのを食い止めようとする考えが頭でしている。
まだ、はっきりとはしていない。
まだ、その者が幻聖宮で学んだ正規の退魔法師であるかどうかも分かっていない。
これは、あくまで推論にすぎない。
広い世の中には特例的な出来事がごまんと転がっている。幻聖宮でしか手に入らないはずの魔導杖をルビアで手にした、自分がいい例じゃないか。
断定してはいけない。
知識はあくまで数ある可能性の中から有力なものを選択するためのものであって、ほかから目をそらして、それ以外ないと思いこむためのものじゃない。
法師は……そもそも、攻撃を受け持つ剣士や剣師と違って、防御を担う者たちだ。『流れ』になる者たちじゃない。
『流れ』は、ひとつの国に与することをきらって独立し、退魔を金で請け負う者たちで、だから、防御の法師がなるはずがない。
けれど、魅魎を操る術を会得したのだとしたら?
結界の内側へ魅魎を呼び入れ、その自由を封じた上で悪事に利用することを思いつき、実行しているのであれば……。
身の毛もよだつ考えに、ぞっと寒気が全身から熱を奪い去っていく。
「犯人は、分かっています!」
重い沈黙に堪えかね、叫んだのは夫人だった。
「ええそうですとも。いかにもあの男の企てそうなこと! このような卑劣極まりない策略など、あの恥知らずな男以外、だれも、考えつきもしませんよ!」
「アメリア、そんなことを口にしてはいけない。何も証拠はないんだ」
「証拠なんて……! 証拠などなくとも、あの男の仕業に決まっています! だって、ほかに思いつく者がいますか? この町で、わが家にこんな仕打ちをしようと企む者なんて!
わが家が王都の上級貴族と縁戚関係になることを妬み、恐れて妨害に出たのでしょう! ええ、ええ、私には分かっておりましたよ、分かっておりましたとも。あの男がこの町に現れたときから、分かっていました。あれはいつか、わが家に害を為す者であると…!」
「アメリア」
長くせきとめられていたものが一気に溢れ出したように、すっかり気を高ぶらせて泣き伏した妻をなだめようと町長が肩を抱き寄せる。
「ああシェスタ。かわいそうな娘。魅魎に捕まるなど、どんなに恐ろしかったことでしょう! こうしている今も、どこでどのようなめにあわされているか……。
あの娘が一体何をしたというの? 何もしていないではありませんか! あの娘はとても心の優しい子で、だれからも愛されて、幸せになってしかるべき娘ですのに……あの娘を、そんなめにあわせるなんて。ガザンは鬼です!」
「アメリア、客人の前だ。慎みなさい」
娘の身に起きた事を憂い、夫の胸にとりすがってさめざめと泣く。
夫人は、髪を慌く夫の慰めにも頑なに首を振り続け、声にならない言葉のまま、ガザンを罵り続けた。




