第7回
娘、という言葉にふと思いあたって、セオドアは先に室内を見回した際目にしていた、クレオの後ろにかかった肖像画に目を向けた。
そこには、今より少し若い2人と、椅子にかけた1人の少女が描かれている。
夏花の髪飾りをつけ、長毛の猫を膝に抱き、無垢さを強調する青白いドレスをまとった愛らしいその少女は、深く澄んだ青い目と絹糸のようななめらかさをした銀の髪をしていた。まさしく『天下る銀糸』という言葉があてはまる。赤みの足りない白磁の膚は見る者に冷たさを感じさせるものなのに、この少女に限っては温かみを伴った豊かなものとなるようである。
ちょうど身体的に中性的な年頃であることもあって、彼女は人にあらず、月の光より生まれた乙女なのだと言われても素直に信じてしまいそうな、清楚可憐な聖少女だ。
長く見つめすぎたのか、セオドアの視線を追った町長婦人が
「これは7年前、娘のシェスタが10歳の誕生日を迎えた際に記念として描かせたものです」
と説いてきた。
では17になった今は幼さも薄れ、あどけなさのかわりにさぞかし艶やかな、においたつような美貌をまとった女性へと成長していることだろう。その眼差しに焦がれ、向けられることを望む男たちは数多いるに違いない。
容易に想像のつくことに胸中で頷きながら、身を切るような痛みからようやく立ち直れた気配に気付いて町長へと目を戻した。
「……事の起こりは、今から半月ほど前です。シェスタが17の誕生日を迎え、晴れて嫁ぎ先も決まり、この館で盛大に祝っておりました。
お相手の方は、これ以上ご迷惑をおかけすることもできませんので、名は申し上げられませんが、王都に居をかまえられる上級貴族のお方で、目的地へ向かわれる際にこの町へお寄りになられ、わが館にご滞在なされた際、娘をお目にとめられたよしにございます。
政争により没落し、あるのは爵位ばかりの下級貴族であるわが家には到底望めぬと思っておりました良い縁組で、ぜひ妻にと請われたときは、館の者ともども私たちもたいそう喜んでおりました。
けれどどうかそれはわが家再興のため娘を犠牲にした謀であるなどと、お疑いのなされぬようお願いいたします。
情のない、娘の外見にばかり惹かれた不届き者ならば、いかな手段をこうじられたとて私たちも決して首を縦には振りませんでした。そのような者からの求婚は、昔より幾度となく断り通しております。
かの方はそういった輩とは違い、娘の心にこそ価値を見出されたのでございます。
また、娘のほうも「話していて楽しい方」と、厭うてはおらぬようでしたので、かの方のもとであるなら娘もさぞかし幸せになれるであろうと、この館のだれもが喜んでおりましたのに……」
そこでまたもやロを閉ざし、まるで老いた胸に負荷をかける憎しみを追い払おうとするかのように眉を寄せながら首を振った。
そうすることで、話すことによってよみがえる癒えない痛みに乱れることなく、心を保とうとしているようだった。
短い沈黙のあと、発せられた声音は先ほどまでとがらりと変わって、冷たく、険しさまでもはらんだものとなった。
「宴席のさなか、いつの間にやら娘の姿が見えぬことに妻が気付きました。
もともとああいった騒がしい場を好まぬとはいえ、自分を祝うために集まってくれた者たちを蔑ろにして、黙って席を抜けるような娘ではありませんでしたので、おかしいと思い、ここに控えているクレオに様子を見に行かせたのでございます。
酔い冷ましに庭か、休憩用にかまえた小部屋にでもいるのだろうとばかり思っておりました」
だがその予想が大きくはずれたというのは、言葉として聞かずともセオドアにもおのずと知れた。しかもただの杞憂だったとの、安堵を伴う良い方にではなく、不安や恐れをかき立てるばかりの悪い方へ。
シェスタの姿は、そのどちらにもなかった。それどころか彼女は忽然と消えてしまった。
「館中くまなく捜索しましたが、娘の姿はどこにもありませんでした。門の番に立たせていた男たちも、シェスタを見かけることはなかったそうです。
祝宴を知った無粋な狼籍者の乱入を警戒して、若い者に何度か館の周囲を見回ってもらっていたのですが、どこにも、それらしい不審な影もなかったとのことでした。
娘は……娘、は、魅魎によって、連れ去られてしまったのです……!」
町長は、自ら口にする出来事への恐怖にもはや堪えられないというように、ばっと顔面をおおった。「あなた」と、横の夫人がいたわりの手を伸ばすが、彼女の頬にもすでに涙の筋が伝っている。後ろでは、引き裂けんばかりの主人の心を慮ってクレオが袖を濡らしていた。
この3人の心を暗黒に閉ざし、長く苦しめ続けているのが絶望であるのは疑いようがなかった。
人外の存在であり、何よりも恐怖すべき対称である魅魎と関わりをもった人間にとって一番の良策は、諦めることである。
目をつけられた娘の不運さを嘆き、悲しみ、そしてできるだけ早く諦め、立ち直ること。
傍若無人の気まぐれな魅魎の介入を受けた場合、その者が無事な姿で帰ってくる可能性は万にひとつもなく、ましてや命があることすら奇跡に近い。
唯一の救いといえば、この少女が、どうして今まで魅魎の目にとまらなかったのか不思議なほどの美貌の持ち主だということだろう。
しかも、ただ美しいというだけではない。あきらかにこれは種を超えた美貌だ。
唯美主義の上・中級魅魎が相手というのであればすぐさま生気を喰われるということはなく、まだ生きている可能性は高いが、そもそもが人を人とも思わない輩だ。意思を尊重され、満足な扱いを受けているとは到底思えない。
警吏が遺族に身内の死を告げるのと同様、犠牲者の身内にそれを告げるのは退魔師の行うもっとも酷な仕事のうちのひとつだけれど、それを口にする前に確かめなくてはならないことがいくつかあった。
なぜこれが魅魎の仕業であると思ったか、である。
「目撃した者が、いるのです」
質問に答えたのは夫人だった。
愛娘を手の中から奪い去られた現実を厭い、己の無力さに打ちのめされた夫を気遣って抱きしめながら、気丈にも当時を思い起こし、詳細な説明をする。
「その者の言葉によれば、朱の広場にある噴水のそばで、銀の髪に鉛色の肌をした、威容の男が気を失ったシェスタを抱きかかえていたのだそうです。闇の中、全身を、白く輝く紅い炎で包んでいたとか……。
人でないというのは、目にした瞬間に分かったということです。あいにく私は幸運にもそういった類いのものを目にしたことは1度もありませんが、サリエルが申しますには、同種でない者の存在感とは、たとえどのような姿をしていようと、おのずと分かるものなのだそうです」
最後、退魔師であるセオドアに向けて、夫人はいささか失礼な失言を発したのだが、まるで自覚のない当人のセオドアはそれと気付かず、それはそうだ、と単純に同意を示す頷きを返した。
人とは異なるもの――悪夢の中にときおり現れる悪鬼そのものの魎鬼や、本性が抜き身の剣である魔断に限らず、人型をした上・中級魅魎もまた、独特の威圧感という存在感を持っている。
身に備えた強大にすぎる超常能力に加え、はたして終わりがあるかどうかも定かでない膨大な時間のためか、誇り高い、何者にも汚し得ない孤高めいた鋭いそれは、たやすく見る者の胸を圧迫し、『自分とは違う』存在であるということを往々にして知らしめる。
そして、理解を困難とする『違う』存在に対し、人は、神経質と思えるほど敏感に、過剰に反応し、自分と同じ空間に存在すること自体を忌みきらうのだ。
それを思いやって、知らぬうち、半ば目を伏せたセオドアに気付かず、夫人はさらに言いつのった。




