第4回
●リィア
「町だ…」
エセルの言葉どおり、昼前には見え始めた白く輝く日干しレンガの防砂壁に、セオドアはつぶやいた。
幻聖宮を出てはや5日。ようやく目的地に着けたのだから安堵からなのだろうが、相変わらず抑揚というものが欠落した声である。
が、町の内部事情を少なからず聞かされたあととあっては、案外ふさいだ気持ちも入っていたかもしれない。
先に立ったエセルのあとに続いてイマラを進め、門の前へ立つ。門塔に配された門守らしき男がすぐ2人に気付き、門を開く指示を下の門番に向けて出してくれた。
「よお、エセルじゃないか!」
「今度はずいぶん早いお帰りだな。あと1カ月は帰らないとばかり思ってたぜ」
「遅くとも5日で帰るって言ってただろ」
「そりゃまあそうだが……先に言った予定どおりになるってのが経験上めずらしいもんでね」
「それはおまえに限ってだ」
「違いない」
くぐった早々門を引き開けてくれた門番2人から親しく話しかけられる。かなり懇意の仲のようだ。
エセルにならってイマラから降り、待機所を出て近寄ってきた門守に許可書を提示する。渡された書面に滞在予定日数、目的、名前など、一連の質問要項への返答を書きこみ、イマラを預けるといったひと通りの手続きをしていたなら、許可書をひもといた門守がヒュウとロ笛を吹いた。
「おいエセル。おまえ、いつの間に幻聖宮の退魔師殿とお知りあいになったりしてたんだ?」
にやにや笑ってセオドアの肩越しにエセルを見る。
留守中のことについて先の2人と話していたエセルはその問いかけに振り返り、セオドアをちらと見て、「まあな」といった、無難な返事を返すと首を傾けた。
まだ何か口にすると思って見つめていたセオドアの前、そのまま自分の話のほうへ戻ってしまう。
違うとの訂正もしてくれず、むしろ暗に肯定したも同然のその返しに、セオドアはすっかりあわててしまった。
冗談じゃない、これ以上無責任なうそが広まってたまるものか。同類項でくくった入国許可書のほうはともかく、宮母直筆の外出許可書にはちゃんと『候補生』という言葉が入っているはずだ。
それを示そうと門守の背に手を伸ばしたとき、背後から聞こえてきた男たちの軽口が、セオドアの動きを凍りつかせた。
「そういやすっかり忘れてたけど、おまえが近々招くって言ってた友人って退魔師なんだっけ。彼女がそうか。まさか、女とはな……。
ま、その色男ぶりなら十分あり得ることだが、それにしたって、おい。ちょっとやばいんじゃねえか? 女連れで戻ったりして、サリエルさんに怒鳴られるぜ」
「そうそう。愛人同伴は許しませんってな」
……な、に……?
自分を、言うにことかいて『エセルの愛人』と呼んだ、あまりの驚きにほかの一切がふっとんで、目を見開いて振り返ってしまう。
鉄面皮という固い殻を突き破るほどのセオドアの驚愕も知らず、はははははと豪快に高笑って、男はエセルの背をばんっと叩いた。
門番は職務として町長より任命・配備される門守と違って、腕に自信のある町の若者による慈善奉仕だ。
エセルより上背があり、体格もかなり良い筋肉質な男の一撃は、戯れでも相当力があるようで、エセルはよろめいてしまっている。
「よせ。違うよ、彼女は」
軽くむせ返りながらの応えに、しかし男は知ったかぶりして形ばかりにうんうんと頷く。
「分かってる、分かってるって。知りあいなんだよねえ、単なる」
「問題は、サリエルさんがそれを信じるかってことだよな。
あのひとってああ見えて、けっこうそういうのに容赦なさそうだもんな。なんたっておまえにゾッコンだし。きっと、ここぞとばかりに愛人連れこんだって思われるぞ。
ちゃんと彼女へのうまい言い訳考えてあるか? 今夜部屋を追い出されても、俺んとこには転がりこんでくるなよ。先客があるからな」
2人の男が意味深な視線をあわせての含み笑いを伴った会話は、どんどん低俗化してゆく。
エセルには悪いが、あまり品のよい友人とは呼べないようだ。
幻聖宮は年頃の男女が全寮制で6年間生活を共にする。それだけに規則は厳しいのだが、色恋沙汰ばかりは防ぎようがない。
セオドアも男女間の痴情のもつれや醜聞など、それなりに見聞きしてきているので、こういったことに関して世間知らずの初心さを気取るつもりはないが、だからといって、好きなわけではない。
こういった話題を好まないセオドアは、げんなりしていつものようにさっさと見えない手で耳をふさいでしまうと、書き終えた書類を門守に提出して許可書を返してもらった。
幸か不幸かこの十数年で、彼女は聞きたくない話には一切耳を貸さないですむ技を会得していたのである。
さて、次は宿泊先だ。
この町は初めてということで、門守がおすすめの宿名をいくつか記した紙を渡してくれている。話しこんでいるエセルの邪魔をしては悪い、というのを理由にこのまま無視して行ってしまおうと決めて紙の略地図に目を落としていたら、横から伸びた指がひょいとそれをかすめ取った。
「必要ないよ、俺が一番いいとこ知ってるから」
いつの間に近付いていたのか。まるで気配を読めなかったことに一瞬心臓が大きく脈打って、即座に返答が返せない。それをいいことに、ちゃっかり者のエセルは率先するように先に立ってすたすた歩きだした。
「ほら、こっちこっち」
にこやかに手招きをしてくる。
背中にちくちく刺さってくるのは、先の門番たちの視線だろう。
超常能力を駆使する魅魎を専門に相手取ることを生業とする退魔師は、しばしば『普通の者たちとは違う、特別な能力の持ち主』という目で見られる。
(そういえばセシルが、自分が初めて配属される退魔師だと言っていたな)
だとすれば、こういった珍獣を見るような視線もうなずける。……今回の場合、それに『エセルの連れてきた女友達』という興味もあるようだが。
入った早々これでは、この先どうなることか。
やはりここへきたのは間違いだったかもしれない。
後悔先にたたず。つきかけたため息を飲みこんで、とにかく先を行くエセルの脇につくと、まっすぐ宿へ案内するように言った。
「どうして? ついでだから町を案内しようと思ったのに」
当たりだ。
「それはあとでいい」
長剣は町に入る際、門守に預けなくてはいけない。携帯を許されるのは退魔師のみ。
こんな、いかにも「わたしは退魔師です」と公言するも同然の目立つ格好でいつまでも歩いてられるものか。それだけの実力もないのに、羨望ばかりあおるなんて。うそを吹くも同然じゃないか。
「ふうん」
エセルは、後ろめたがるセオドアの内心を読んでかどうか判断つきかねる、微妙な返事と表情で応じてくる。
イルのとき同様、長剣を剣帯ごと腰からはずして荷物と一緒に手で持ち歩きながら、セオドアはちらちらと周囲に目を向けた。
なるほど、路の舗装も町の清掃も行き届いている。先にくぐった防砂壁も修復作業がきちんとされていてしっかりしていたし、緑の配置もみごとだ。
きっちり区画ごとに建てられた家屋に個性が足りず、どれも似たりよったりで、内側もある程度想像がつくというか……間取りが似たような造りのものばかりというのが暗にうかがえて、そういったところの趣は今ひとつだが、それは町の成り立ちを思えばしかたがないだろう。
それに、機能性や実用性を優先しているだけあってこざっぱりとした感があって、これはこれでいいと思うし。
それよりも、まだ昼前だというのにあまり人の出歩く姿がないのが気にかかった。
市場へ出向いているのかも知れない、屋内で昼食をとっているのかも、との考えも浮かんだが、家の前から離れようとしない子どもの姿というのがどうも訝しい。
子どもの遊びとは、もっと快活でしかるべきなのに。
かといって、魅妖に犯されたルビアに入ったときのように、これといった妙な気配も感じられないので、セオドアはそれ以上懸念することをやめた。
どうせ先に聞いた、ガザン関連のことに違いない。いつ、どこでどんな被害が出るか分からない。不安で心配な親に、目の届く位置にいるようきつく言いきかせられているのだろう。
権力者の横行に迷惑をこうむるのは、いつだって一般市民だ。
エセルは厚意を抱いているようだからロにするのは憚られるが、その町長の善人ぶりも知れたものだ。
ただ穏便にことをかまえずにいることだけが最善の策ではない。町民のことを思うなら、ガザンを排斥するくらいの決断を考えなくてはいけないだろう。それもできず、いつ巻き添えをくうか知れない不安に町民をおびえさせるだけなら、いっそガザに主権を与えたほうがマシかもしれない。
何が起こるか分からずにびくびくして毎日をすごすより、まだ対処方法が明確に知れて対策を組めるほうが、町民のためになるのではないだろうか。この町の者も、その上で決起しない者ばかりではないだろうし。
シエルドーア国王都とて、いくら厄介払いに追い払った敗残者とはいえ、まがりなりにも王命で配した貴族だ。それをないがしろにされていると知ったなら黙ってはいないだろう。
「ほら着いた」
やはり性分か、気にしなくていいと言われていることだというのにあれこれ思索するセオドアに、足を止めたエセルが目的地へ到着したことを教える。
思考に気の大半を取られた状態で黙々と歩いていたセオドアは、なんの心構えも持たず素直にそちらを仰ぎ見て、瞬間絶句した。




