第3回
セオドアの胸の内などとうにお見通しだ。そう言うも同然の目をして見つめてくる。
実際、彼にはセオドアの思考経路を察することなどさして苦でもない。
あせることになったのは、セオドアのほうだった。
「だ、だけど、イルで――」
「信じないだろうなって言っただけだ、俺は。事実信じてなかったみたいじゃないか、そう言ってくるところをみると」
反対に足をとられたことに、うっと詰まる。
この際、建前を抜きにするとそれは本当のことで、根っから商人のこの男が己の利にならないことをするわけがないと、まるっきり信じていなかったのだが……かといって、それを今、口にするのはさすがに憚られた。
「じ、じゃあ、どうして今ごろ――」
「おまえが大けがを負ってたからだ。初めて魅魎につけられた傷は免疫がない分きついそうだけど、宮はそういったことの専門だし、半年近くたてばいくらなんでも治っただろうと見当つけて、出したわけ。
けが人を平然と呼びつけたりするような者だとまで思ってるわけだ。なるほどね」
火をかき起こしながらの素っ気ないつぶやきに、しまったと胸中で舌打ちをする。
やばい、ますます墓穴を掘っている気がする……。
へたにロを開けばさらに言質をとられるだけなのは読めていたが、かといって、このままにするわけにもいかない。自分に非があった以上、謝っておかなくてはいけないだろう。いくら普段が普段とはいえ、一方的に思いこんで疑ったこちらが悪い。
「悪かった」
神妙な、というには幾分あっさりとした声だったが、とにかく出した謝罪の言葉にエセルは面を上げて視線を戻した。
ふと、その目の光がやわらかくなごむ。
「気にするな。なんとも思ってないよ。
俺は、思ったら相手がだれであろうと我慢しないで言うだろ? その俺が言わないんだから、気にするな。
それより、言っただろ、卑屈になるな。人間前向きなのが一番さ。考え続けるくらいなら行動、どうすることもできなくなったら考えろってね。おまえちょっと考えすぎてるぞ」
ぽんぽん飛び出す言葉は、まったくいつもながら軽妙としか言いようのない、完壁なものだった。
ただ、やはりどこかに遊び心を加えるこの者らしく、それはまるで年端もいかない子どもに注意を促すような物言いであったのだが、あえてそれをとがめる気にはならない。
むしろ、そうして普段どおりの返しをくれることにほっとしてしまう。
「たとえばだ。こういうときは自分の非を認めないこと。おまえがほんとはどう思っているかなんて、結局おまえにしか分からないんだから。相手が知らないことを武器にしないと先手をとられ続けるぞ。
これは駆け引きの場合にも言えることだ。自分の妥協と相手の要求の接合点を見つけ、なおかつそこにつけこむ。
強気に出ることが秘訣だな」
おまえの場合、それがいつも足りないんだ、などなど、だんだん保護者まがいの説教じみた言葉になっていく。
これは意外な一面だ。もっとも、『いつも』という言葉が用いられるほど一緒にいたか? という疑問がなきにしもあらずだが。
傍らの荷袋の口を開き、中をまさぐりながら、とにかく、とエセルは締めにかかった。
「とにかく、俺は無理強いをする気は全くないし、実際おまえに何かしてほしいとも思ってないんだ。
いたいだけいて、帰りたくなったら帰ればいい。誓いがほしいならする。証文がほしいならいくらでも一筆書いてやるから。
だから、そうおびえるな」
そっと横の髪を梳いて、放れた指。
いつの間に距離を詰められていたのか分からなかった。
あまりに自然なその動作と同じで、すっと自分のなかに溶けこんできた思いやり深い言葉に傾倒しかけたころ、「これも信じるか信じないかはおまえ次第だけどな」という辛ロを添えてくる。
いかにもエセルらしいというか……『無理強いはしない』という言葉が出る以上、まだ一癖も二癖もありそうな気がして、全般に渡っての信用をするには大分あやしくはあったのだが……セオドアの中で、エセルの言葉を信じたいという気持ちが、初めて起きた。
罪悪感? それとも、優しくしてもらったから? 好きにしていいという言葉で逃げ道が確保できたためとか?
再会して以来、どうにも気持ちが1カ所でおちついてくれない。情緒不安定なのは宮にいたころからだったが。
把握しきれない自分の心に迷う。そんな彼女に、薄手のマントが投げられた。
「あしたの昼前にはリィアへ着く。もう寝ろ」
いつも通りの顔に戻ってそう告げるエセルの声は、それでもほんの少し、いたわりらしき感情を含んでいるような気がした。
連日の行軍で疲労しているセオドアとしても、それをはねつける理由はない。
身を横に崩し、もぞもぞと寝る支度を整えたあと、
「おまえは?」
と一応訊いてみる。
「俺はもう少しこうしているよ」
その返事を聞きながら、セオドアは枕がわりの荷袋に頭を押しつけた。睡魔が訪れるまでのしばらくの間、目の前の焚き火へと見入る。
固形燃料を使用した場合と違って、枯れ木を使った焚き火の炎は紅色が強かった。火力のほうはそれほど違っているように思えないが、輻射される熱はあきらかにこちらのほうが強く、肌に圧迫感がある。膨張した枝のはぜる音も耳になじみやすくて、眠気を誘う。
あかるい紅の外炎。そういえばちょうどエイラスの髪がこんな色だったなと、ふと思った。
エセルも紅い髪色をしているが、焚き火の炎などとても比ではなく、むしろ比べるほうが愚かしいとさえ思う。
べつに、どちらが劣っているというわけでなく、この5カ月の間、すっかり忘れきって思い出しもしなかったことを弁解するわけじゃないが、ただ、赤い髪の持ち主や炎でエセルを想起することはなかった。
エセルの髪は、むしろ漆黒に近い深紅だ。今のように夜の暗がりを背景にしては、なおさら紅い色は消えて、闇と同化しているように見える。
同じ人どころか、幻聖宮にいる火炎系の魔断たちにも持ち得ない、きっとだれ一人かなわない、幾重にも紅をぬり重ねた……闇にも思える……希有な色……。
徐々にまばたくことをやめて、すうっと眠りにひきこまれる。
いくら知人とはいえ、成人男性を横に警戒も何もない、小さな子どもめいた無防備なその寝顔は、退魔師という肩書どころか張りつめた氷のような険しい表情を片時も崩せないでいる普段など想像もつかないほど、十八の、ただの少女をしていた。
「……まさか、ここまでひどいとはね」
眠りの深さを確信して、ぽつり、苦い表情でつぶやいた。
セオドアを相手にしていた先までと違い、いつになく生彩というものを欠いたその声は、どこか自嘲的ですらある。
そっと己の胸に指を這わせたと思うや、強く上着をにぎりこんだ。まるで、その奥にあるものをつかみ出そうとするかのように。
そうだ。
彼は、いっそつかみ出してしまいたいのだ。決して気付かれまいと、固く、固く閉ざしたそれを。
もしそれができ得るものならば……。
じわじわと、エセルの全身がほのかな紅色の光に包まれ始める。
焚き火の炎に照らされているからではない、ただの人であるなら絶対に起こり得ないそれこそが、まさに彼が人為らぬ者のあかしだった。
人の姿をし、人外の気配を断った彼の内に押し隠された、本来の性を表すもの。
「厄介だよ、まったく」
内でくすぶるいら立ちに、少しばかり危うい輝きを発するそれを目にしないでいることは、セオドアにとってはたして幸いであるのか。
もはやこの先無垢なる闇が彼女の夜を訪れることはないのだとさとっているかのように、セオドアは傍らで起きているエセルの変化にも気付かず、幻聖宮ですら得られなかった、やすらかな眠りをつむいでいる。
桃色の唇から漏れる規則正しい寝息。甘い、吐息にも似たそれを傍らに、けれどエセルは彼女にならうことなく。厳しい表情で、いつまでも、いつまでも、火の中に枝を放りこみ続けたのである……。




