第2回
町長の家族が食事に出た。そこでばったり――かどうかはかなりうさんくさいが――でくわしたガザンとその一連の者たち。先に席とりをしていたガザンの下の者のうちの1人が、酒の勢いにあかせて町長の娘に足をかけて転ばせた。
床は先にこぼれたエールなどで水たまりができていた。ガザンは形ばかりの叱りを発し、かけ寄った者たちに囲まれた娘に手を差しのべて言った言葉が。
『汚れたドレスの費用はこれで足りますかな?』
……いやらしいったらない。
エセルもそれを感じているのだろう、露骨にはぶかれた説明が言葉より明確に嫌悪を表している。
思うにそのガザンという男には、周囲の者たちに自分の力を見せつけ、称賛されたいという、強い承認欲求と自己顕示欲があったのだろう。だからといってそんな理由が他者を辱める言い訳としてまかり通るはずもないが。
もしかして彼の過去には、そういった金銭や権力、権威にまつわることで何か不幸な体験があったのかもしれない。成り上がりと言えぱ聞こえは悪いかもしれないが、身ひとつで下層から這い上がってきた者だ。相応の手腕と強運の持ち主であるのは当然ながら、今手にしている栄光と同じくらい――あるいは、それ以上の辛酸な出来事が――あったのではないか、ということは十分考えられる。
特にシエルドーアなど貴族体制の整った社会では、不当な圧力に苦汁を舐めたことも少なくないだろう。抑圧され、我慢してきた分、報われた今噴き出しているのだとは思うが、にしても自分がそうだったからといって他人にしてもいいということにはならない。それではどうどう巡りの悪循環ではないか。
やはり、いやらしい手段だ。
「正義や美徳だとかより札束に魅力を感じるやつも世の中にはいるってことさ。
それに、目に見えて、手に触れられるものを信じ、大切にすればいいっていう考えは、頷けるところもあるし。けど、それが札束となるとなあ。
ただでさえ大金に付加する力というのは厄介なんだ。物品購入以外に頼ったところでろくなめにあわないから使わないにこしたことはないのに、大低の考えなしなやつらが目をくらませて破滅の恐怖を薄れさせてしまう。しかもその力の元であるガザンは操り方を心得てるときた」
そこでほうっと息をついて肩をすくめると、エセルは苦笑めいた表情でセオドアに向いた。
「厄介だろ?」
たしかに。
おぼろげながら現在のリィアの状況が把握できはじめたセオドアは、同意すると同時に疑問も持った。
それが自分にどう関係があるのか、である。
リィアには現在2つの権力が対立している。
はたして『対立』という言葉があてはまるかどうかあやしいが……とりあえず、ガザンという男は町長に強い対抗意識を燃やしているのだろう。金の力を駆使し、町長を威圧しているわけだ。
そういったものは特に表に出やすい。
ガザンが町民のために無能な町長を排斥しようと全力を尽くし、絶賛されて、だれからもうやまわれている良識派、というのはエセルの話しぶりからしてまずあり得そうになかった。
もっとも、この男の場合、自身の好き・きらいで善悪を判断するきらいがあるのであまり信用はおけないが……それでもうそはつかないはずだ。だから起こったことは事実だと信じよう。
とすれば夜に限らず昼日中も幅をきかせているのもガザンだ。町長が事を穏便にすませようと沈黙するのをいいことに、力にものをいわせ、したいようにしているに違いない。
当然ではあるが、上の者がそうしたなら図に乗るのが下の者だ。さぞかし穏健な町長派の者は不便を強いられていることだろう。
加え、類は友を呼ぶという言葉もあるとおり、そういった輩の下に善良な良識派が集まるとは思えない。金目当ての享楽家ばかりと読んだほうが無難か。
けれど、それが自分にどういった関係がある?
「いやべつに」
尋ねたセオドアに、エセルは笑って、単なる予備知識だと答えた。
「とりあえず刃傷沙汰はまだ起きてないけど、それも秒読みって感じに結構空気が殺伐としてるから。
リィアへ入ったあとで訊かれても、場によっては説明に困るかもしれないし」
そんな物騒な所へひとを呼びつけたのかおまえは!
そう言ってやりたかったが、ますます強まった猜疑心に熱を帯びて細くなったのどは、文句を浮かび上げてくれなかった。
「あー、またそんな顔して」
セオドアの心中を読んだのか、渋い顔していやそうに言ってくる。
「ほんとに他意はないって。何か聞くたびそんな、眉寄せてさ。裏ばかり用心して。
そういや再会してからずっとだな。疑い深いっていうのは度を越すと欠点だぞ。
俺を信じなさい」
にっこりと自信満々の笑顔だ。その、今までというものを全く無視しきったお気楽な言葉は、みごとに今の感情を逆撫でしてきて……。
一体おまえの何を信じろというんだ!
胸のむかつきにあかせ、いっそ、そう言ってやりたかった。
からかっているとしか思えない表情、軽いだけの口。無視や返答拒否こそしないが、肝心の部分に用いる言葉はごまかしや皮肉ばかりで、少しも誠意とか思いやりとかなくて!
わたしは傷つけられて嬉しがるマゾじゃないんだ。もっと明確に、はっきり言ったらどうだ。
「まあーったく。ひとがこれだけ口を酸っばくして言ってるってのに、とことんうたぐり深いやつだな。
何もしなくていいよ、おまえは」
あくまで隠しとおすつもりか、エセルは瓢々とした態度をわずかも崩さない。
これが演技とすれば相当なものだ。
本当に、そうなんだろうか……ためらいが浮かぶ。
だが事実としても、追及されてあせりもせずにここまで余裕たっぷりだと、むしろ偽りっぼく映るものだ。
「用があるから呼んだんだろう」
さあ言ってみろ、と見据えて、セオドアは初めて優位にたてる機会を得られたことに内心ほくそ笑んだ。
どんな用件だろうと絶対断ってやる。おまえが条件にしたのは『リィアへ行くこと』であって『提案をおとなしくきくこと』じゃないんだ。
1度くらい困ってみろ、とイルからずっと胸で温めていた言葉を口内まで浮かびあがらせる。
準備は整い、いつでもこい、と意気込んでかまえた前で、けれどこと口にかけては百戦錬磨の強者・エセルは、こともなげな顔していきなり横から不意打ちをくらわせた。
「会いたかったからさ。そう言ったろ?」




