第22回
封師の教え長としてザーハへ派遣されることが一番の良策――もしかするとときどき蒼駕が訪ねてきてくれるかもしれないし――であるのは分かりきっている。自分1人、我慢すればすべてが丸くおさまるのだ。
理性がそう告げていても、感情が納得しようとしなかった。
なんという身勝手な願いか。母を失い、私生児で孤児となった幼い自分を引き取り、ここまで育ててくれた宮。今の自分は幻聖宮なくしてあり得ない、必ずこの恩を返さなくては、と常々思ってきたはずなのに。それでも心は揺れて、定まってくれなかった。
ザーハで待つのは幻聖宮にいるころより苛酷で、絶望的な時間である。
幻聖宮でいたときのような、いつかはという希望もなく、ただ生きるだけの時間の牢獄。
それを結果としてしまったのは愚かな自分自身だと分かっていながら、それはいまだ彼女には受け入れることのできない未来だ。
どうせあと数日しかない自由であれば、せめてそれだけでも何の干渉も受けない場所で使いたい。
過剰な期待も、心を傷つける見えない刃もない場所。
これは、逃げなのだろうか?
『ゆっくり考えておいで』
そう言って、蒼駕がせっかくとってくれた外出許可ということもある。この歳でまだ候補生という自分を外部に出すなど認められないと、反対した補佐役たちもいたはずだ。その者たちを説得するのは、決して楽ではなかっただろう……。
もしかするとあのとき、蒼駕はこの可能性を思って、あんなに辛そうに表情を曇らせてしまったのかもしれない。
それに気付けなかった失態が悔やまれる。気付いていたなら絶対に、あのひとに迷惑をかけてまで動こうなんて思わなかっただろうに。
そうまでしてもらって「何も手に入りませんでした」などと、平気な顔で帰れるものか。
『感応した魔断をつきとめること』それがこの外出理由。なら、せめてそれを達成してから戻らなくては。
言い訳するくらいなら「これで心残りはありません」と強がった方がましというものだ。
まだ3日だ。
リィアへ行けば教えてくれると言ったのだし、着いて訊き出したあとすぐさま帰ればいい。
エセルの出ししぶる、なにやらきな臭そうな用件だって、聞くだけ聞いたあと、その通りにするかどうかは別問題だと言ってやればいいんだ。お返しだ。
冷たい怒りの満ちた胸で、ひそやかに復讐を決意して。ようやく現実世界へやる気を戻せた彼女は、最後の荷物を袋の中に入れると口を引きしぼった。
「終わりか?」
戸口でおとなしく待っていたエセルが訊いてくる。
「終わりだ」
素っ気なく返して、セオドアは寝台の上に置いてあった長剣を持ち上げた。腰に佩くことはせず、そのままエセルの開いたままのドアをくぐって廊下へ出る。
「支払いは?」
「前払いでしてある」
決意はしたものの、損ねた気までそうすぐには戻らない。
階下へ下りながら投げやり気味に返した粗略な返事に、けれどエセルは機嫌を悪くした様子もなく。ひょいと腰につけていた革の小袋の中から小さめの巾着袋を持ち上げた。
ずっしりとした、見るからに底の重そうなそれが、金の詰まった袋であるのは明白だ。
「封魔具はちゃんと持ってきてるって言ってたよな。じゃあけっこういい品がそろえられそうだ」
「どういう意味だ?」
またうさんくさいことを言い始めたぞと眉を寄せて訊き返したセオドアに、エセルは再会して以来まるで大安売りと言わんばかりの笑顔をにこにこ浮かべながら、
「おまえルビアのとき、どうして封魔具持ってこなかったんだろうってずーっと悔やんでたじゃないか。あげく宝物庫で俺に探させてさ。
ま、持ってきてるならいいや。装身具と盛装衣を買おう。
どうせおまえのことだから、そういうの全然持ってきてないだろ。入り用になるからさ」
と、予言めいた言葉を吐いた。
町へ行くのにどうしてそんな物が必要なんだ?
やはり分からない。
「そうしてもらう義理はないと思うが……」
「いいからいいから」
任せなさい、とばかりに手を振る。
聞く耳持たずのエセルの考えがどこにあるのか、どうにも理解できないまま店の者に部屋の鍵を戻して宿を出ると、商隊の逗留場所へ向けて歩き出した。
大きく膨らんだ陽はすっかり西に傾いて、空は夜の紫紺色を強めている。対照的な位置であざやかに浮かび上がった、針で引っ掻いたようなか細い月。
あと数刻もたてば閉門だ。
「装飾類があればいいけど……その商隊ってどのくらいの規模? どういった物を扱ってるんだ?」
人通りの絶えた道を歩きながら、エセルが尋ねてくる。セオドアは少し考えこんで、「200名ほどだ」と答えた。
女たちは大低ほろをかぶせた荷車の中にひきこもっていたので正確な人数は分からないが、荷車の数からみて、それくらいのものだろう。
「金物類が多いが、研磨師だと言った男がいたからその類いもあるだろう。
おそらく日用品はほぼ全てまかなえていると思う。それらしいことをエイラスが言っていた」
「エイラス? ああ、あの坊や」
くすっと思いだし笑う。
どうやら何かさとっているらしいのだが、あれだけのやりとりで一体何がどう理解できているの
か、今もってセオドアには分からない。しかし、こうやって目を輝かせるとき、その者は何かしらよくないことを考えているのだということぐらいは知っている。
ああ本当に意地が悪い、とセオドアはため息をついたのだが、エセルは一向にかまっているふうもなく、くつくつと笑い続けていた。




