第20回
ひそめた声で、しかも手で口元を囲ってまで言ってくる。その態度にいやな引っかかりを覚えて、ついついセオドアも身を後ろへ退いた。
このちゃらんぽらんな男がそこまで周囲を気遣って隠す裏には絶対に何かある。
しかも、それは自分にとって厄介極まりない内容であるに違いない、ということは、いくら鈍いセオドアでもさとれた。なにしろ竜心珠の件という前例がある。
「悪いがわたしは今忙しい。あまり時間的なゆとりもないんだ。面倒事にかかわっている暇はない。かまわないでくれないか」
自分の問題だけで手いっぱいだというのに、エセルの勝手にひっかぶった災厄にまで手を出すことはできないと、エセルがぶっそうな事を持ち出す前に予防線を張ろうとする。そんな彼女のかたい声になんらかを感じたエセルが、さっと身を乗り出して机上の彼女の手をつかんだ。
「何かあったのか?」
「……べつに、何も......」
ない、そう言おうとした言葉が、エセルと視線を合わせた瞬間に途切れた。
失れた言葉に口元が震え、 すうっと手が冷えてゆく。
まっすぐにこちらを見る、炎の瞳。あれはキーだ。ようやく閉ざすことのできたはずの心が、記憶が、ゆるみはじめる。
これは、絶対に表に出しちゃいけない。
誘導されるまま脳裏に浮かびかけた光景を拒絶するようにエセルの手を振り払い、身を正した彼女は、胸に起きた波を静めるべく、ふうと息をついた。
目を伏せ、無言で平常心を保とうとする。
その間、不思議とエセルは彼女の見せた、あきらかに不自然な反応を問い正したり、返答の続きを促したりしようとしなかった。
彼女のペースで話すのを待っているのだろう。
そう感じて。
沈黙を経たのち、セオドアはやがて耳が拾えるぎりぎりの声で、幻聖宮で自分のおかれている状況をかいつまんで話し始める。その間中、碧翠の瞳はあちらこちらへと揺れ、店内のさまざまなものを捉えたが、一度たりとエセルを映そうとはしなかった。
「って、おまえ、剣師だろう?」
途中一切口を挟まず、ザーハの封師養成所で教え長をすることになったからその準備をしなくてはならない、というところで話を終えたセオドアに、もっともな質問をしてくる。
「魔断のいない剣師が何の役にたつ。せいぜい封師か、下級退魔剣士どまりだ。
わたしは、補充組だからな。封師も、下級退魔剣士も、不足しているわけではない」
封師として雇用される可能性はほとんど望めない上に、自分の名は知れ渡ってしまっている。不確かなうわさでしかないとはいえ、『伝説の退魔師』という肩書を持つ者を封師として出立させるなど、幻聖宮の面子にかかわることだ。願い出たところで絶対許してくれないだろう。
だから宮母も、苦肉の策として、封師の教え長という役職を割り当てることにしたのだ。
だが実績のない自分に、はたして何ができるというのか。
そんな者、教え長として認めてもらえるはずもない。
生殺し、という言葉がぴったり当てはまる。
われながらあまりに暗い未来予測に頰づえをついたセオドアだが、そういつまでも自身を哀れんでばかりもいられなかった。
自分は、別れたその後の出来事を語るために来たわけじゃないんだから。
いくら反芻してもそこにしか結論がいかないのは、今の情報量でそれが最も有力な可能性だからだ。それを変えるには、新しい、強い情報が必要。
ぐっ、とこぶしを固めて意を決めるや、面を上げ、セオドアは食い入らんばかりの眠差しをエセルにぶつけた。
「おまえ、知らないか?」
「何を?」
いきなり真摯な目を向けられて、めずらしく驚いた表情でエセルが訊き返す。
セオドアは早口で言った。「自分と感応した魔断を知らないか?」と。
あのとき、ルビアの館の宝物庫で魅妖と対峙した自分の手に魔断があったのは間違いない。それは、一体誰なのか。
「教えてくれないか、エセル。おまえはあの場にいただろう」
「……そりゃ、いたけど……」
記憶喪失などと、こんな嘘を真剣につけるほど彼女が器用者でないことを知りながらも、エセルはいまだ半信半疑といった顔だ。
「覚えて、ないんだ。だれと感応したか、この手にした魔断はどんな剣だったのか……何ひとつ、思いだせない」
ぎりぎり、ひそめられる限り落とした声でそう言うと、口惜しさに、ずっと見ていた手をさらに強く握りこんだ。
4人がけの席がないのをこれ幸いと、エイラスたちとは離れた奥の席を選んだのも、この質問のためだった。
退魔師でありながら自分のした退魔を覚えておらず、記憶にございませんとは。
知られれば、それはセオドア個人の恥にとどまらず、数千年に渡って築かれた幻聖宮の権威そのものに傷をつけかねない。
魅魍も手を出せない絶対不可侵の聖域とされ、各国に一目おかれる――と、傍目には見られている――あの壁の向こうの世界が、はたして救いを求める人々の想像力をどれほどかきたて、尊敬と憧れの眠差しを受けているかはセオドアもよく知っている。
この生き辛い世界に生を受けた者の希望の象徴、神より人間に与えられた親愛の印とさえ崇められる場だ。
ただでさえ内側でその誇りをザクザク傷だらけにしている自分が、外部にまで漏らして体面を堕としていいはずがない。
エセルにすることさえ、かなりためらうものがあるのだ。しないですむことなら、したくない。その上でしたことだから、どうか真剣に受けとめ、本当のことを口にしてくれと、心から望んだのに。
次の瞬間、持ち前の察しのよさですっかり彼女を読み尽くしたエセルと違い、セオドアは、やはりエセルの性格というものを把握しきっていなかったのだということを思い知らされたのである。
「とろくせーっっ」
ひと声叫んで吹きだす。
おまえ、寝ぼけながら退魔したのかよ。
笑いをこらえた下でようやくそれだけを口にして、さらに豪快に笑うその姿は、彼女の置かれた状況を喜んでさえいるようにも見える。
そんなエセルに、セオドアは完璧に打ちのめされた気がして血の気を失った。
ここまでご読了いただきまして、ありがとうございます。
エセルのこの反応についてですが。弁明をしますと、彼はセオドアが、自分が彼女と感応した魔断であることを知らないとは、この瞬間まで分かっていなかったのです。
彼女に当時の記憶がないと知り、まだ魔断だとバレていないと分かって、ほっと気が緩んで、ああいう態度に出てしまったわけですね。




