第13回
ここからリィアまでどれくらいだったっけ。
幻聖宮で開いた大陸地図をぼんやり思い起こしていると、水音が変わったことに気付いて身を起こした。浴室に入り、栓をして水を止めながら脇に置いてある金属製の容器を引き寄せる。
その後ろに隠れていた物入れの蓋をとって、中に入っていた焼き石を付属のはさみで割って容器の中へ入れた。それを浴槽へつけこめば、ジュッと熱に反応する音がして、またたく間に水が湯へ変わる。
もうもうとたちこめはじめた湯気を横目に服を脱ぎおとした。汗臭い下着をとり、さらしをほどく。
(もう3日使った。8日で帰るつもりでいたが、このままだとトンボ返りになってしまうな)
そんなことを考えつつ二の腕に巻いていた包帯をとると、間に入りこんでいた砂がさらさら落ちた。
二の腕の傷に加え、肘から下のミミズ腫れもきれいにひいていて、跡も残っていないことに少々驚く。
休憩のたび、かいがいしく包帯を変えてくれたエイラスのあの自信も、まんざらでなかったということか。
容器を外へ出し、膚がひりひりするくらい熱い湯舟に顎まで浸かると思いっきり手を伸ばしてみた。
横編みをほどいた髪が水面に広がって、下をおおい隠してしまう。その下にある自分の体を思いやって、セオドアは、やはりあれは冗談だと目を伏せた。
ガリガリで、あばらが数えられるくらい痩せて。まるで幻聖宮がろくな物を食べさせてないようじゃないか。そのくせやたら背ばかり伸びて。みっともない。
実技指導のせいでもともと生傷のたえない体はルビアでの一件も手伝って、うっすらとではあるが消えない傷をあちこちに残してしまっている。
こうして湯に入ったりして熱で肌が上気すると、白く走る線はますます浮き上がってきて……。
こんな体をした女を見て、はたしてだれがきれいだなどと思うだろうか。
傷は、退魔師にとって誇りだと言う者は少なくない。人命を守護し、魅魎との死闘に勝利したあかしであり、己への自信となる。けれど、誇りと書い切れるほどの働きをしていない今、セ才ドアには自分の愚かさの刻印として、ただ醜いだけの痕だった。
こんな女を欲しがる物好きなどいやしない。あれは、勘違いというやつだ。いや、勘ぐり、か。しかもかなり低級の部類の。
悪いことをしたな、と思う。せっかくかけてくれた厚意だったのに。
途端浮かんだ軽い自己嫌悪をふり払うように勢いよくざばっと音をたてて出ると、設置されてある棚から洗い砂を握りとった。それを布で泡立て、すりこむようにきつくきつく体をこする。
そうやって無理矢理消した考えと入れ替わるように頭に浮かんだのは、手紙のことだった。
手紙。
外出許可書を持ってきてくれた蒼駕に、出しておいてくれるよう頼んだ、エセルにあててのやつだ。
ああいった者は単騎で砂漠を渡る分、隊より足が速い。おそらく今日か明日には着くだろう。
砂嵐など、様々な悪条件を考えるとはたして届くかどうかもあやしかったが。
どうも自分には運というものがまったくないらしい、との自覚があるだけに、不安だ。
内容は、誘いに応じる返事と道程。隊に同行させてもらって、イル、トガの町を中継してリィアへ向かう、と記した。
初めての旅程なのでどのくらいかかるか分からない。
結局、不安のもとはそれだった。へたをすると会った翌日に帰らなくてはならないという、あわただしい日程になる恐れがある。それは、せっかく誘ってくれたエセルに失礼だろう。
せめて1泊くらいはしないと。
蒼駕は余裕をもって3週間と目算していた。それを「8日で帰ってきます」と言ったのは自分だ。とんだ楽観だった。
一応3週間で許可は取ってくれているから期限的にはあせる必要はないのだけど……直前でした、セシルとの約束があった。
『いいか、半月で帰れ!』
もちろんあれは一方的な言い逃げというもので、セオドアの都合も聞かずに自分の意向を押しつけて去るような者との約束など守れなくて当然だ、それで意にそわなかったからと怒るなら怒るほうがどうかしている、との見方もある。
だがセオドアには、そんな意地の悪い言葉を言い訳に用いようとの考えどころか、反古にする気もさらさらない。
『気をつけろって、言いたいんだ! 今のおまえは、おかしいから!』
あんなすてきな言葉をくれたのに。そんなことをしては恩を仇で返すようなものだ。
とすれば、とる道はひとつしかない。
夕刻トガへ向けて出る、別の商隊を探して同行させてもらおう。
そうすると先に払った宿代がもったいないという気がなきにしもあらずだったが、こうして風呂に入って汚れをおとせただけでも十分だ。
ここからトガまでたしか1日たらずのはず。明日の昼前にトガへ入って夕方また出れば、翌日にはリィアへ着ける。そうしたら、8日は無理でも10~11日で戻ることができるはずだ。
そう決めて、髪から泡を流したときのことだ。
突然ドンドンというドアをたたく音とともに
「セオドアーっ、いるんでしょー?」
などという、底抜けに明るいエイラスの声が廊下のほうから聞こえてきて。
セオドアは、それを耳にした瞬間めまいを感じてぐらりと前傾してしまった。




