第12回
「今朝、同道したいって言ってきたきみを初めて目にしたときから僕はそう思ったもの。
目がそらせなかった。この白金の髪も、その碧翠の瞳も。肌だって、まるで白桃のようで……こんなにきれいなのは今まで1度だって見たことない。
もちろん、美しい人はほかにもいるよ。だけどきみの美しさは……そう、妖精みたいなんだ。といっても、ふわふわした花のお姫さまとかじゃないよ。自然の厳しさと優しさを併せ持つ、女王のような、凜とした美しさっていうのかな。
きみは、僕の知るだれよりもきれいだ」
セ才ドアの瞳を真正面からのぞきこみ、ためらうことなくそう告げる声は、腹の奥底がぞっとするほど優しかった。
同時に、背筋を冷たいものが走ったのは気のせいじゃないかもしれない、とも思う。
なにせ、こんなことを言ってもらったのは生まれて初めてなのだ。
美しさなんて厄介なもの、いらないと思ったあとなのに、それでも弾む心がかすかにある。
こんな大袈裟な誉め句で慰められるほど情けない顔をしていたのかと恥じ入りながら、はたしてどう返せばいいものか思案し、思いつかないまま、つい、髪を弄ばれるのを許してしまう。
奇妙な沈黙が続いていた。
これまでの経験からいくと、相手が出方を待ってくれているここで何か、気のきいた返事を返さなくてはいけないのだ。が、機会はあってもいまだかつて成功した例は1つたりとないため、浮かんだとりとめない感情は胸の中で言葉という形になってくれず、渦巻いたのはひたすらあせりばかりで。
とりあえず、礼を言うべきだろうとは思う。
だがその先は?
「あ、あの……」
危機感に押されてとにかく声を出したものの、その先何を続ければいいのか見当もつかない。
ひんやりとした指先は、すでにうなじにまで回っている。もう片方の手が脇を抜けて奥の砂地についているということは、まだ接近するつもりだ。
だんだん近付く顔――これが、相当やばいということだけは分かる。
せっかく手放しで誉めてくれた相手にこれは失礼だろうか? そう思いながら、砂についた手で、ぐっとこぶしを固めたとき。
セオドアをこの窮地から救うためか、それともエイラスの顔面が赤黒く腫れあがるのを防ぐためか。
目的はともかくとして、彼女を呼ぶ声が背後からかかった。
「2人とも、いいかげん寝ないと、明日の行軍にさし障るぞ」
言うなり手にしていた彼女の分のマントを間に放ってくる。
「レンダー」
エイラスにはかなり失礼だが、登場を喜ぶ声が素直に口をついて出た。
「何している。おまえはこっちだと言っただろう。さっさとこい」
相変わらず愛想のあの字もない、素っ気ない物言いであるものの、救われた思いでエイラスの脇を抜けようとする。その耳元に、ここぞとばかりにエイラスがささやいてきた。
「服がボロボロじゃん。着替えるなら僕の天幕貸すよ」
お湯だってあるし。
最後にそう茶化した、陽気な声といい、向けられた好感あふれる笑顔はとても憎めたものでなくて、やはり他意の存在は微塵も感じない。
言われてみて、ふと体が汗だくになっているのを思い出した。
背中にシャツを張りつかせたまま眠るのは、いやかもしれない。
上着のほうはともかく、まさかレンダーたちの前で着替えることもできないし。そうすると、町に着くまで無理という可能性がかなり高い。
ぐらりときたが。
『その気ないなら何言われてもついてっちゃだめだよ』
カディスの忠告がよみがえった。
あの言い方といい、表情といい、あれはからかいだとは思う。思う、けれど……。
ここはせっかく気にかけてくれたカディスの心づかいを尊重するべきだろう、と、セオドアは睡魔を理由に断りの言葉をエイラスに返し、少し先で待つレンダーの元へ駆けて行った。
●イ ル
シエルドーア国国境の町・イルに着いたのは、翌々日の昼すぎだった。
内壁に沿って割り当てられた場で、ほかの商隊に混じって入国手続きをする隊からひとまず離れて個人で申請しに行った帰り道。セオドアはついでに宿泊先も決めてきた。戻ってみると、レンダーとカディスの姿がなくなっている。
「ああ、あいつらならいつものように俺らより一足先に町を回ってるよ。許可不要なんて、ほんと、特だねえ退魔師って」
セオドアの質問に、隊の男はあっさりそう答えた。足も止めず、そのまま登録名簿に記入を促す官人のほうへすたすた歩いて行く。
「……そう、か。退魔師は、許可をとる必要はないんだった」
その卵という自覚がいまひとつ足りないセオドアは、許可を求めてわざわざ走ってしまった自分をふり返って笑ってしまう。
退魔師は出立時に、退魔師であることを保証する幻聖宮の証明書が発行される。セオドアも宮を出るときに身分証明書として蒼駕から受け取っていたのだが、今の今まですっかり忘れていた。
(まあいいか。候補生という身分でそれが通じるかどうかは結構あやしいし、仮の身分証明書なんて持っている理由を聞かれたら、説明するのも面倒だ。とっておいたほうが賢明というものだろう)
そう思い直して、次に隊長の姿を探して歩いた。
逗留先がどうの、日数がどうのという書葉がもれ聞こえてきたほうへ近付いて行き、側にいた補佐役に宿の名を教えると再び隊から離れる。
個人の自分はともかく、隊が団体入国許可書を得るには少なくとも半日はかかるだろう。今からだとおそらく夕方の閉門には間にあわないから、ここで1泊だ。
宿に戻ってあてがわれた部屋に入り、浴槽に水がたまるまでの間、寝台に仰向けになった。
ぎし、ときしむ木の音が背の下でする。
どうせ寝るだけとして、一番安い料金にした部屋は、個人用の寝台と浴室、それにとってつけたような棚と机、イスがあるだけの質素極まりないものだったが、それでも大きく息を吸いこむと花の香りがかすかにした。
清潔なシーツの匂い、その感触。
ようやく1人になれたと、全身の緊張が飴のように溶けていくのが感じられた。
気さくなカディスのペースに巻きこまれ、結構和んでいたつもりだったのだが、やはり警戒心が抜けきれなかったらしい。自分でも、こんなに小心者だったのかと苦笑してしまう。
息をつくつもりが、あくびになった。
眠かった。こんなに疲れたのはどれくらいぶりだろう。全身の筋肉という筋肉が熱を含んで、気怠くて。それが妙に心地良い。
魎鬼襲撃のあと、はたして昨夜の出来事などまるで起きなかったかのように、予定どおり夜明け前から行軍を始めた商隊は、その日休憩を数度はさんだだけの日中行軍を強行したのだった。
寝る直前、案外寝こみを襲われるかもよ、と意地悪く言ったカディスのせいにするわけじゃないが、本当にこの2日間、あまり眠れなかった。
睡眠不足の体に砂湊の陽差しはきつい。照りつける陽を満遍なく吸った砂地から放出される熱は、どうしてこれを夜まで保ってくれないのかと毒づきたくなるほどひどくて頭がくらくらする。
情けない話、ここにたどり着くまでの間、イマラに乗っているだけでセオドアには精一杯だった。それどころか意識を集中させておくことさえ難しくて、食欲も出なかった。
ただでさえ少ない口数がめっきり減り、エイラスがいろいろと世話をやいてくれたおかげで大分楽にすごせてはいたが、まさか自分のために行軍をゆるめてくれなど言えるはずもない。
もしまた魎鬼に襲われたなら、きっと、役立たずどころかまるっきりの足手まといになってしまっていたに違いなかった。幸いにして魎鬼に出くわすことなく無事この町へと着けたが……。
ここまでご読了いただきまして、ありがとうございました。
この夜、焚き火を囲ってカディスがシェーラ・シエーナ姫との昔話をセオドアとレンダーに聞かせたのです。
その様子は『魔断の剣10 砂海の魅魎姫』の最終回にありますので、未読の方はよかったらご一読ください。




