第11回
「りゃくだつ……」
気のほとんどを記憶のほうへ飛ばした声でつぶやいた。直後、口をついて出た言葉の意味に目をむくセオドアの前、正解、とカディスがおどけてぱっと手のひらを見せる。
略奪。そうだ、商隊は、ときに誘拐まがいのことまでするんだった。
カリキュラムでとり上げられたとはいえ、それほど詳しく習ったわけではないのだが、隊と、それに身をおく者の規律や考え方は到底理解しがたい部類に入ると思ったものだ。
その最たるものが、これだ。
結納金とばかりに相応の金品を強引に送りつけ、それに家族の者が驚いているころ、隊はすでにその町を出ている。危険な砂漠を家族は追うこともできない。訴えたところで無駄だ。どこの国にも属さず法に縛られない流浪の民を、一体だれが裁けるだろう。しかも彼らがいるからこそ、物流が機能しているのだ。避けられるようになっては困るという内情もあって、暗黙の了承により一切のとがめを受けないその行為は、しかし当然村や町の民たちからは嫌悪されており、俗な歌には「隊はなんでもそうっちゃいるが、若い馬には気をつけな」とかなんとかいうのも……。
まさかエイラスが? 自分を、そんな目で、見てる?
まるで思いもよらなかったことに途端、さーっと血の下がる音が聞こえた気がして口元へ手をあてる。
「結構1人旅の者とか狙われやすいんだよ。そのまま行方不明って形にしたりしてね。
ま、知るも知らないもないんだけど、ほかの者も口裏あわせちゃうし……特に女の子はさ、1度やったらもうこっちのもんって考え方が彼らにはあって……まあこれは隊に限らずほとんどの男が陥る錆覚だけど。
それに、正妻の座は大低いとこたち親族で占められる。多夫多妻制で、正妻以外の女性は兄弟での共有財産扱いになるんだ。
きみが処女ならいいけどね。占有権争いになった場合、1番のエイラスが主張するだろうから。あいつの執着心旺盛な性格からして、まずほかの者には――」
と、カディスは浮かべている笑顔からは想像もつかない、すさまじい内容を実にあっけらかんと言ってくる。
幻聖宮という温室から出たばかりのセオドアの身を案じて、隊に接する際の心構えを話してくれているのだろうが、セオドアは、もう十分だ、聞きたくないと心の耳をふさいだ。
「……その気ないなら何言われてもついてっちゃだめだよ」
まるで幼い子どもに俗世の危険を説くように最後の最後でそう言うと、エイラスが戻ってくるのを目端に入れたカディスはバイバイと手を振って向こうへ行ってしまう。セオドアはそのことにも気付かず、膝を抱いた手に力をこめて、必死に総毛立つのをこらえていた。
これは、彼らの内では正当化されている行為だ。そう思いこもうとして、何度も何度もくり返す。
生涯危険な砂漠を放浪する者たちにとって、新たな血を入れるのは至難の技だろう。だれだって大事な子どもをそんな者たちにやりたくない。敬遠され続けた歴史の中で生まれた、血族存続方法。当然のことだ。
理性は理解しようと懸命になるが、それが自分の身にふりかかろうとしていることをほのめかされた今、感情のほうがなかなか理解しようとしてくれない。
本人の同意があるならまだいい。本気で惹かれあい、連れていってほしいと望んだ者もいただろう。けれど彼らはそんなものおかまいなしのように、なくても腕ずくでさらうという。まるで物か何かのように、罪悪感もなく略奪するのだ。
一個の人間として尊重されるべき意思を失った被害者は、その瞬間、ただの物と同列化される……。
「あれ? どうかしたの?」
のぞきこむように顔を近付けられて、驚きと警戒に反射的、セオドアは身を退かせていた。直後、その後頭部に、ゴンっと車軸飾りの突き出したところが当たる。
「だ、大丈夫? さっき、すごい音がしたよ?」
目撃したときはそのドジさについ吹き出してしまったものの、手をやって痛みをかみしめているセオドアの姿に、あわてて気遣うエイラスの手が伸びた。
「ああ大丈夫みたいだね」
まるで自分のことのように、ほっと心配の色を和らげる。
気をつけなよ、と優しく注意を促してくれて。
「さあ手を見せて。よく効くって評判なんだよ、これ。亡くなった母さん直伝で、僕が作ったんだ」
一緒に持ってきたカンテラを間に置き、砂に腰を下ろすと得意気に笑って、手の中の薬の入った容器を見せてくる。
邪気など微塵も感じられない赤い瞳は厚意に満ちて、柔らかな光を弾いていた。
……うん。エイラスは、悪くない。
セオドアは、痛みでようやく平常に戻った頭でそう思った。
ちょっとおしゃべりなせいか軽薄っぼく見えるが、こうしてひとを思いやる心だってあるし。それに、素直でまっすぐな気性はきらいじゃない。こんな、精神的に逼迫したときでなかったら、懲りずにかまってもらえることを自分も少なからず喜んだろう。
いくら自分には理解できないことをしているといっても、それが隊にとって有用な存続のための手段となっているのは歴然とした事実だ。
隊の者でもない自分が、勝手な倫理を説いてその生き方を批判しようなんて、そんな権利はない。
大体、自分の考えが一番正しいなんて思い込み、それ自体独善的じゃないか。魅魎と同じだ。あんなやつらと同類項なんて、冗談じゃない。
自分のした比喩表現に、知らぬうち、セオドアは嫌悪の眉を寄せていた。
あれは、カディスのからかいかもしれない。
嫌悪感に頭より先に体が反応してしまった罰の悪さも加わって、おとなしく治療を受けながら、そう思った。
彼は結携そういう悪い冗談を嘯くことが好きそうだ。よくよく思い出してみると、話してる間中、嬉々とした顔をしていたし、声も弾んでいた気がする。
第一、エイラスとはまだ会って半日だ。どうしてそこまで思う? 自慢じゃないが、一目で相手を魅了するほどの美しさなど持ちあわせていない。それどころか鏡を見るのもいやなほどだ。
万人から蝋人形と呼ばれるほど表情というものに欠けた顔は、そのくせにらみつけるように目の光ばかり強くて、ひたすら存在を誇示しようとして。
まるで、愛情に飢えた野良猫のようだ。
欲しくても自分からは動こうとせず、じっと与えられるのを待つばかりで、いじましい。
きれいという言葉は、もしかして自分からは一番縁遠いものなのではないだろうか……。
唯美主義の魅魎が跳梁するこの世界において、美しさはもろ刃の剣に等しい危険なものだ。魅魎の恐ろしさについて学び、また経験した身でそんなものを望むほど命知らずではない。
べつに、言ってほしいとかそうでありたかったとか、そういうのじゃなくて、ちょっと、幻聖宮にいる美に恵まれきった者たちのことを思い出して、ため息をついたなら。手当ての途中、エイラスがまたもやとんでもないことを口にした。
「きれいな手だね」
は? と耳にした一瞬、ごちゃごちゃとまざりあってなかなか離れずにいた鬱屈が吹っ飛び、頭の中がきれいさっぱり空白化する。
きれい、だって? 訓練で何度も豆を作り、爪を割った、この手のどこがだ?
すぐ、冗談という言葉が笑いとともに出るに達いないと、じっとエイラスを見るセ才ドアの手のこわばりに、エイラスは首を傾げて補足した。
「きれいだよ。よく使われて、鍛えこまれて。
働く者の手だ。都のほうにも頻繁に行くけど、やっぱり、貴族とかのただ白いだけのなまっちろいのより、こういう生活者の手のほうがずっと感情豊かで親しみがもてるな。
僕だって、この手は誇りだよ。商人として、ずっと、一緒にやってきたんだ。僕のしたことが全部刻まれてる。きみのもそう。
これは、自慢できる、みんなに愛される手だよ」
そういうものか? と思うが、誉めてもらった手前、疑いを返すわけにいかない。それは相手に失礼というものだ。
「ひとに誉められたのは、初めてだ」
先に手当てを終えた左手を見る。
「けれど、そうだな。貴族とはまだ会ったことはないが、わたしも、そう思う」
面と向かって口にするのはなにやら気恥ずかしくて、うつむいた。
横髪に触れるようにして、エイラスの手が頬に触れてくる。薬草の臭いがする指が、そっとこめかみの蕩をなぞっていったが、彼の瞳はそこを映してはいなかった。
「きみは、すごくきれいだよ。言われない、だって? それはそいつらのほうがおかしいんだ。きっと、書えないんだよ。あんまりきれいだから」




