第6回
相手と定めた魎鬼を見据えてかまえ、至近距離に近付くのを待つ。
まったく、不愉快極まりない。
ついさっきまで、今日はいいことばかり起きて人生最良の日かもしれないと考えて、いい気分で眠れると思っていたのに。
どうして、そのままで終わらせてくれないんだ。
砂漠は魎鬼や妖鬼の徘徊する地で危険な場だということは知っている。いくら精砂を撒き、保護呪の助けを借りようと、襲撃を受ける危険性は消し切れないことだが歩けばかならず落とし穴があるわけではないんだぞ?
地表の7割方を砂におおわれたこの広い大陸、魎鬼と出くわすなんてことはそうそうないはずなのに、なぜ、よりによって今日、この隊を襲ってくるのか。
理不尽だと、セオドアは正面から左腕に斬りつけた。内側に力を通わせた刀身は、やはりカディスやレンダーの得物と同じでほのかな光を発しており、傷口から高めた力を相手の内部へとそそぎこむ。
触れただけで肉をそぎ落とす力を持つ爪を警戒し、すぐさま離れて距離をとった。
やつらの肉は腐っている。刃が中ほどまでめりこんだだけで、たわいもなく左腕は自らの重みで砂上に落ちた。
足もとでした、ぐちゃりというしめった重い音に、ようやく自分の腕がなくなったことに気付いた動作をして、魎鬼が鳴く。――こういう状態の場合、呻く、というべきかもしれない。だが風穴がいくつもあいた喉からシュウシュウ蒸気のもれる音をたてながら獣がぐずっているような声を出す様は、とてもじゃないが「痛み」を感じて苦しんでいるようには見えない。
鈍感なやつほど手におえないというが、それは人に限ったことではないようだ。
せめて痛そうな顔ぐらいしてくれと、げんなりした胸で思う。
はたして己の醜さを嘆かずにすむようにという神の配慮であるかどうかは定かでないが、彼らの知能は獣並に低い。
本能の命ずるまま、ただがむしゃらに生物の体に宿る生気を求めて突進してくるのだ。
手段も何もないそれは、顔をそむけたくなるほど貪欲で、醜悪の一言に尽きる。
魎鬼は、喉の風穴からこぼれた酸で己の身を溶かしながら、勘に障る声で引き攣ったようにクケクケと笑い声をたてる。
疫病神。自分をそう呼んだ声が、今も耳に残っている。ちりちりと胸を焼き、手足が萎えるような痺れがじわじわ広がっていく。
『あれは魅魍よりタチが悪いわ。いるだけで、災いを呼ぶのよ』
ならこれも、わたしのせいか。わたしがいたからこいつらはここへやってきて、こうして関係のない隊の者達の命が危険にさらされているのか?
違う、と叫びたかった。
どうしてこんなやつらの思いつくことにまで責任をおわなくちゃいけない。故意に魅魍を呼び寄せるなど、そんな力、人にあるものか。そんな人間などいやしない。
だが現実はどうだ。どうしてルビアは魅妖に襲われた? なぜ町の者は惨殺された?
ルビアは、たしかに消えてしまったのだ。こんな愚かな自分の引き起こした災いで。
そして今、現実として魎鬼が襲撃している。群れるだけの頭もないやつらが4匹も。
えいくそ、とばかりにセオドアは次々吐き出される強力な酸の胃液をかわしてさらに間合をとった。
何もしていないし望んだわけじゃないという事実がある以上、悪い偶然が重なっただけと思うしかないが、こうなるとそれさえどうにも思いこみに思えて、いやな苦味が口腔内に広がる。
わたしは、いてはいけない存在なのか。
かつてそんな疑問にとりつかれたこともあった。だが神の祝福を受けてこの世に生まれた以上、そんな者などいないと言われた。今は、分かっている。
だけど、おまえは災いの種であることを忘れるなとばかりに寄ってきて、わざわざ証明しようとするこいつらは大嫌いだ!
ついさっきまで、ひとが、せっかく今日という日を心から喜んでいたというのに!
忌々しい。目に見える証拠さえあればはっきりするのに。いっそのことこいつに問い正してくれようか――などといった、やけくそじみた考えが半ば本気で浮かんでくるところからみて、どうやら相当まいっているようである。
己自身に被害が及ぶことすら考えられず、闇雲にくり出される鋭利な爪と強酸液の連続攻撃になかなか近寄れずにいるセオドアの視界にこのとき、レンダーの姿が入った。
魍鬼2匹を相手にしながら一歩も退くことなく闘っている。
高身長で大柄な体躯、長い手足という恵まれた体から連想されるものに反して、彼は力でねじ伏せるタイプの剣士ではなかった。
迫る爪や酸が吐き出されるタイミングを初動で読み、紙一重でかわす動き全てが次の技へと連続している。相手のどんな攻撃にも対処できるあの態勢の基本は、おそらく蒼駕に教わったのだろう。
相手の力を受け流すことで生まれる隙を巧みに突く、力より技巧に長けたその姿は、ずっと見ていたくなるほど華麗でさえある。
奥のほうで小さく見えるカディスの剣の冴えも素晴らしい。さすが経験を積んだ剣士だ。一番大きな魎鬼を相手にしながらその爪先をかすめさせもしない。バックステップでの距離の取り方、相手の攻撃を見極めてからの間合の詰め方も絶妙で、自分のような駆け出しの候補生とは剣のひと振り、切り上げる刀身の角度からすでに違っているのがよく分かる。
こんなときでなかったら、2人の足運びから手の動き、重心の移動、視線の向く先と、全てに見入って、もらさず学ぼうとしたに違いない。
ああもったいない。
そう思った直後、突風が右耳近くを走り抜けた。直前で左に重心をずらし、ぎりぎりのところで顔への直撃は避けたものの、皮膚の裂けた小さな痛みがこめかみで起きる。
この程度の痛みならかすり傷だ。
手早く自己診断をすませると、血が目に入らないよう、ぐいっと額の汗ごとぬぐって剣を握り直す。
ひとを気にしている場合じゃない。 実戦慣れしたあの2人と違って、そんな余裕が持てるような腕前じゃないだろう、自分は。
教わりたければ、あとでいくらでも手合わせを願い出ればいい。
そう思って再び目の前の鬼に気を集中すると、セオドアはそれまでと攻勢を変えた。
「はあっ!」
かけ声とともに、頭上へ振りかざされた腕の先、爪に向けて剣を当てる。固いものへくいこむ衝撃音がして、思ったとおり、指が1本根本からとれた。だが残りの2本だけで十分剣先を止めている。
魎鬼に力でかなうはずがない、押し合いなどするだけ無駄。
「ええい!」
じりじり上から力で押してくるそれを、強引に押し返し、弾き飛ばした。簡髪入れずあいた胸に向けて切っ先を突きこむやそのまま右肩へと水平に切り裂く。肉と骨を断つ感触が伝わる。
肩口から抜けた直後、刀身の向きを変え、一気に頭部を切り落とした。
己の酸のせいでぐずぐずになっていた首は、手応えらしい手応えもなく砂上へと落ちる。
頭部を失った体がぐらりと揺れて、仰向きに倒れるのを見続けることなく助力に駆け寄ろうとした先で、レンダーが魅鬼を脇から右の腰骨付近まで一刀のもとに分断した。
「こっちはいい! それより向こうだ!」
息つく間もあけず残るもう1匹の爪を剣で受け、相手どりながら肩で隊の末尾を指す。
言われて目を向けた先。イマラや畜獣たちの鳴き声が、こちらにいる魍鬼の気配を感じとっての怯えでなく、いつの間にか切羽つまったけたたましいものになっていることに気付いてはっとなった。
直後、バキバキと木枠が押し潰される音が起きる。
向こうにもいるのだと悟ると同時にセオドアは走り出していた。




