第4回
「しかしさぁ、幻聖宮もずいぶんくだけたんだね。候補生を外に出すなんてさ。俺がいた8年前なんか、大事な候補生に万一のことがあったら、とかなんとか言って、サキスにおりるのさえよほどのことじゃない限り、許可おりなかったもんな。
下級剣士養成所に移っても、その規則は健在で。もぉ退屈で退屈で、ほとんど毎夜みんなして脱け出しては下町に行ったものさ。ここももうじき見おさめだーって。それで二日酔いになって、翌朝そろって教え長に怒鳴られて。
まぁ教え長たちもその辺りは察してくれてたから、説教も最後は苦笑いですんでたけど。
レンダーのころは――って、俺より古いのにくだけるわけないか」
「5年でたいして変わるか」
憮然とした表情で返すレンダーの言葉に、少々驚いた。身を包むおごそかな存在感に、てっきりもっと歳上だとばかり思っていたのだが、どうやらひと回りも離れていないらしい。とすると、幻聖宮に15年いるセオドアとも重なるわけだ。
もっとも、カディスが出立したときでようやく1期生、レンダーだとまだ5つだから、知りようもないが。
それに、訓練生は2年目の試験でそれぞれの専門に振り分けられる。幻聖宮で育成されるのは上級退魔剣士と退魔剣師のみで、それ以外の退魔封師、退魔法師、下級退魔剣士はそれぞれ別の場所にある養成所へ移動することになり、以後出立式まで幻聖宮に戻ってくることはない。
で? といきなりカディスに見返されて一瞬呆けたものの、質問を受けていたことを思い出して、セオドアは椀を横にどけた。
「そう、たびたび許可がおりるわけではないんです。でも……」
自分は特殊な存在で、候補生といってもみそっかすだから――そんな、苦い言葉は飲みこんで、今回は特別な事情があるのだと、短く告げる。
「へえ、そうなんだ。大変だね」
応えて、カディスは椀の中身を一息にかき込んだ。
空になった椀を脇に放ってからは、そのままレンダーと何か、これからの道程について予想をたてて話しだす。言葉の量は5に対して1といった具合で極端にレンダーのほうが少なかったが、会話の要所要所をおさえた返答の見事さは、セオドアには尊敬ものだった。
自分の場合、口数が少ないといっても、それがレンダーのように必要最低限の内容であることはまずない。 彼と違って、ほとんどが要領を得ない無駄だらけで……。
胃にあふれた粥のおかげで内側から温まったせいか、頭がぼうっとしてくる。
マントの下で膝を抱きこみ、ぼんやりと2人のやりとりを眺めながら、セオドアはほうっと白い息を吐いた。
特別な事情というのがはたして何か、2人とも深く訊いてこようとしないのがありがたかった。
なぜリィアへ行くのか、どうしてこの歳でいまだ候補生なのか。
宮の仕組みを知る以上、疑問を晴らしたいという欲求が生まれるのは当然のことなのに、聞いたところで自分たちには意味のないことだから、との無言の思いやりは、セオドアの緊張を和らげてくれる。
自分の望むつきあいをしないからと気を曲げたりしない、その包容力は、とても安らげるものだ。
いてくれたのがこの2人でよかったと、つくづく思う。
『流れ』とは、だれもがこういうものなのだろうか。
ひとつ国に膝を与することを嫌い、自由気ままにさまざまな国を移り歩く退魔師たち。
それとも、旅慣れた者であれば、わきまえて当然のものなのか……。
たわいない疑問に浮かんだのは、エセルだった。
あいつばかり引きあいに出すのはおかしいと、自分でも思うが、なにせ外部で知っている者といえばあいつしかいないのだからしかたない。
盗っ人の砂漠商。
死ぬかもしれない騒ぎの渦中にいようが場を楽しむ余裕を欠かさず、魅妖が相手だろうとへらず口を平然とたたく、とことん破天荒ではた迷惑な、後先考えない性格の持ち主だが、それでも踏みこんではいけない線というのをちゃんと心得ていた気がする……。
「さて、そろそろ寝た方がいいな」
くるまったマントの下でこしこしまぶたをこするセオドアを目ざとく見つけ、苦笑を浮かべつつ立ち上がったのはカディスだった。
腰元からぱんぱん砂をはたき落とし、火種を移したカンテラと携帯袋から出した小袋を持ち上げる。
「あのどんちゃん騒ぎだ。精砂がちゃんと切れずに撒けてるか、もう一度見てくるよ」
「ついでに注意もしておけ。いくら魅魍よけの精砂を撒いて保護呪の入った天幕にいようと、あれでは招き寄せているようなものだ」
「はいはい」
いつもながら人使いあらいんだから、とかいったことを口の中でぶつくさつぶやきながら荷車に沿って歩くカディスの背が、だんだんと闇に飲まれて消えていく。彼の歩にあわせるように揺れていたカンテラの火も、やがて濃度の濃い闇に飲まれたころになって、唐突にレンダーが口を開いた。
「蒼駕教え長は、変わらずご健勝であられるか」
火を掻き起こす手元に視線を落としたまま、相も変わらずの平淡な声だ。
虚を突かれた分、独り言だと信じてしまいそうになる。だが聞き間違いと、思わず自分の耳を疑うほど意外すぎる名が出たことに驚愕し、セオドアは目を見開いて彼のほうへ身を乗り出していた。
「蒼駕を、ご存知、なんですか……?」
驚きでつまった喉を強引にこじあけて、きれぎれに問い返す。
幻聖宮には常時数百の魔断が在籍し、その大半が教え長の職についている。
加えて、レンダーは下級退魔剣士だ。幻聖宮以外の養成所で育成されたはずなのに、どうして蒼駕を知っているのか。
「一時期、あの方に剣術指導を受けた」
まじまじと見入ったセオドアから、彼女の持つ疑問を察したか。レンダーは淡々とそう告げると、彼女の脇に寝かされた長剣を指差した。
「教え長のだろう。見覚えがある」
言われて、持ち上げる。差し出された手が何を望んでいるのか知って、無言で手渡すと、レンダーは鯉口をきって中程まで刀身を引き出し、目を細めてやや見入った。
何か、それにまつわることで思い出す出来事でもあるのか。感慨深げにながめて、それからまた静かに鞘へと戻す。
「おまえも教え長に教わっているのか。あの方がこれを手放されるとは、よほど旅の無事を気にかけておられるのだな」
セオドアが退魔師としての教育を受けるころにはすでに蒼駕は現場から完全に退き、宮母の執務補佐職に専念していた。今では彼は、ほかの者からは『補佐長』をつけて呼ばれているため、その呼び名はどこか耳に慣れない。
(そうか、あのひとも教え長をしていたのか……)
当然といえば当然だが、その教え子だったという者を前にして、今初めて知ったような新鮮さでセオドアは認識していた。
「どうした」
「あ、いえ」
自分の考えのほうに長く気をとられすぎていたと、急いで首を振る。
蒼駕はもう教え長ではないのだと告げると、レンダーはかすかに瞳をくもらせた。
「そうか……。
あの方は、とても素晴らしい技をお持ちだった。剣の重さというものを感じない自然な動きで、それでいて鋭く、気付けば切られている、風のような剣技だった。なぜあのように扱えるのか不思議で、よく考えていたものだ。
カルヴァの養成所へ出向で来ていたのは1カ月ほどだったが、その間に是が非でも勝ちたくてな。
あのように剣を扱いたくて、暇さえあれば動きをまねていた」
組んだ指で隠れた口元から発したその言葉からは、少しだけ、懐かしがる響きをしているのが感じとれた。
目は火元へそそがれているが、そこに映っているのは、今も胸に残るカルヴァ養成所での日々なのかもしれない。
自分の知らない蒼駕をそんなふうに話してくれる人は初めてで、つい、聞き入ってしまう。
「……だが、とうとう最終日でも勝てなかった。試験には合格したが、どうにも心残りで、最後の指導を申し込みに教務室へ行くと、数人の同期生がいた。考えることは皆同じということだろう。
思えばあのとき、それらしいことを口にされていた。残念だ」
ため息をついて昔話をしめくくる。
話の途中で返された長剣に目を落として、セオドアは思い出していた。これを手渡してくれた、とても、とても大切な人のことを。
「もう眠れ。陽の出前に出る。明日はさらにきつい」
「はい」
返事を返して、荷車の腹に背を預けた。
好きな人に対する褒め言葉を聞くのは、自分のことのように嬉しい。
高揚する胸で、疲れたけれど、今日はいい一日だったと思う。数年分くらいの良いことをもらえた気がする。もしかすると今日は人生で最高の日なのかもしれない。
ほくほく上機嫌で喜んでいると、カディスにもまれてよくほぐされた肩や腕が心地よい睡魔を導いて、すぐ眠気に襲われ欠伸が出た。
砂漠の冷気が入ってこないようにしっかり体をマントでおおい直し、まどろみの中にどっぷり浸かってうとうとし始めたころ。
しかし結論づけるのはまだ早いと言わんばかりに夜気が、とんでもないものを運んできたのだった。




