第2回
なぜこの者はこんなに自分に対して積極的なのだろう?
かまわれるのがきらい、というわけでは決してないが、商隊の特徴を一般学で学んでいる者としては、この行為に多少違和感がある。
彼らは『仲間』と『それ以外』をはっきり区別する。『家族』と『それ以外』――その区切りは曖昧ではない。それどころか不都合なことが起きれば即座に見捨てるほど冷酷非情に割り切っている。
そう習った。
セオドアは、この商隊にとって『客』だ。礼金をもらう以上、無碍にはできないという考えもあるだろうが、それはこんなふうに必要以上に愛想をふりまくということではないはずだ。シエルドーア国の国境の町・イルに入るまで約3日の行程を、彼女が退屈しないですむよう面白おかしくおしゃべりができる相手をあてがうなどといった気をきかせるほどの大金を払うと約束した覚えはないし、それどころか道中魅魎と遭遇した場合の退魔まで契約に入れられた、あこぎさだ。
しっかりしてると言おうか、それともちゃっかりしていると言うべきなのか······そんながめつい者を商隊長とし、さらにこの男は親に持つ者だ。奉仕精神をあふれさせて、タダでしているとは到底考えにくい。
そうは思うものの、惜しみなく向けられる邪気のない笑顔を見ているうちに、だんだんと、勘ぐりすぎでは、という気もしてきた。広い世の中、そう悪人ばかりじゃないだろうし。
第一、自分が知っているのは書物の上でだけで、全部が全部、典型の商隊ばかりじゃないのは当たり前だし、この商隊で同行者の相手をするのがたまたまこの者の役割とされているのかもしれない、と。
この人懐っこい性質に、これ幸いにと他の者達から任命されたということも十分あり得る。
自分の出した可能性を確認するように、再度エイラスを盗み見た。
エイラスは自分のしている話をセオドアが聞き流していることにも気付かずに、手振りまで入れてひきりなしにしゃべり続けている。
砂漠を行軍するのは夕方と明け方が一番能率的だとか、今の時期このルーティン砂漠は夜の冷えこみがきついから注意が必要だとか、初心者への旅の心得を説いているようだ。
ただ、話の合間に以前こんなことがあったとか、だれそれがこんなことをしてドジったとか、寄り道的なしゃべりをすぐ挟んでくるため、本筋を理解するのが難しい。
実を言うと、どこかのだれかを思いださせるその軽薄そうな口振りもセオドアには苦手な部類だったが、とにかく自分のためを思って話してくれているのだからと神妙に耳を傾けようとした矢先。
「それにしてもきみって物静かなんだね」
などと、何も理解できていない者特有の底抜けに明るい声と笑顔でエイラスは、セオドアが自分にはまず望めない印象であると思っている言葉をあっけらかんと口にしたのだった。
◆◆◆
西に連なる砂丘へ陽が完全に沈みきって、どれくらい進んだろうか。
最小限の火力におさえられた簡易たいまつが等間隔で灯され、地表からの冷気に足先や指先がかじかみはじめても、隊の行軍は止まらなかった。
「いつもならそろそろ野営を張るころなんだけど、出発が遅れたぶん、今日はもう少し行くみたいだね」
こともなげな顔でエイラスが説明してくる。
生まれたときから移動に継ぐ移動をくり返す生活をしている彼にとって、この程度はいつものことなのだろう。声にも表情にも疲れはなく、まだまだ余裕そうだ。だが正直、セオドアはかなり体にきていた。
厚めの腹帯を敷いているとはいえ、イマラの鱗は固い。せむしがかった巨体を挟むようにして股がっているため、揺れるたびに内股は痺れるし脚はすれてじんじんするし……歩行の揺れに、背骨もきしむように痛い。 力配分が分からずすっかり肩もこってしまって――あと1時間もこのままなら、降りて歩いたほうがましだと胸に泣き言が浮かんだころ。先頭から細い笛の音がして隊の歩みは止まった。
「天幕を起こせーッ!」
伝令者が、声を張り上げながら荷車を挟んだ向こう側を末尾へ向けて走っていく。
その言葉を聞くか聞かないかのうちにばらばらとイマラから降りた男たちが、荷の紐を緩めて中からとり出した布を広げ始めた。
エイラスの姿もいつの間にか横から消えている。どうやら後ろのほうで荷ほどきを手伝っているらしい。
何をするべきかすっかり心得きっているようで、互いに無言のままてきぱき要領よく手を動かして、荷車から降ろした天幕を次々と張っていく。
少し離れた場で女たちが鍋や食材を手に食事の用意にとりかかっているのを見て、自分も何か手伝うべきかとイマラから降りたときだ。
横から伸びた手が手綱をつかみ、強引に引っ張ってきた。
手の先にはセオドアと同じくらいの少女がいて、いつまでも放そうとしないセオドアに眉を寄せている。
「渡して。つなぐんだから」
素っ気ない声にようやく意図を理解して手を開く。セオドアを無遠慮にじろじろと見た少女は、イマラを引き寄せ、腹帯からはずした荷を、どん、と押しつけるように渡す。そして、背を向ける際にちろりとセオドアをなめし見て、「物好きね」とかいう、彼女には理解できない独り言をつぶやくと、イマラを引いて行ってしまった。
不機嫌らしいのは分かったが、あの少女にきらわれるようなことはしてないはずだぞ、と思う。
手綱のことで怒っているなら相当な短気だし、その前から気分を害していたのであれば、それこそ八つあたりというものじゃないか――とは思うものの。預かり知らないところで恨みを買って、きらわれるのも別段これが初めてというわけでもない。
ふう、と息をついて、忘れることにする。
そうこうしている間に、天幕を張る作業はほぼ終わっていた。
女たちは熾した火の周りでまだせわしなく動いていたが、彼らの財産である荷や畜類に不容易に手を出すわけにはいかないだろう。
なにやら手持ち不沙汰な思いで1人突っ立っていると。
「おまえ」
と、だれかの呼び声が背後から飛んできた。
はたしてそれが自分にあててかどうかという疑いももたず、反射的に声のしたほうを振り向く。
そこにいたのは、上質の布のようになめらかな艶のある紺色した髪を、布に巻きこんだ男だった。
切れ長の厳しい目が印象的だと思った、見覚えのある面。「レンダー」とエイラスが呼んだ男だ。
無口で、開いた口から出るのは厭味ばかりで、陰気――だったか。
エイラスのした形容を思い起こして、なるほど、と思う。たしかに寡黙気で威圧感のある男だ。
けれどそれは、精悍で逞しい、自己鍛練のいき届いた熟練の剣士の肉体のかもしだすもので、むしろセオドアにしてみればたのもしさを感じる要素だ。
くっきりと紺に縁どられた淡い紫の瞳は、暖色のわりにすっと上に切れたまなじりのせいできつい印象があったが、そこに浮かぶ光は知性に富んでいる。己を知る者ならではの安定したおちつきが、寡黙さだ。
セオドアは、その目が自分を見ていることから、やはりあの男が呼んだのは自分だと確信して、彼の元へ走り寄った。
「何かご用ですか?」
「おまえはこっちだ」
レンダーはセオドアが駆け寄るのを待ち、肩で指す。
天幕とは荷車を挟んで反対側となるそこでは、片膝をついて座り込んだ男が、傍らに置いた小さな携帯袋から砂漠用固形燃料をとり出して火を熾していた。




