第1回
●商 隊
配給されたイマラに股がり、セオドアが商隊の一行とともに防砂壁をくぐって砂漠に出たとき、持っていたのは翠玉の封魔具と数枚の着替え、荷袋の奥深くに竜心珠の魔導杖、そして外出許可書(身分証明書)と幻聖宮の退魔師であることを示す聖布と呼ばれる赤みがかった黄色の布だった。
この聖布がかなり厄介で、幻聖宮内部の人間であるなら肩から下げていてもさしてめずらしいとも思われない物なのだが、一歩宮を離れ外部の人間の目にさらした場合、自分は退魔師だと公言しているも同然の、実に自己主張の激しい存在となりはてるのだ。
幻宮と契約を結ぶほどに優秀な退魔師がしているのであれば十分納得のいく身分証だが、まだ候補生であり、しかも数千年に及ぶ幻聖宮の歴史の中でただの一度たりと前例のないおちこぼれである自分が身にまとうなど、おこがましいったらない。
この商隊のだれもが自分は幻聖宮の者だと知っている。 この歳でいまだ候補生ということで、おそらく腕前のほどは予想されていることだろう。
注目され、失笑を買っているようで、なんともおちつかない。やはり頃合をみてはずすか、サキスから出てしまえばどうせ着衣の義務なんてだれも分からない――そんなことを考えながら肩口に指を添わせ、そこにできている弛みを直しつつ、セオドアは遠ざかる背後に目を移した。
なめらかな楕円を描いて築かれた白の防砂壁は、夕方の斜光を浴びて赤紫に染まっていた。微妙な明暗をつけながら砂地に陰を作った東側は奥まるにつれて近づく夜の闇色を強めている。
外側から見たのはこれが初めてだった。
サキスへの外出許可もろくにとれない規則では、防砂壁の外へなど望めるはずもない。
候補生の身で出たのは案外自分が初めてなのではないだろうかと、十分あり得る可能性を考えながらそそり立つ側壁にそって目を上げていくと、門塔に設置された物見台の横から、乳白の幻聖宮がのぞき見えた。
あれはおそらく南館だろう。それらしい屋根飾りが見える。そのななめ向こうに東館。訓練生や候補生の居室のある館だ。
そして、反対側の西館から少しずれて奥ここからは見えないけれど、北西に、魔断の住む別館がある。
今の時刻、あの人のいる第2執務補佐室も……。
そうして見つめていると、首尾良く事が運べば8日もかからない旅なのに、なぜかとても離れがたく感じられた。
すぐ戻ってくるつもりでいるのに、まるでこれがこの世での最後の見納めであるかのように感じられて、胸が締めつけられる。
(なぜ……)
「どうしたの? 忘れ物を思いだした? それとも、早くも戻りたくなったのかな?」
にこにこ、にこにこ。
人好きのする笑顔で気軽に話しかけてきたのは、ここの商隊長の末息子だった。
強い逆光でよく分からないが、あのフードからこぼれた明るい赤毛には見覚えがある。たしか自分より1つ下で、紹介された名は、エイラスだったか。
無言のまま、怪訝そうに見つめる――セオドア本人は全く意識していない――セオドアに、しかしエイラスは一向にかまったふうでなく、脇へと器用にイマラを寄せた。どうやら長居を決めこむつもりらしい。
「やあ。きみ、セオドアだっけ。砂漠へ出るの初めてでしょ?」
「そうだが……」
「ああやっぱりね。そうじゃないかと思ってたんだ。イマラに不慣れそうだし、はおったマントもつやつやの新品だもの。
ちらちら後ろ見てるから、ああこれはってピンときたんだ。僕、そういうのあてるの得意でさ。見ただけで大体どういうひとなのか、何考えてるかとか分かるんだよ」
笑みの絶えない顔で、屈託なく言ってくる。
それはなかなか羨ましい特技だと、セオドアは思った。それがないために、彼女は苦心惨憺な目にあってきているので。
それがあれば、もしや現状はもう少し破綻せずにすんでいたのではなかろうかと思うと、ますます気が重くなる。
(ああ、だめだ、自虐的だ。
過去を振り返ってああすれば良かったとかこうすればもっとマシだったとか、考えても仕方がないというのはとうに結論づけられている問題じゃないか)
そんな暗い考えにとらわれて、知らず俯いていたセオドアのとなりで、彼女とは対照的のまぶしい笑顔でエイラスは得意気に話し続けていた。
「観察力があるっていうのかな。レンダー……あ、これ、ホラ、あそこにいるやつね。剣士なんだけど、僕あいつ苦手なんだ。無口でとっつきにくくてさ。めずらしく口開いたなと思ったら厭味ばっかで。陰気そうでしょ、見るからに。
で、あいつに言わせると、相手の顔色うかがってばかりいるからそんな癖がつくんだ、そうなんだけど。
でもさぁ、分からないより分かるほうが断然いいよね! それに、これって商売にはすごく役立つんだよ! お客が何を一番欲しがってるのか見抜いて、いち速く差し出すの。
効率もいいしさ。気が利くって喜ばれたら、これからもごひいきにあやかれるでしょ。結構人気あるんだよ、僕。
こないだもさぁ、金物のとこでうろうろしてるおばあさんがいたんだよ。何買うのか迷ってるんだと思ったんだけど……そういう人ってホラ、長く1つの物見てたり手にしたりするじゃない。それしなかったから、すぐ分かったんだ。探てるのに見つからない、ってヤツだなって。
それで、てんで要領を得てなかったみたいだから、声かけたの。僕、訊かないであてたんだ。何だったと思う? テシアンを探してたんだ。あれって金物なんだけど、錆やすいから別んとこ置いてあるんだよね、うちの隊。まぁ大低の隊がそうだけど。
でもよくいるんだぁ、そうなんですか? なぁんて驚く人」
ぺらぺらぺらぺらよく動く口だった。
その滑りのよい長い舌はどうやら自分の商才を自慢をしているのだとは分かるが、セオドアとしては今ひとつ本題をつかみづらい内容よりも、その流暢な口のほうに感心してしまう。
沸き出る泉のようによどみがないというか、いつ息継ぎしてるのかも分からないほどだ。
おそらくこのエイラスにしてみれば、先のレンダーだけでなく、ほとんどの者が『無口』の部類に入るのだろう。セオドアなど、およぶべくもない。
しかし、はたして観察力と洞察力に優れているものかどうかは疑問の余地があった。
自他ともに認めるこの無愛想な無表情が、話し好きな相手をどれだけ不快にさせるかセオドアは十分知っている。抑揚のない相槌――今回に限ってはそれをはさむ隙さえないが――は不真面目だと言われ、問われて即座に返せなければ聞いていなかったと思われて、こっちのほうがシラけると、不満を愚痴って去っていく。
人の欠点に理解力のある魔断は別として、それ以外の反応を見せた人間は今だかつて2人しかいなかった。
遺憾ながら、それほどこの鉄面皮は相手を不愉快にさせる威力を持っている。
エイラスが言葉どおり相手の観察に長けていたなら、とうにこれまでの者たちと同じように見捨てているはずだった。
彼が、貴重とさえ呼べる3人目になるとは思えない。
なぜならエイラスも途中途中で意見を訊いてはくるが、セオドアに考える間も与えず勝手に自答してしまうからである。
いわゆるこれは「本人だけが楽しい一方的な会話」で、「自慢」というのだが。
しかしそれ以前の、第一段階のところでセオドアは大きな疑問にぶつかっていたため、不愉快になってはいなかった。




