第2回
●事のはじまり
今から約1カ月前。
エイラスはターヒルの町で18の誕生日を迎えて成人すると同時に父親の商隊と分離して、自分独自の商隊を持った。
エイラスは意気高らかだった。ついに自分の隊が持てたのだ。
規模はもともとの約4分の1、総員50に満たない小隊だったが、それは構わない。これから大きくしていけばいいだけだ。
父親の商隊と別れてまず最初にエイラスが向かったのはリィアの町だった。そこから幻聖宮まで、セオドアを送り届ける約束をしていたからだ。
初めてセオドアを見たときから、エイラスは彼女を手に入れたいと思っていた。昔よく見た大好きな童話に出てきた、妖精のように強くて勇ましい彼女。明るい緑のような青のような、今まで見たことのない独特の瞳もすてきで、自分たちの子があの瞳を受け継ぐといいなと考えていた。
彼女を宮に送り届けるつもりはさらさらなかった。道中で説得できなければ、連れ去ればいい。
略奪による嫁取りは、隊では当たり前のことだ。新しい隊長の最初の妻を、隊のみんなも歓迎してくれるだろう。
だから彼女が「宮には戻らない」と言ったときは、天にも昇る心地でうれしかった。しかもイルまで迎えに来た男とはけんか別れをしたらしい。ますます喜ばしい。
運が自分に向いていると思った。
再会した当初は様子がおかしくて、何かひどく激しく落ち込んでいるようだが、2~3日もすれば気持ちも落ち着いて、だんだん元の彼女に戻ってくれるに違いないと、そう考えていた。
なんだったら自分が優しく慰めてやってもいい。落ち込んで心が弱っている女性は、優しくしてくれた男性に好意を抱くようになるというし。そうして既成事実をつくってしまえば、一気に結婚まで話を持っていけると。
しかしその夜も、次の夜も、エイラスの思ったようにはいかなかった。
彼が何を言っても、何をしても、セオドアはほぼほぼ無反応だったのだ。
「何があったの?」と尋ねても、膝を抱えたまま、頑なに口をきこうとしない。食事もとろうとせず、差し出しても受け取ろうとしなかった。
横に置いておけば食べるかと思ったが、朝になってもそれは置いたときのままで、手を付けた様子はなかった。
いつ寝ているかも不明で、目の下のくまがどんどん濃くなることから、ほとんど眠っていないのでは、とライラが述べた。
これは完全にエイラスの思惑から外れていた。
もっと簡単に、もっとすぐに、セオドアを手に入れられると思っていたのだ。
ほとんど口をきかず、彼を見ることも話を聞くこともせず、1日の大半を荷車の隅で膝を抱えてうずくまるセオドアに、エイラスは閉口した。まるで母親のようだと思った。
彼の母親は父親がとある町から略奪した女性だった。5番目の妻にさせられた彼女は、両親に会いたい、町へ戻りたいと泣き続け、やがて心の病にかかり、エイラスが生まれるころには見えない人に向かって話しかけるようになっていた。エイラスをよその子と思い込み、1日中自分の荷車の中で糸を紡いでいた。
そして花がしぼむように生気を失い続け、ある朝、糸繰りの途中で死んでいるのが見つかった。
その母親と全く同じだ。外の世界を拒絶し、自分の中にこもっている。体のどこからも生気のかけらが微塵も感じ取れない。彼が好きになった彼女のいいところがすべてなくなってしまったと思った。
きっとそのうち、彼女も母親のように生気を枯らせて死んでしまうのだろう。
1週間とたてず、エイラスはセオドアに構わなくなった。
なんといっても彼は隊長になったばかりで、やらなくてはいけないことがごまんとある。
多忙を言い訳に、彼女の荷車を訪れなくなり、彼女について話すのも避けるようになり、いないものとして扱うようになった。
代わりにセオドアの面倒を見るようになったのは、ライラだった。
ほうっておけば朝から晩まで1日同じ格好で膝を抱いている彼女に、食事を運び、食べさせ、運び込んだタライに湯を張って髪を洗ったり、体を洗ったり。強引に上掛けの下に引っ張り込んで、一緒に眠った。
返事が返らずとも絶えずセオドアに話しかけた。新しい隊のことから昔の隊のこと、自分のおいたちから始まりエイラスとのこと、恋バナまで。返事がなくても、独り言のように話し続けた。
朝になれば散歩に連れ出し、自分の服を与え――丈が合わないものが大半だったので縫い直し――、女たちが集まって行う食事の準備にも参加させて。そうしてセオドアから、少しずつ、言葉と感情を引き出していった。
「さて。働かざる者食うべからずよ、セオドア」
ある日、黙々と言いつけられたイモの皮むきをしているセオドアに指をつきつけ、ライラはそう宣言をした。
彼女を見上げ、その視線を手元のイモに移したセオドアに、彼女が何を言わんとしてるかさとったライラは、チ、チ、チ、と指を振る。
「それは生きるためにしていることで、当たり前のことよ。働くっていうのは、お金を稼ぐこと。
さあ、一緒に来て」
セオドアの腕をつかみ、引っ張って立たせると、ライラはセオドアを移動用動物であるイマラの世話役の男たちの元へ連れて行った。
イマラの世話をしろ、というのだろう。給金の話も出たが、セオドアにはどうでも良さそうで話を聞いているふうもなく、ただ、動物の世話ということにほっとしているようだった。
朝早く起きて、つながれたイマラの元へ向かい、目隠しをとって起こすと食事の用意をする。数種類の草と栄養の粉を混ぜ合わせ、イマラが与えた食事に夢中になっているうちに、スポンジで彼らの体を拭き掃除し、鱗の保護用油を塗る。ひづめの汚れを取り、フンを集めて砂に埋める。これを朝・夕に繰り返す。
この労働はセオドアにとって、いいリハビリになっていた。
イマラの世話に慣れて、余裕ができれば家畜の世話も一緒にするようになった。へとへとに疲れたら、夜もぐっすり眠れるようになった。ライラのとなりで寝たふりをして過ごすこともなくなり、いやな夢もあまり見なくなった。
1日、何をしたかの報告を世話役頭とライラに求められる。事務的に報告しているうちに、なぜそれをするのかということを教わる。効率のいい作業の進め方から調子の悪い動物たちへの対処法、食事の量の加減などを教わっているうちに、話し合いに参加するようになった。最初は彼らの話に耳を傾けているだけだったが、やがて意見を求められるようになり、言葉少なく、世話をしている動物たちについて話すようになる。
そうして、『話す』ことに慣れてきたころ。
「何があったか、そろそろ聞かせてもらえる?」
とライラが寝床の中で訊いた。
セオドアは目に見えてひるんだ。
自分以外のことを話すことに慣れてきたばかりで、まだ、自分のことについて話すことはできないと思っているようだった。
しかし無言で、根気よく待ってくれているライラを見ているうちに、少しずつ心の準備ができたようで。
セオドアは両手でおおった口元で、小さく、ぽつりぽつり、リィアで起きたことについて語り始めた。
長い長い話の終わりに、ついにサリエルを殺してしまったことを話しても、ライラの表情は少しも変わらなかった。
何も言わず、「そう」とだけ相づちを打ったライラに、セオドアはのどから絞り出すような声で「わたしが……怖く、ないの……?」と言った。
「どうして怖がらないといけないの?」
「だって、わたしは……………………………………人殺しだから」
俯いて、震えるかみ締められた唇に、ライラはセオドアが泣いていることに気付いて、彼女の頭を引き寄せてこつんと額を合わせた。
「あたしも毎日命を殺して生きているわ。みんなそう。生きるっていうことは、命を奪うことよ。
人の命だけ特別なんて、あたしは思わない。だからあたしは、ええ、あなたを怖いとは思わないわ」




