第11回
大きな商隊は、そのほとんどが長い歴史の中で独自の戒律を生み出した、いわば定置を持たない独立した自治国家である。
小さな隊と違って扱う品は1つ種類に偏ることなくバリエーションに富み、生活に際しての必需品を全て隊内でまかなうことができる。しかも世襲制だ。世代を重ねるにつれ、血族となった彼らは同族意識が強く、血族と、血族以外の者とをはっきりと区別する。
無償で『他人』のために何かをするのは愚かである。
何をするにしてもまず隊に十分な利があるかないかを算段し、さらにきっちり見返りの分しか手を貸そうとしない。利が望めない者であれば、たとえ砂漠に行き倒れていようと水1滴たりと分け与えず、見殺しにするという。
これを商魂と呼んで感心する者もいるし、餓鬼と同じだと言ってきらう者もいる。
セオドアの頼みは、心良く受けてもらえた。相応の料金と、そしてもしものときは能力を生かして退魔をするという条件付きで。
糧食も、砂漠移動用動物のイマラも商隊側の貸し出しだ。これは結構分が悪い。幻聖宮の候補生ということで足元を見られ、ぼられたとみるべきだろうが、あえて文句を言う気にはならなかった。
言って交渉を再開し、値切るほどの饒舌さは自分にはないと自負している。
出発は午後。そのときあらためて来ると言って幻聖宮へ戻ったセオドアを部屋の前で待っていたのは、セシルだった。
「……よお」
セオドアに気付いて、もたれかかっていたドアから離れる。
腰に手をあて、不機嫌さを隠そうともせずしかめられている顔を見て、セオドアの胸は一瞬凍りついた。
すうっと音をたてて血が下がっていくのを感じて、半眼を閉じる。
「サキスへ行ってたそうだが、ずいぶんごゆっくりなお帰りだな。もう昼前だぜ。ついでに行商路のほうも俳徊してたってわけか。おかげで俺のほうも午前はサボりになっちまった」
自分が勝手にしたことだというのに全部セオドアが悪いと言わんばかりに、不愉快極まりないといった声で責めてくる。用いる言葉もすっかりとげ立ってしまっていて……。
彼の不況を買うようなことを何かしただろうか?
また、何かしてしまったんだろうか?
凍結した表脩の下で必死に考えるが、セオドアには思い当たることがない。
けれど自覚がないのもいつものことだった。
この愚鈍さと無神経さで、自分は、気付かないうちにひとを傷つけてしまうのだ……。
セシルは反応を待つように言葉を切っていたのだが、セオドアが何も言い返そうとしないのを見て、チッと舌打ちをして再び口を開いた。
「……百蓮に聞いたぞ、リィアへ行くんだってな、おまえ。
まったく、リィアの者もいい迷惑だよな。ルビアの二の舞にならなきゃいいが……なにせおまえってやつは、魅魎よりタチが悪いそうだからな!
おまえが魅魎を呼んでるんだとも聞いたぜ? だとしたらまた魅魎に襲われて、全壊するってことも十分あり得る。これはシエルドーアの退魔師にも知らせといたほうがいいみたいだな」
ぼろぼろぼろぼろこぼれる言葉という見えない刃の欠片は、そのままセオドアの胸に触れてざっくり傷をつける。
そうだ、わたしはいるだけで、そこに災いをもたらしているのだ……。
思い出し、セオドアは目を伏せることでかろうじて涙をこぼすのをくい止めた。
それは自分のせいではないと、蒼駕は言ってくれた。事実、魅魎の気まぐれさまで責任を負うことはできないし、セオドアの知ったことではない。
やつらが何を思い、どこを襲おうが、それがそこにセオドアがいるからという理由でない限り、セオドアが気に病む必要はないのだ。魅魎が気まぐれを起こしたとき、そこにセオドアがいたのなら、それはむしろセオドアにとって不運であり、同情されるべき不幸だ。
そう思うようにしようとは思う。だがそうやって実際に自分のいる所に他者まで巻きこむほどの出来事が起こりながらそれを退ける力がないのであれば、その者がこうむる不幸はやはり自分のせいではないだろうかとの考えは捨てられない。
「……リィアは、剣士がまだいないんだぜ。俺が、初めて配属される場所なんだ。そこをけが人の疫病神にかき回されるなんて冗談じゃない。あとから行く俺の身にもなれ。
……いいかげんにしろよ、少しは自覚したらどうなんだ!」
セシルは沈黙したままひと言も返そうとしないセオドアに向かい、苛立った声でそう言うと、がりがりっと頭をかいた。
これ以上もっとひどい言葉を投げつけるつもりだろうか。何か言おうとして、それがのどから先に上がってこないジレンマに陥っているらしい。
視界に入れるのもいやだというように目をそらすセシルに、セオドアはようやくといった声でぼそぼそとつぶやいた。
「……すぐ、戻ってくる……感応した魔断の、手がかりが、つかめるかもしれないんだ。それを聞いたら、すぐ……」
リィアの人たちに、迷惑はかけないようにするから。
セオドアにはそれが精一杯の返答だったのだが、やはりそうやってした言葉は、満足してもらうにはほど遠いものだったらしい。セシルは聞くに堪えないものを耳にしたように途端顔色を変え、固めたこぶしを震わせた。
「だからっ! ……俺はっ」
ああもおっ!
出ない言葉のかわりとばかりにドアをどんっと叩いて、セシルはぎゅっと目をつぶった。
「あのな! つまり俺は……あのな! だからっ!
……ちくしょお……」
その意味不明のもたつきに、おや? と、セオドアは顔を上げる。
セシルは興奮した感情そのままに鳶色した目の光を強めて、何か吐き出そうと懸命になっていた。おそらく先まで以上に鋭い棘をつけた、悪意に満ちた言葉だろうとの予想はついたが、その姿はなにやら苦しそうにも見えたので、ついセオドアは手を伸ばしていた。
自分へ近付くその手を見て、ばっとセシルが飛び退く。
その顔は赤く染まり、そして次の瞬間、彼は廊下中に響く声でこう叫んでいた。
「だから、俺は……気をつけろって、言いたいんだ! 今のおまえは、おかしいから!!」
「セ、シル?」
あまりに意外すぎる言葉を耳にして、セオドアの頭はその一瞬に空白化した。
「傷! 腕の、それ、俺のミスだ! ……悪かった!」
一声出して覚悟が決まったのか、肩を震わせながらそう言ってくる。
ああして顔が赤いのも、こぶしを作っているのも、緊張のためだと知ったセオドアは、涙が出るくらい嬉しくて。こみ上げた感慨に、セオドアはのどをつまらせた。
「……っ!」
一方でセシルは、自分は決死でした告白だというのにセオドアが何も返さず平然と――彼にはしょせん、セオドアの乏しい表現力を解せる観察眼も、自分から読み取ろうという考えもないので――している姿に堪えられないようだった。
期待は失望に、そして苛立ちへと変化する。
そうだよ、おまえはひとがどう思おうが、無関心なんだ。そんな冷血漢、気にしたってこっちがばかをみるだけだ。分かってたさ――そう言いたげな目をして歯を食いしばり、にらむと、チッと大きな舌打ちをして、忌々しげに身をひるがえし走り去った。




