第32回
●人妖の罠
紅蓮の炎が2人を中心に渦を巻いていた。
燃えさかる炎は時にその手を伸ばし、宙を走って敵へと襲いかかるが待ち受けるように広がった炎に飲み込まれて、中央にいる2人まで届かない。
銀髪の魅魎は炎から槍を次々と生み出し、炎に対処しているセオドアの隙をつくように背面や頭上といった四方八方から向かわせるも、まるで見えない目が存在しているかのように彼女の周囲を包む黒炎が伸びて、セオドアに届く手前でその槍を捕らえた。直後に槍は爆発したが、それも黒炎が飲み込んで、爆発の余波がセオドアまで届くことはなかった。
まるで炎自体が生きているようだった。互いに互いの主を護っているような動きをするその光景に、ダーンとシェスタは目を瞠る。
2人とも、退魔師と魅魎の闘いを見るのは初めてだった。
それもそのはず。通常、町など定置は法師によって護られていて、退魔師と魅魎の闘いは町の外で起きるもの。民たちの目に触れることはまずない。
下級退魔剣士になってから人生のほとんどを砂漠で過ごしてきたレンダーは何度か目にする機会があったが、それでもこれほど苛烈なものは見たことがなかった。
3人とも言葉を失い、しばしの間、黙して闘いを見守る。しかし路上でうめき声を上げる存在にレンダーが気付き、すぐに横へ片膝をついた。ばっくりと割れた両足の傷に取り出した布で応急処置を行う。そのころにはダーンたちも気付いて、傍らに来ていた。
「わたしにできるのはここまでだ。この傷には専門家の手がいる。館へ運ぼう」
「手伝います」
と、レンダーのように腕を肩に回して両脇から男を支えようとしたが、レンダーが止めた。
「また魎鬼と出くわす可能性がある。おまえが先導しろ」
「分かりました」
振り返ると、侍女たちがシェスタの両脇について、2人の動向を見守っている。
3人についてくるように視線で合図を送り、ダーンは先に立って歩き出した。
「大丈夫ですか?」
シェスタがレンダーに支えられた男を横から気付かう。
彼女たちとともに、路地へ入っていくダーンについて行こうとし。レンダーは1度だけ足を止めて振りあおぎ、屋根の上で闘いに集中しているセオドアの横顔を見て、また再び歩き出したのだった。
火威は炎だけでなく、不可視の力も使っていた。
メリメリと音を立てて自身の周囲の石造りの家屋の屋根から石を引き剥がし、壁を破壊して宙に浮かせるや、セオドアへと放つ。
小さな礫片は届くまでに黒炎によって溶けて蒸発するが、大きな瓦礫は無理だ。
真正面から飛来するそれらから目をそらさず、セオドアはまるで軽業師のように柔軟でアクロバティックな動きで避けるか、手にした黒炎を噴き出している剣で切り砕いていた。
尖った石礫を避けるため、後方へ跳んだセオドアの着地点を読んだ火威が、その屋根を破壊する。
穴に落ちかけたところで、セオドアは崩れて崩落しかけた瓦礫を蹴ってさらに舞い、宙に躍り出るや火威に向けて剣を振り切った。
刀身からほとばしった黒炎が宙を裂き走り、火威へと迫る。
火威は自らの炎を盾として難なくそれを退けたが、己の炎に視界がふさがれてセオドアの姿を一瞬見失う。その1秒にも満たない間にセオドアは着地すると同時に蹴って、火威との距離を詰めるや水平に薙ぐ。
的確に、胴にある緋珠を捉えたかにみえた攻撃は、しかし火威に触れる手前で見えない壁に阻まれた。
剣から伝わった感触にセオドアは目を眇め、即座にその場を離脱する。思ったとおり、火威の手元から生まれた炎の槍が近距離から撃ち込まれたが、予想の範疇と、バク転でそれらの直撃をかわし、腕をかすめるにとどめた。
彼女の体についた傷のお返しというように、黒炎が宙に広がり、そこから火威のハスタ・フランメアとよく似たハスタ・フランメア・ニグラルムを生み出す。
――おまえにできるものは、俺にもできるさ。
勝ち誇ったエセルの声をセオドアは心で感じる。
黒炎から生み出された黒炎の槍は、黒い炎を舌のようにまとわせていて、セオドアの目には火威のそれよりもさらに危険な物に映った。
いやな予感がする。
「やめ――」
時遅し。
セオドアの制止の声より早く、それらはまるで雨のように火威と、彼の逃走を阻むように彼の周辺に向かってばら撒かれた。
その破壊力はすさまじく、ハスタ・フランメア・ニグラルムが突き刺さった瞬間街路樹は燃え上がり、街路や壁はえぐられ、屋根は崩壊する。無事だったのは火威が張った防御の炎の範囲だけだ。
付近一帯のその惨状に、セオドアはめまいがする思いだった。
「やめろばか!! わたしたちが町に被害を出してどうする!!」
――そんなの気にして闘える相手かよ。第一、みんなとっくに逃げてるさ。
少しも反省している様子のない返答に奥歯をかみ締める。
通常、魔断は戦闘中、操主の望みに応えつつ、ほかの者や周囲に被害が及ばないように力を制御し、コントロールする。そして闘いに熱くなって近視眼的になった操主を戒め、落ち着かせてくれる存在。
しかし煌炎牙は『はぐれ』だ。宮に所属することなく、自由気ままに生きてきた、いわば野生の生き物。宮の魔断のようなふるまいを望むほうが間違いなのだろう。
(とんだ野生馬だ)
しかたない、自分が制御するしかない、と思った矢先、火威からの攻撃を迎え撃つように煌炎牙はまたもやハスタ・フランメア・ニグラルムを生み出して放つ。
そして瓦礫に突き刺さり相殺する爆発の中、1本が対象を失って落ち、そこにあった荷物満載の手押し車に突き刺さって爆発した。
「ああっ……!」
まただれかの財産が!
普通なら、闘いで出た損害は、町(国)が補償する。
だがセオドアはシエルドーア国に所属しているわけではないし、これは命令を受けて行っている退魔じゃない。むしろ、言いがかりからの私怨を受けての闘いで……。
セオドアが所属しているのは、幻聖宮だ。
とすると、これは、この損害は、宮が補償することになるのか……?
その可能性に思い至って、セオドアは内心で頭を抱えた。




