第29回
「…………」
こそこそと離れていくガザンをセシルは視界の隅で捉えていた。
だがすぐにその視線を前方へと戻す。
町長のリランド、その執事のクレオ。2人の後ろにつくようにサリエルが現れたからだ。
(彼女か)
3人を囲う町民たちの後ろから姿を現したとき、セシルは彼女が法師だと分かった。
彼女も町長たちのようにけが人の面倒を診ていたのだろう、薬や血で汚れた服を着ていたが、そんなものでは彼女の魅力は揺らぎもしない。
身にまとった気品、洗練された美しさもあるが、彼女には、ほかの者とは違う、ただの一般人にはない、選ばれた者だけがまとえる、一目で人の目を惹きつける特別なものがある。
それが、それを持たない者たちにとって良いものだったら、どんなによかっただろう。
「はじめまして。私がこの町に所属しています、退魔法師のサリエルです。
このようなお見苦しい姿で申し訳ありません。状況が状況ですので、ご容赦ください」
「かまわないよ。僕はセシルだ。今日からこの町できみとともに退魔師としての任に着く。よろしく」
あいさつの間、レンダーから聞いた話、そして百蓮の言葉を思いだしながらサリエルを真正面に見る。そして、ああこの人ならやりそうだと苦い思いで納得した。
「それと、敬語は要らないよ。むしろ僕のほうこそしないといけないからね、後輩だもの。
その僕がしてないんだから、あなたもしないでいいよ」
「ありがとう。じゃあ、そうさせてもらうわね」
「うん。
早速で悪いけど、今ここで何が起きているか手短に教えてもらえないかな。僕が聞いているのは、ここのご令嬢が2週間前に魅魎にさらわれたかもしれない、というだけなんだ。なのに来てみれば町に結界は張られていないし、魅魎が中で暴れてるっていうのはどういうこと?」
「……結界は、自然に解けたものよ。この状況では町の外周に置いてある12法具に力をそそぎに行くことができなかったの。それに、もう内部へ入られていては張り直しても無意味。それより人々を集めて、新たな結界を張ったほうがいいと判断したのよ」
その返答に、セシルは目を細めた。
はたしてそうだろうか? 結界を張り直すことができれば、内部にいる魅魎たちを縛ることができるはずだ。それは、レンダーや他の『流れ』たち――おそらく中級魅魎を相手に闘っているのも『流れ』の者だとセシルは考えていた――の助力になっただろう。
ただ、確かに張り直しには相当な時間がかかるし、移動中魎鬼に襲われるかもしれず、彼女の身も危険だ。彼女が死ねば町の者たちを護る者がいなくなってしまう。安全策をとり、ここに人を集めて結界を張って籠城した、という判断をしたのも分かる。
彼女が『流れ』たちの存在を知っていたかも分からない。事実、レンダーは彼女を直接には知らないと言った。それなら、安全を優先して籠城を選んでおかしくない。
彼女は、セシルたちが明日にも到着することを知っていたんだから。
「けが人たちの治療を終えて、みんなが落ち着いたのを確認したら、あらためて張りに行くつもりだったわ」
という言葉に、セシルは「そうか」とうなずいた。
「きみのした判断を僕も支持する。
それで、魎鬼たちが中へ侵入できているのは、どういう――」
そのときだ。
人々の間から石が投げ込まれ、セシルの足元に転がった。
「おまえの仲間のせいだ!」
振り向いたセシルに、男が指を突きつける。
「おまえの仲間が、俺たちの仲間を殺した!
宮から来た退魔師だと? おまえなんか信用できるもんか!」
「そうだそうだ!」と追従する声が上がる。
まぎれ込ませたガザンの手の者たちだろう。ガザン本人はすでに計画の一切を放棄して逃げに入っているのだが、切り捨てられた彼らはそれを知らず、町の者を扇動しようとしているのだ。
「自分のしたことがばれないように、今だって魎鬼たちを操って、俺たちを皆殺しにしようとしてるんだぞ!」
今度は別の場所にいた男が叫ぶ。
「そうだそうだ!」とまたも上がる声。
「なあジャメル! おまえが見たことをこいつに言ってやれ! あの女が魎鬼を操ってたんだって!」
「そ、それは……」
ジャメルは突然名指しされたことに驚き、一瞬固まって、自分に集中した目にうろたえる素振りを見せたが、すぐに覚悟を決めてセシルに向かって言った。
「ああ……見た……。あの、宮から来たって女退魔師が、魎鬼たちの後ろにいて……エネスたちを襲わせていたんだ!!」
話しているうちに気が乗ったらしく、最後はかみつくように叫ぶ。
「よく言ったジャメル! そうだ、こいつもあの女の仲間なんだ! じゃなきゃ、今このときに都合よくやってきたりするはずがない!
あの女とグルになって、俺たちをだまそうとしてるんだ! そうに決まってる!
こんなやつ、信用できるものか!」
途端、周囲の者たちが動揺してざわつき始める。
そうかもしれないと、セシルを疑い始めている彼らをざっと見渡したセシルは、リランドたちに向き直り「どういうこと?」と説明を求めた。
「実は……」と、ためらいがちにリランドが話したのは、レマ親子の殺害から警吏署の放火殺人まで、一連の出来事だった。
同じ宮から来た退魔師であれば、知り合いの可能性が高い。そんな彼女の悪行を聞かされてセシルがどんな反応をするか読めず、まるで奥歯に物が挟まったような歯切れの悪い語りに、セシルはいらいらしていることを隠さず、もどかしそうに腕組みをしていたが、最後まで言葉を挟まず聞き終えると、はーっと息を吐き出した。
「なるほどね。僕を見ても喜んでる感じじゃないなと思ったら、そういうことか」
普通なら、魎鬼を退治する者が現れたなら、歓喜して彼の到着を歓迎するだろう。「よく来てくれた」「ありがとう」と感謝するはずだ。
しかしここの者たちは、みんなセシルを遠巻きにして、彼の挙動を探るような視線を向けていた。彼を疑っていたのだ。
(あのばか。変なことに巻き込まれやがって)
内心でセオドアに毒づいたあと。セシルは自分の後ろにずっと控えている百蓮に、かぶり布をとるように言った。
言われるまま、百蓮が顔をおおっていた布を取り払った瞬間、そこから現れた美貌に、一斉に人々が息を呑む。
美しい人はいくらもいる。サリエルもそうだ。しかし百蓮の美しさは桁が違う。まさしく人ならざるもの、人という種を飛び越えた、人外の持つ完璧な美だった。
「彼女が僕の魔断だ。銘を濼孋牙という」
セシルはベルトに装着していた魔導杖専用の帯から魔導杖を抜いた。
「来い、百蓮」
セシルが何をしようとしているか、読めているのだろう。今度は逆らわずに百蓮は刀身化し、彼の持つ魔導杖へ収まる。
「濼孋牙は凍気系の魔断だ。目標とする対象物を凍らせ、破砕する。
僕の命令か、でなくとも独自の判断でその力を発揮できる」
その青白い冷気をまとわせた切っ先をサリエルへ向け、セシルは命じた。
「濼孋牙。この女をおまえの絶対零度で凍りつかせろ」
だが何も起こらなかった。
サリエルも平然と立っている。
驚いたのは取り囲んだ者たちだけだ。
「さっきも言ったけど、僕の命令如何に関わらず、濼孋牙は自由意志で力を放出することができる。だから、命令を拒否することもできるんだ。退魔師はあくまで委譲される側であって、拒否権は魔断にある。
戻れ、百蓮」
セシルの手の剣柄から刀身が消えて、彼のとなりに再び百蓮が現れる。
「魔断は決して人を害することはない。退魔師がそれを望んでもね。
だれか、彼女が魔断を連れているのを見たことは? あるいは、魔断の剣を持っているのを見た人はいる?」
いるはずがない。
セシルの思ったとおり、「見た」と答える者はおらず、彼らも互いを見合うばかりだ。
「彼女は魔断を持っていない。これは宮では有名な事実で、1人と知らない者はいないことだ」
それを宮外の者に知られることはセオドアの退魔剣師としての名誉を著しく毀損するだけでなく、幻聖宮の信用にまで波及するものだったが、宮の者が殺人を犯したとの汚名を着せられ続けるよりはるかにましだろうとセシルは判断し、口にすることに迷いはなかった。
「彼女が魔断を使って殺人を犯したり、建物を全焼させるなんてことは絶対に不可能だ」
異論を挟ませない声で、セシルは言い切る。
「だ、だけど、俺は見たんだ。あの女が魎鬼たちと一緒にいて――」
「中級魅魎は自由に姿を変えることができる。
目は? 目を見た? きみが見たっていう女性の目は何色をしてたの?」
「う……」
「闇色をしてたんじゃない?」
その言葉に、ジャメルは押し黙った。
通りの端からちらと見ただけで、髪の色や肌はともかく、目など覚えていなかった。
「そう……かも……」
「ジャメル! おい!」
「だって……分からない、覚えてないんだ……。あのとき、すごく怖くて、逃げなきゃってあせってたから……」
うろたえるジャメルに、セシルは肩を竦めて言った。
「彼女はとてもめずらしい碧翠眼の持ち主だ。あの目を覚えられないなんて、信じられないな」
犯人は彼女じゃないかもしれない。
ずっとそうだとばかり思っていた人々は、その可能性にとまどい、ざわつき始める。
混乱した様子の彼らを見ていたセシルの背後から、「でも」とサリエルが言葉を発した。
「彼女の仕業じゃないというのなら、だれが何のためにそんなことをしたのかしら?」
「さあ。それは僕にも分からない。
だから、これを企んだ者に、ぜひ教えてもらいたいね」
セシルは挑発的な目で、サリエルを見返した。




