第26回
辺り一面炎が猛り狂っていた。
赤と金の光が混じり合った炎と黒炎に縁取られた紅き炎とがぶつかり合い、絡み合う光景は、まるで互いを食い合う竜のようだ。
互いの隙を狙うようにぐるぐると渦を巻いて走り、空間を埋め尽くす。
渦の中央にいるのはセオドアだ。
その手に握られた剣の刀身から噴き出す紅き炎が彼女を護り、赤と金の炎はその壁を食い破ることができない。
美しい、絵画のようなその光景を前に、火威は目を眇めた。
Ero ei murus ignis per circuitum, et ero gloria in medio eius.
(私は彼女の周囲で(あらゆる敵から彼女を護る)炎の壁となり、彼女とともにとどまろう)
はるか昔、目にした一節が浮かぶ。
直後にそこは破壊されたため、もはやだれも知る者のない、古代遺跡の碑文。
噴き上がる赤と金の炎をすくい取り、それを細く、細く、尖った針のような数十本の槍に変えて、その半分を渦の中央へと向かわせた。
かつて、ジンユウとの死闘で彼の魔断の張った壁を突き崩し、その胸を貫いたハスタ・フランメアだ。極限まで凝縮し、撚り上げられた1本1本がおそるべき力を持ち、触れた瞬間解放された炎が爆発を伴って瞬時に対象を焼き尽くす。
しかしそれはことごとく黒く紅き炎に飲まれて、中央の彼女の元へ届くことはなかった。
笑気がこみ上げ、くつくつと笑う。
(そうだ。そうでなくてはつまらん)
そして火威は残る半分で頭上の天井を崩した。
「ついて来い、碧翠眼の退魔師よ! われらの闘いに、ここは狭すぎる!」
がらがらと崩れ落ちる瓦礫の中、外へ向かって飛ぶ火威を見上げて、セオドアは足に力を込めた。
挑発に乗るわけではないが、ここにいれば崩落した天井の瓦礫片や階上から降ってくる調度品に押しつぶされ、埋もれるだけだ。
半壊した壁や天井、降ってくる瓦礫や物を瞬時に見極め足場とし、蹴って、空を跳ぶ。
普段からこういったことができるわけではない。すべて、魔導杖と感応しているがゆえの力だ。
魔導杖は人と魔断をつなぐ媒体、というだけではない。
魔断の持つ力を増幅し、人へ移譲するその過程で接触している手のひらを伝い、全身を走る神経へ干渉し、集中力を高め、筋力・神経を強化する。
もちろん、それだけで人は超人的な動きができるわけではない。
いきなりそんなことをすれば、使用直後はともかく、使用しているうちにだんだんと負荷に耐えきれなくなって、脳神経は焼き切れ、体中の筋肉が断裂を起こし、血管は破裂、全身の神経が壊死する。
全身の穴という穴から血を噴き出して即死することになるだろう。
そのため上級退魔剣士および退魔剣師はこれを使いこなすための訓練を何年も続け、魔導杖による飛躍的強化に最適化するための肉体を作り上げるのだ。
それでも、長時間の使用には堪えられない。(魅魎との死闘が長時間かかることはまずないが)
自分を追って、恐るべき速さで駆け上がってきたセオドアに向けて、火威が紅蓮の炎を放つ。
西の棟の半分を吹き飛ばすほどの威力を持った攻撃を真正面に受けながら、その全てを切り払い、崩壊した壁を足場に高く跳んで、セオドアは剣の切っ先を宙の火威の胸へと届かせる。
だがこれこそが罠。
炎にまぎれ込ませていたハスタ・フランメアが、セオドアの炎に身の大部分を溶かされながら彼女の周囲で爆発を起こす。
爆風にあおられ、わずかに逸れた切っ先が上腕をかすめただけに終わる。そして次の瞬間、火威の後ろに噴き上がっていた炎が館の屋根飾りを破壊して落下させた。
その気配に振り仰いだセオドアの目には、自分を串刺しにせんと落ちてくる、鉄製の柱が映った。
「……チッ」
足場とするもののない空中で避けるのは困難だ。
それでも身をねじって間一髪でかわし、横を過ぎ去る鉄柱を蹴って距離を取る。
3階分の高さだ。魔導杖によって強化されているとはいえ、それは神経や筋力だけで、鋼鉄の肉体となったわけではない。
回転で勢いを殺し、着地と同時に転がって衝撃をやわらげる。攻撃態勢を整えたまま起きた先で、すぐさま剣を構えた。
転がったときに石ででも打ったか、ずきりと腕がうずいたが、大した傷ではない、として痛みを思考から追いやる。
地面に突き刺さった屋根飾りの向こうでは、火威が周囲に散らばった瓦礫片を燃やして火の弾へ変えていた。
息つく暇なく、火威の次なる攻撃が迫る。
(まったく。どうしてこんなことになってるんだ)
飛来する火の弾をかわし、時に弾きながら、つかの間セオドアは心の中でぼやく。
警吏署でサリエルにさらわれて、以後ずっと監禁され、眠らされていたせいで、彼女は全く現状がつかめていなかった。
目覚めたらいきなりエセルから自分が魔断だと告白されて、驚く間もなく魅魎からわけの分からない言いがかりを受けて攻撃されている。
まあ、そちらはいい。魅魎というのはとことん身勝手なもので、いくら言い返したところで聞く耳持たずだというのはルビアで学んだ。
それに自分は退魔師だ。魅魎と闘うのが本領。
(それにしても、どれくらい眠っていたんだろう)
それすらも不明だ。
――そんなに時間はたってない。おまえがさらわれて、4~5時間ってとこだ。
エセルの声が突然胸で響いて、ぎくりとする。
直後、そうか、これが心話か、と思った。
自分の中に自分でないだれかがいるようないないような、そんな不確かな感覚。
しかもその相手がエセルとは……。
――あ? 俺で不満ってことか?
「不満というか……どうして言われるまで気付けなかったんだろう、と」
――おまえ、時々ばかなのかって思うくらい鈍いからな。
エセルがからからと笑っているのを感じる。
言い返したかったが、事実なので恥じ入るしかない。
理由は、なんとなく分かっていた。
こいつが自分の魔断だなんて、思いたくなかったんだ。
だけどもう無理だ。
あの瞬間、冗談を言うなと怒ることすらできないほど、腑に落ちてしまった。
紅刺。魔断・煌炎牙の化身。1000を越える年月を生きた魔断。
それがわたしの剣。
戦闘中、心話でエセルが話してくれたおかげで現在の状況は大体つかめた。
町に魎鬼があふれている。そんなに数は多くないということだが、それでも町の人たちが危険だ。早くそちらにも対処しなくてはいけないだろう。
だが魎鬼よりも魘魅のほうがずっと危険度は高い。
こいつを野放しにして、魎鬼退治を優先するわけにはいかない。
「さっさとこいつを片付けて、人々の救出に向かうぞ!」
眼前に来た火の弾をはじいて、セオドアは横にかわす動きを縦に変化させた。
瓦礫片の火の弾をかいくぐり、火威へと肉薄する。
そんなセオドアの前、燃え上がった巨大な炎が彼女を圧倒せんと、天上の柱のように突如屹立した。
すさまじい炎が視界をふさぐ。
『俺といる限り、おまえが炎に焼かれることは決してない』
エセルの言葉を信じて、セオドアは炎の柱へまっすぐ飛び込むと、その先にいた火威に向かって剣を振り切る。
後方へ跳んでそれをかわした火威が、カウンターを打ち込もうとしたときだ。
突然爆発音が響いて、地面が揺れた。
驚きに、互いに同時に攻撃を中断して距離をとる。
爆発は遠く、地面の揺れも足をすくわれるほどではないが、そちらへと意識を向けた瞬間に火威はあることに気付く。
「ああなるほど」と疑問の答えを得た顔でつぶやくと、苦笑するように右の口角を上げた。
「術師よ。それがきさまの隠し玉だったか」
ここまでご読了いただきまして、ありがとうございます。
火威が最後に言っていることは、「第4章 寂寞たる思惑」の第21回を振り返っていただけると分かるかと思います。
よろしくお願いいたします。




