第10回
そうだ、あの場にはエセルもいたんだ。
記憶の最後の最後、魅妖の放った力の直撃を受けて意識を手放し、闇となり、幻聖宮での目覚めとつながる寸前でセオドアが覚えているのは、エセルを庇って突き飛ばしたものだ。
無事生き残って姿を消したエセル。
あの場にいたのならもしかして、自分の思い出せない出来事を知っているのではなかろうか。そして、あの魔導杖と共鳴しておさまった魔断も!
その可能性は大いにあり得た。どうして今まで気がつかなかったのか不思議なほどに。
まあたとえ気がついたとしても、常に砂漠を移り歩いてこの広い大陸のどこにいるか知れない相手を捜し出すなど不可能に近いことだが。
でも今は分かっている。リィアだ。
行きたいと、全身がうずいた。行って、聞きたい。一体どんなやつが感応して、この手におさまったのか。
会いにもきてくれない薄情な魔断だけれど、感応した者だ。
それに、あの誓血石の持ち主の魔断が分かれば、分離もあるいは可能かもしれなかった。
感応は本人同士の意思ばかりでできるものではないし、1度感応すれば、生涯一対の者としてともにいなくてはいけない。
だがセオドアの感応は変則的だった。魅妖に追い詰められ、絶体絶命の無意識化で求めたもの。
操主を守るため、緊急処置的に魔導杖が一番近くにいる魔断を呼び寄せたということも考えられるのではないか?
もしそうなら、分離させることもできるかもしれない。
前例があるかどうかは知らないが、魔導杖には誓血石が嵌まっていて感応済みであると知りながら魔断があんな騒ぎを起こしたことからしても、その可能性は高そうに思えた。
いや、たとえ分離できなくてもいい。魔断さえいれば、自分はザーハへ行かずにすむのだ!
宮と契約すれば、蒼駕のいない場所へ行かずにすむかもしれない。
◆◆◆
初めて見えた希望の光に、セオドアはすがりついた。
寝台から跳ね起きると部屋を飛び出して執務補佐室へ蒼駕を訪ねて行く。
「リィアへ?」
行きたい、というセオドアの言葉を聞き、蒼駕は考えこんだ。
青藍の瞳が深みを増す――こういう時、蒼駕は現在の状況をあらゆる方向から考えて、一番いい方法を導き出そうとしているのだ。そうして下されたものが間違いであることはまずないということをよく知っているセオドアは、黙って彼が結論を出すのを待つことにした。
彼が駄目だと言うのなら、おとなしくそれに従おう。
自分自身より信じられる蒼駕の言葉は、セオドアにとって何物にも勝るものだった。
おそらく彼女の心は神より蒼駕を信頼しているだろう。
ザーハに配属されることを拒む理由の中には、彼が不満を示したこともあった。もし彼がそれを得策だと喜んでくれていたなら、セオドアは迷うことなくその場で承知していたに違いない。さびしさも不安も押し殺し、堪えて、考えないようにしただろう。
ほどなくして、息をつくと蒼駕はセォドアに目を戻した。
「そうだね。そのほうがいいのかもしれない」
「蒼駕?」
言葉とは裏腹に、気乗りがしないような口調だった。
何がその心を曇らせるのだろう? また考えが足りなかったのだろうか。
それは彼を苦しめる結果とならないだろうかと不安気に見上げてくるセオドアに、蒼駕は笑ってその胸の懸念を否定した。
「行っておいで。必要な手続きはこちらでしておくから」
「でも蒼駕、何か、つらそうです。ご迷惑なら……」
「これを迷惑というのなら、もっともっときみにはかけてほしいよ。
第一ね、セオドア。迷惑っていうのは、そんなふうにかける相手のことを気遣ってするものじゃないんだ。本当に何をそんなに気にするのか、昔からきみは、わがままを言うのが苦手だね。言われる側にとって、これは特権なんだよ? なのにきみはなかなかそれをくれなくて……そのことにわたしがどれだけさみしい思いをしたか分かるかい? だから、嬉しいんだよ、わたしは」
にっこり、これは本心からだと笑ってくれる。うっとりするような柔らかな眼差しとその言葉に、セオドアは今さらながらに思いしったものだった。
ああ、このひとに見限られるくらいなら、まだ死んだほうがましだ、と。
「それにね。きみはここにいないほうがいいのかもしれない。ここから離れて、よく考えておいで。他の一切は何も心配しなくていいから。
あとは自分で、選びなさい」
穏やかな声でそうさとして。蒼駕はどこか、遠い目をしてセオドアを見つめていたのだけれど、セオドアにはどうしても、その視線の持つ意味を知ることはできなかった。
◆◆◆
幻聖宮には転移鏡というものがある。
東西南北の館の地下深く、方位それぞれに向けて1つずつある、間隙という異空間を開く通路だ。
大陸中の国に配置されてある転移鏡とつながっているそれは姿見鏡という形で固定され、移動に緊急を要するとき以外足を踏み入れることを禁じられた一室にある。
以前、セオドアはこれを用いて幻聖宮からほぼ反対側に位置するミスティアまで移動をしたのだが、これはセオドアの犯した規則違反であって、当然ながらたとえ執務補佐長の蒼駕の口添えがあったとしても許されるものではない。(もちろんそんなものは最初からないが)
夕刻部屋を訪れた蒼駕から宮母のサインの入った正式な許可書をもらい、翌朝まずセオドアがしたことは、シエルドーア国方面に向かう商隊を探すことだった。
サキスは常に数多くの商隊が逗留している。規模は5~6人の小規模なものから200人を超える大きなものまで様々だ。
入れ替わり立ち替わり、その出入りは各方位の門が開いている間中途切れることはない。
なにせ、目にしたときにすぐさま買え、というのが売り文句だ。明日も同じ商人の姿がそこにあるという保証はどこにもない。
サキスへと出たセオドアは喧噪とした行商路を避け、防砂壁に沿って南門まで行くと、そこの門番に今日出立する隊を訊いてみた。
「ああ、あんたか。連絡は受けてるよ。調べておいた。ほら、南西のシエルドーア行きの隊は3つだ。1つは夜明けと同時に出たから残りは2つだけど、そのうちの1つが結構大きい。2人も退魔剣士を連れてるしね。
行ってごらん。きっと、同行させてくれるよ」
門番は話しながらさらさらと紹介状を書いて、その隊がいる場所を教えてくれた。
セオドアは頭を下げて礼を返し、彼に教わった場所へと向かった。




