第25回
●退魔師と魔断
「逃げろ!」
迫り来る炎をエセルの肩越しに見て、セオドアは目を瞠った。完全に正気に戻った頭でエセルを突き飛ばそうとする。
だがそうしてどうなる? ここは小部屋だ。入り口の壁を破壊し、床を破壊するほどの爆発の炎を避けられる場所などない。
それでも直撃を避けられたなら助かる道もあるのではないかと、押しやろうとした次の瞬間、逆にエセルの力強い手で抱き寄せられる。
そしてセオドアは見た。
炎に向かって伸ばされたエセルの左手の前で、同じく炎の壁が噴き上がるのを。
燃える炎と炎がぶつかり合った刹那に爆発が起きた。視界が光と炎で埋め尽くされる。炎は2人を避けるように床を走り、壁にぶつかり、天井を舐める。
狂乱する炎と対流する空気。まるで生き物のように炎が踊り、荒れ狂った熱風を受けて、天井や壁の一部が崩落した。しかしその欠片たちも、床へ落ちる前に蒸発してしまう。
それだけの熱量が周囲にありながら、セオドアは熱さを全く感じなかった。
まるで不可視のドームか何かで護られているように、熱も、熱せられた空気も感じられない。
(これは、一体……)
「俺といる限り、おまえが炎に焼かれることは決してない」
セオドアの心を読んだようなエセルの力強い言葉に、セオドアが視線を周囲からエセルへと移した。
「なぜだ」
「俺がおまえの魔断だから」
何でもないことのようにさらりと言ってほほ笑むエセルを見たとき。
うそだと口にするよりも早く、まるで霧が晴れたように一瞬でセオドアは理解した。
あかあかと照る炎に照らされた髪は、幾重にも紅を塗り重ねたような深い深紅。最高級の紅玉を嵌め込んだような瞳。そして、その足元に転がっている竜心珠の魔導杖に嵌まっているのは、火炎系の誓血石。
それらすべてがセオドアの中でつながった。
「……おま、えが……」
わたしの……?
これもまた夢なのではないか、確認するように伸ばした震える指に触れられて、エセルは心地よさそうに目を細め、その手をとり、自分の頬に押しつけた。
「紅刺だ。俺は、紅刺という。銘は『煌炎牙』。隠していてすまなかった。
おまえが今何を考えているか、分かっているつもりだ。だがそういった一切は、今は後回しにしよう。
今はあいつに対処するのが先だ」
あいつと言われて、セオドアは思いだした。
そうだ、自分たちに炎をぶつけてきた者がいる、と。
エセルの視線を追ってそちらを向く。周囲であれほど荒れ狂っていた炎は、今ではほとんど鎮まっていた。
名残りの花火のようにパチパチと爆ぜ、寝椅子や床に敷かれた敷物やタペストリーといった、わずかばかりの部屋の調度類が燻り、煙を上げている。
薄い煙幕のような煙の向こうから悠々と現れたのは、鉛肌の偉丈夫だった。
肩を覆った銀色の長い髪が微風に揺れる中、闇の中でギラギラと赤く光る点のような双眸がこちらをにらんでいる。
警吏署に現れた、あの魅魎だ。
「あれが、サリエルの召喚した魅魎か」
「そうだ」
セオドアの目は、火威の体に埋まった4つの緋珠の影を視る。腹部に1つ、両肩に1つずつ、そして眉間。
(複数の依り代持ちか。厄介だな)
依り代は主からの寵愛の証であり、創られた魅魎である魘魅の力の発生源でもある。あのすべてを砕かない限り、彼が消滅することはない。
「どうした? ジンユウよ。剣を抜け。せっかく待ってやっているのだ。これを逃せば2度はないぞ」
深みのあるバリトンで、火威はセオドアにそう呼びかけた。
「……わたしはジンユウじゃない」
「知っている。きさまの剣は私の体を粉々にしたが、同時に放った私の炎がきさまの胸を貫いたのも見た。きさまは死んだ。
だがきさまはジンユウだ。その魂の色、いまいましい碧翠眼を見間違えるものか。
私が眠っている間に相応の時間が過ぎたようだが、そんなことはどうでもいい。わが主を封じたきさまを許してはおかぬ。
今こそ二度と生まれ変われぬよう、その魂ごと灰燼に帰してやろう!」
苛烈な言葉だった。
火威の周囲にあった炎が彼に反応し、共鳴して再び火勢を取り戻し、噴き上がる。
言いがかりではと思えるその言葉の是非はともかくとして、火威が本気で殺意を向けてきていることを知って、戦闘態勢をとろうとする。そのとき、無意識に得物を求めて動いたセオドアの手を、エセルがつかんだ。
「エセル?」
「セオドア。俺を使え。俺がおまえの剣だ。
俺はおまえの剣となり、盾となって、おまえを護ろう」
竜心珠の魔導杖を拾い、手渡してくる。
セオドアの手に触れた、その瞬間。
竜心珠の魔導杖は、キイイイィンと『ともなり』を始めた。
それは己の刃を持たぬ剣柄。
その強大な力を秘めた内に収まるにふさわしい、強力な刀身・魔断を求めて空震を起こす。
一際輝く翠色の光を発した次の瞬間。
エセルの姿は消えて、柄の先には黒紅炎を噴き出す刀身が現れていた。




