第23回
●火 威
時は少し遡る。
町でレンダーが魎鬼たちを狩り、シーリンと対峙していたころ。ダーンの館の地下では、エセルと火威が対峙していた。
2人のいる部屋と壁1枚を隔てた廊下では、魎鬼たちが徘徊している。あちこちで壁を引っかいたり、廊下に配置された装飾品を破壊している音が聞こえたが、この部屋に入ってくる魎鬼はいない。
その理由として、この部屋には法陣が施されていることもあるだろう。
サリエルは時限式に法陣を設置していた。
彼女の法陣は、張った直後から少しずつ内力が減少していき、一定の時間がくるとその効力を失う。だから彼女は町の12方位に設置していた法具に、日に数回力をそそいでいた。
そしてこの計画に着手してから半月以上、ここで火威を相手に法陣を張り続けている。部屋1つ分の規模ならどれほどの時間有効か、把握していて当然だ。
そして彼女の思ったとおりに魎鬼を封じ込めていた部屋の法陣は解け、それを知った魎鬼たちはわれ先にドアや壁を破壊して部屋から出たわけだが、決してこの部屋へ通じるドアや壁を破壊することはなかった。
動物並の知能でも――いや、動物並の本能だからこそ、分かっているのだ。この部屋にいるのがどんな存在なのか。
この部屋の奥にある輝かしい生気の光に気付けていたなら、もしかすると愚挙に出る魎鬼が1匹くらいはいたかもしれない。
だが彼女に手抜かりはない。サリエルは念入りにこの部屋には法陣を張っていた。その奥の小部屋にいるセオドアの周辺には特に。
火威を封じる陣も影響して、二重三重となった法陣の中にいるセオドアを見つけることは、たとえ大気中の気を読むことに長けた退魔師、魔断であろうとも不可能だったろう。
彼女と感応し、心の一部が通じ合っているエセル以外には。
魎鬼たちは中央にあるこの部屋をぐるぐると囲むように徘徊し、そしてすぐに階上へ通じる階段を見つけた。
セオドアのかすかな気配をたどって侵入する際、人目につかないよう一応ドアは閉めてきていたが、魎鬼たちの膂力をもってすればそんなもの、何の障壁にもならない。事実、そう時間はかからず、バリバリとドアが壁ごとたたき壊されている音が上のほうから聞こえてきた。
「いいのか?」
火威が問うたが、答えを彼は知っているようだった。
肩を竦めて見せるエセルに「そうか」と苦笑する。
「どうやらきさまは、私が知る魔断たちとは、少し毛色が違っているようだ」
「ああ、よく言われるよ。あいつら、すぐ人の命が大切とか言って飛び込んで、勝手に窮地に陥ってるからな。
けどな、俺に言わせりゃ自分に何ができるかちゃんと把握していれば、そんな阿呆なことには手を出さないのが普通だ」
エセルからすれば、ここにいる者は、どんな理由であれ全員同罪だ。たとえ消極的であれ、何が起きているか知りながら黙認してきたのだ。加担とも言える。
そうして起きた事件がセオドアをこんな危機的状況へ追い込んだと思えば、助ける気も失せる。どうなろうと知ったことか。
唯一、囚われているシェスタだけ例外だが、彼女は今ごろダーンがなんとかしているはずだ。
ダーンとは館へ入ってすぐに別れた。
ここでの彼は、ガザンの息子として一目置かれている。セオドアが魅魎のいる地下にいると知り、手を貸そうと申し出てきたがエセルが断った。こうなった今、断って正解だったと思う。
上の階はさぞかし混乱しているだろう。なにしろ突然地下から魎鬼があふれ出てきたのだ。見張りの男たちもシェスタどころではなくなっているはずだ。この混乱に乗じて、今ごろダーンが連れて逃げているに違いない。
逃げる者たちを追って魎鬼たちもすぐに館外へ出て町へ広がっていくのだろうが……そこから先はもう、ダーンの剣士としての力量と運だ。何が一番大切か、ちゃんと理解していれば生き残れる可能性は高い。
「そんなことより、おまえのことだ。おまえは? 出ないのか?」
視線を床に描かれた法陣へと落とす。
彼を封じる陣はまだ有効で、12方位に配置された法具が白く輝き、力を流動させている。
だがこんなもの、火威の実力ならばすぐに破れるのは、エセルにもなんとなく感じ取れていた。
もちろんそれなりの痛手を負うことにはなるだろう。だが致命傷ではない。火威なら失った力も、傷も、すぐ回復できる。ここは町の中で、町を護る法陣はないのだから。回復に必要な生気はあふれかえっている。
「さて」と火威は椅子を引き寄せ、悠々と腰掛けて足を組む。「そう急ぐこともあるまい。とりたてて外に何かあるわけでなし」
「へーえ。驚いたな。彼女はここでおまえに番犬役を振っているようだが、おまえ自身、犬のようにそれに従ってるのか。
昼間も、おまえは俺と組むより彼女に従順に従うほうを選んだ。それでは犬扱いされてもしようがないな」
「ああ、きさまの言いたいことは分かるぞ。だが口を慎め、魔断。きさまは確かに強い力を持っているようだが、それも魔断であればだ。私の敵ではない。言葉は選ばぬと、ここを出た私に最初に喰われるのがきさまということになる」
「はっはあ! 実に魅魎らしい傲慢さだな。俺とやり合ったこともなく、俺の力量を決めつけるか。だがそうして足元をすくわれたやつを、俺は何人も知っているぞ。おまえもその長い列の末尾に加わってみるか?」
火威の闇の目とエセルの紅い目が合い、炎を操る者同士の熱い殺意がかわされる。
先に視線を逸らしたのは火威で、頬づえをついた。
「ふん。まあ、きさまの言うとおり、たしかに業腹なことではある。
あの女退魔師を連れ出しに来たのだろう。連れて行け」
靴先で奥の部屋のドアを指した。
これにはエセルも驚く。彼との闘いは避けられないとばかり思っていたのだ。
先ほどああ返しはしたが、火威は魘魅といえど複数の依り代を持つ強敵で、へたをすれば並の魅妖以上の力を秘めている。法陣を破るときに大量の力を消費する、それが勝機につながると考えていた。
だがまさか、こんなことを言い出すとは。
「……いいのか?」
「きさまは火炎系なのだろう。炎の遣い手同士でやり合うのも面白そうではあるが、不毛だ。それに――」
火威は、不自然にそこで言葉を止めて、宙に視線を移した。
エセルには分かりようのないことだったが、このとき、彼は、彼が与えた小さな緋珠が砕けて、彼の創った若い魘魅が消えたのを感じ取っていた。
サリエルに命じられて創った魘魅で、適当に選んだ小娘だったが、出来上がった魘魅はなかなかのものだと感じていた。
それなりに気に入って、華燐との名も与えていた。だがやはり、誕生してすぐの相手にあの男は、荷が勝ちすぎていたようだ。
(返り討ちにあったか)
華燐の消滅に対して火威が持ったのは、その程度の感想だった。
惜しむ感慨もない。
「どうした」
「ああ、いや。
それに、もうすでにやつの計画には破綻ができている。そこにさらに1つ加わったところで、どうもあるまい」
エセルはそれが火威の本意かどうか、量るようにじっと見つめていたが、やがて思い切るように奥の小部屋へ向かって歩き、ドアを開けて中へ入った。
「セオドア!」
鎖につながれ、床に倒れて動かない彼女に、急ぎ駆け寄る。
その様子を開け放たれたままの戸口から見ながら、ぽつり、火威はつぶやいた。
「……もっとも、私に話したことが計画のすべてと思っているわけではないが」
あるいはこれすらも、やつの考えに含まれているのかもしれない。




