第21回
夜の闇に映える、清らかな力が満ちた白く輝く光のドーム。
薄く、均一な線のように見えるそれは、一見脆弱な膜のように見えてその実途切れることなく流動する力だ。町長の館を囲むように12方位に配置された法具から柱のように上へまっすぐ上がった力は、ある一定の高さでまるで樹木がその枝を伸ばすように宙へ細かな編み目状に伸びていき、互いに融合して力と光を補強しあう。
そうして白く強い輝きを互いに与え、受け取りながら、大気中に薄く漂う魎鬼の瘴気に反応して、夜空に星屑のような光を散らしているのだ。
しかしそれは、視る力を持つ限られた者の目にのみ映る光景である。大半の者たちに見えるのは、ただ何も隔てるもののない、夜が広がっているだけだ。
魎鬼が出たとの声があちこちで飛び交う中、足の悪い母親に肩を貸して支えながら連れてきた若者は、町長の館が見えてきたところで笑みを浮かべた。
「さあ母さん。あと少しだ」
痛みに顔を歪ませる母親を励まし、彼の接近に気付いて柵門を引き開けてくれた者に礼を言いって門をくぐる。
そうして、見知った町の者たちが大勢いる場に無事たどり着けたことにほっと気を緩ませた途端、体から力が抜けてバランスを崩した。
「おっと」
母親の重みに引きずられて倒れそうになっているところを、横からアーヒムが助ける。
「ああ、アーヒムさん」
若者は、それがいつもお昼に食べに行く店の店主と気付いて、笑顔で彼を見上げた。
「大丈夫か? バシム」
「ありがとうございます。はい、僕も母も、大丈夫です。ですが――」
「おおい! 開けろ!! 開けてくれえーー!!」
切羽詰まった大声が聞こえてきて、バシムは言葉を止めた。
今自分たちがくぐったばかりの柵門のほうを肩越しに見ると、ふくよかな体をゆさゆさ揺すりながら、中年男が懸命に走ってきていた。
「ジャメルさん」
ジャメルと呼ばれた男は開かれた柵門を転がるようにくぐって、ぺったり尻もちをついたまま、そこではあはあと声が出ない様子であえいでいた。
ここを避難場所と聞いてやってきたのは分かるが、それにしてもちょっとあわてすぎだ、と考えたところで思いだす。
「そういえばやつの家は」
「ええ。たしか西のほうです」
アーヒムの独り言にバシムが答える。
ジャメルに注目しているのは2人だけではない。彼の大きな声とただごとではない様子に周りの者たちの視線が集まる中、「み、水……水……」と水を求める彼に、飲物や軽食を配っていた館の者が近寄って水の入ったカップを手渡す。
ジャメルはそれを一口飲み――震える手は、カップの中身の大半をこぼして服の前を濡らしていた――そして人心地ついた様子で、震え声で言った。
「化け物だ……化け物が出た」
「見たのか」
訊いたのは、柵門の開閉を担当している門番のムラトだった。
「ああ」ジャメルはさらに一口飲んで、ちらちらと外の様子を気にしつつ口元を拭く。「ファディを食い殺したあと、エネスが逃げ込んだ家をたたき壊そうとしていた。2匹だ。2匹いた。そりゃもうすごいでかくて、獣のようにうなって、太くて頑丈そうな長い爪のついた手で殴ってて」
「それで、エネスは?」
「あいつには妻と子が2人いただろう。3人はどうした!?」
投げかけられる言葉に、ジャメルは首を振った。
「知らん。俺が見たのは、その2匹がガンガンぶったたいて、家を壊そうとしていたところで――」
そこでふと、ジャメルは何かに気付いた顔をした。
「女だ! あの、金髪のよそ者がいた!!」
「なんだって!?」
「本当か!?」
「見たのか!?」
矢継ぎ早に飛んでくる声に、ジャメルはこくこくとうなずいた。
「間違いない! 昨日、町を歩いているとこを見たんだ。男みたいに背の高い、金色の髪と緑の目をした女だった。剣を持っていて、あああれが例の、宮から来るっていう退魔師さんかと思ったんだ。
その女が、エネスの家を襲っている化け物たちの後ろで、ニヤニヤ嗤って見てたんだ!
化け物たちは、ファディたちみたいに女には襲いかかってなかった。まるであの女が、猛獣使いのように操ってるみたいで、それで、俺はもう、怖くて、恐ろしくて……」
周りを囲まれ、もっと詳しく話せと言われて、あたふたと話しているジャメルの様子を眺めて、アーヒムは眉を寄せていた。
難しい顔をしているアーヒムに気付いたバシムが不思議そうに彼を見上げる。
「どうかしたんですか? アーヒムさん」
「……いや。俺もその女を見たんだ」
「ええっ? じゃあほんとに!?」
「それが――」
そのときだ。
「何事なの?」
騒ぎを聞きつけたのだろう、サリエルの声がしてきたのでそちらを向くと、自然と人が左右に分かれて、開けた道を歩いてサリエルが現れた。
「サリエルさん。実はですね」
とムラトが駆け寄って彼女に事のあらましを説明する。
「セオドア? 彼女が? 本当に? 見間違いじゃなくて?」
「ほ、本当です、サリエルさん」
困惑し、半信半疑といったサリエルに、立ち上がったジャメルが同じ説明をする。
サリエルは曇った表情のまま、彼の話を黙って聞き、そして「それを伝えるためにそんなにも急いできてくれたのね。ありがとう」とジャメルをねぎらった。
肩に乗ったサリエルの手に、ジャメルはぽーっとした顔で彼女を見つめ、へへっとうれしそうに笑う。
サリエルは彼から離れ、集まっている者たちを順々に見渡すと告げた。
「皆さん。今、何が起きているか、なぜこんなことになってしまっているのか、分からなくてさぞ不安でしょう。私も皆さんと同じで、ただただとまどうばかりです。
ですが、心配は不要です。ここは私の力で護られています。魎鬼たちは、ここには決して入ってくることはできません」
「それはどうですかな」
異議を唱える声が上がった。
声の主はもちろんガザンだ。
配下の者が威圧し、開いた道を悠々と歩き、サリエルの前へ進み出る。
彼が何を言うつもりかは分からずとも、不和の種を撒こうとしているのは明白だ。
「ガザンさん、今は緊急事態です。そういうことは――」
町長のリランドが止めようと、急ぎ前へ出ようとしたが遅かった。
「この町は、本当ならあなたの力で護られて、魎鬼など寄せつけぬはずでは?
なのに、このざまです。これは、あなたの力がやつらに効果がなかった証ではありませぬか?」
ガザンは一度そこで言葉を切ると、サリエルの返答を待った。
そしてサリエルが言葉を返せずにいるのを堪能してほくそ笑むと、ガザンは町の者たちへ向き直り、声を張った。
「皆さん! こんな所にいても、魎鬼は防げません! 理由はさっき私が言ったとおりです!
ここは危険だ。ぜひ私の館へ移りましょう! 私の館には、息子のダーンがいます! 息子は王都で剣士の技を身につけてきました! それに、私の館には大勢の腕に覚えのある者たちがおります! きっと皆さんを護り、魎鬼どもを片付けてくれるでしょう!」
ガザンの言葉に、一斉に周囲の者たちがざわついた。
彼らはあきらかに心を動かされている様子で、互いを探るような目で見合い、どちらを信じるべきかについて、口々に声に出し始める。
こうなることが分かっていて――いや、こうすることが目的で、町の者たちが十分集まったところを見計らって、この男は出てきたのだ。
「ガザンさん。無茶を言ってはいけません。もし移動中に魎鬼が現れたらどうするおつもりですか。ここまで来るのがやっとで、すぐには動けない者もいるのです。それでも彼らを連れて行くとなると、かなりの時間がかかるでしょう」
リランドが急ぎ火消しにかかる。せっかくサリエルが結界を張ってくれているのに、ここから移動するなど無謀でしかないと彼は考えているからだ。
しかしガザンは愉悦の笑みを崩さず、反論した。
「やつらが来るのは西の方角から。私の館は反対の方角です。今からでも十分間に合う距離です。
心配なら、あなたとそちらのサリエルさんも一緒に来ればいい。あなたのご家族や、館の方々もです。歓迎しますよ、もちろん。
先ほどのこともあります。あなたにも思うところはあるやもしれませぬが、この非常時に、そういったことは一端忘れましょう」
リランドが反対しているのは、言い合いをしたばかりだからだ、と人々に印象づける。
懐の広いところを見せることで彼を見下し、己の優位さを存分に味わってガザンが気を大きくしたところで、それは起きた。
突然何の前触れもなく、南東の方角が紅色に染まる。
その不自然な明るさに、何事かとそちらを仰ぎ見た彼らの目の前で、炎の柱が夜空に向かって噴き上がった。
そこはダーンの館がある付近だとガザンが気付き、顔を強ばらせたときだ。
ガチャンッと柵門に何かがぶつかる音に反射的に振り向くと、そこに倒れこんでいたのはガザンがダーンの館に配した、シェスタの見張りにつけた男の1人だった。
顔面蒼白し、けがを負っているのか、右肩を強く押さえている。
人々の中にガザンの姿を見つけた男は柵にしがみつき、荒い息を整える間も惜しむように切迫した声で叫んだ。
「大変です、お館さま! 魎鬼です! 魎鬼どもが、館から続々と出てきて……館は大混乱です!!」
「なっ、なんじゃと!! そんなこと、聞いておらんぞ!!」
ガザンは驚きにわれを忘れて叫んだ。




