第18回
上級退魔剣士や剣師なら、大気中に拡散される魎鬼の気配を追うこともできるのだろう。
だがレンダーにそこまでの視る力はない。
上がる悲鳴と、危険な場所から少しでも遠ざかろうとする者たちの姿を頼りに方角を特定し、増設に増設を重ねた結果、まるで迷路のようになってしまっている細い裏路地を走り抜ける。
はたしてそこにいたのは2匹の魎鬼だった。
1匹ずつ散らばってくれていたら楽だったのだが、それはムシが良すぎる願いだったか。
2匹は家屋を表と側面から殴りつけていた。おそらくそこへ逃げ込んだ者を追ってきたか、籠城している者の生気を嗅ぎつけたのだろう。
壁はすでに何重にも罅を入れていた。深く、大きな罅も幾つかある。瓦礫片が足元のあちこちに転がっていて、あと2~3発も受ければ大穴が空くか、壁ごと倒壊しそうだ。
すぐそこにある生気のにおいに鼻をひくつかせ、よだれを垂らし。があんがあんと壁を壊すことに夢中になっている魎鬼たちは、走り寄るレンダーの接近に気がつかない。
右手の親指が鍔を押し上げ、鯉口を切る。抜刀直前に奥の1匹が気付いたように頭の向きをこちらに向けた。
深い眼窩の奥、針で突いたような赤黒い光と目が合った気がした。
警戒し、止まるべきか?
一瞬の逡巡。
だがもう遅いと、レンダーは一気に剣を鞘走らせた。
同時に刀身の内側に開かれた〈道〉を伝ってレンダーの気が流れ込み、刀身がほのかに白光する。
「ハッ!」
気合一閃。
斜め上に向かって斬り上げられた刃は、狙いどおり手前の魎鬼の右腕を肘で断ち、脇腹から入って肉と骨を切り裂いたのち対角の肩口から抜ける。
そこで剣は止めない。勢いを殺さず、なお踏み込んだ軸足を基点として1回転し、遠心力ごと奥の魎鬼へたたきつけた。
ガキッと硬い鉄に食い込むような音と衝撃が伝わって、レンダーは攻撃が防がれたことを知る。
魎鬼の鋼鉄のような両手のかぎ爪が、心臓部を狙った刀身を直前で食い止めている。
やはりか、と目を眇めたレンダーは、すぐさま剣を引いた。
攻撃が防がれれば、次にくるのは反撃だ。
魎鬼と力で押し合うようなばかなまねはせず、後方へ跳んで距離をとる。
手前の1匹は、レンダーの初撃に押される形で壁に倒れ込み、そこで自分が破壊した鎧戸の柵にのどを貫かれていた。飾りがうまく槍の穂先のかえしのようになっていて抜けず、もがいている。
まだ動けているようだが、背中に受けた傷は致命傷だ。漏れた胃液がシュウシュウと音をたてて周囲の肉を溶かして大穴を空けていた。
もはや気にする必要もないと、レンダーは瞬時に判断し、意識から切り捨てた。
残る1匹へ集中する。
防がれたとはいえ、魎鬼も無傷というわけではない。刀身をつかんだ右手の3本と左手の2本が欠落し、残りのかぎ爪も罅が入り欠けている。
(あの爪では、2度は防げまい)
低く、突進のかまえをとったときだ。
「セ……セセ。セ、イ……クク」
という片言の言葉が聞こえてきた。
「クィ……タ、ァイ……」
その言葉は間違いなく、目の前の魎鬼が発している。
弱々しい月明かりの中、よくよく目を凝らして見れば、この魎鬼はこれまで見たことのある魎鬼の中で、最もマシな肉体をしていた。
特に胸部の肉が白くて新しい。
まるで空いた穴に別の粘土を詰め込んだように、他の部位と色が違っている。
そして、人であるなら心臓部に位置する場所で輝いているのは――親指の爪ほどの球状をした何か。
魎鬼に依り代が?
(……まさか)
レンダーの脳裏に閃くものがあった。
1週間ほど前にあった魎鬼の襲撃だ。その後、カディスとセオドアから受けた報告の中に、しゃべる魎鬼というものがあった。逃してしまったが、胸に大穴が空いて心臓部も破壊されていたから、きっとどこかその辺でのたれ死んでいるだろう、と。
(まさかあのときから、すでに?)
だがその思考は、そこから先に進むことができずに散った。
魎鬼が向かってきたのだ。
退魔師の持つ生気は、ほかの一般の者よりずっと強い輝きを放っているという。
先まで執拗に破壊していた家屋に、今はもう見向きもせず。強い生気を持つレンダーに狙いを移したのだろう。
グワァアォゥウウゥ
獣のように低いうなり声を発し、長い腕で襲いかかってくる魎鬼を、レンダーは微動だにせず無表情で見据えていた。魎鬼の長い腕の間合いに入ろうともあせりひとつ見せない。
魎鬼はレンダーの頭をたたきつぶそうと、両手のひらを水平に打ち付けた。直後、ぱぁんと柏手を打ったような音がしたが、それは何もない空間を打ったに過ぎなかった。
レンダーはそれよりも一瞬早く動きだしており――動けば、刹那だった。
魎鬼の懐へ飛び込み、剣を突き込む。
狙いはただ一点。ひたと見つめる先、心臓の緋珠だ。
厚い胸の肉と骨に守られた奥、親指の爪ほどの小ささであろうとも、迷いなく突き込まれた熟練者の剣の切っ先は狙い違わず正確に目的物を捉え、緋珠を真っ二つに割り砕いた。
パリン、と薄いガラスが割れるような音を、レンダーは耳でなく剣を通じて感じとる。
これが魘魅であれば、依り代を砕かれた瞬間に止まっていた時が追いつくように塵と化してしまうのだろうが……。
魎鬼ではそうとならず、ネジが切れて動きの止まった人形のように、ぐらりと横倒しになっただけだった。
息を整える間、ぴくりとも動かない、完全に死んだその体を見下ろして、魎鬼に依り代を与えるとは、一体どんな酔狂な中級魅魎だと考えていたときだ。
パチパチと、まるで彼の働きを称賛するような、軽い拍手の音が左手の闇からしてきた。




