第17回
レンダーが生まれたのは、マスルールという中規模の国の辺境の小さな町だ。
父親はそこで牧場を持っていて、主に毛織物用の羊を飼って暮らしていた。小さな町や村ではよくあることだが、働き手を増やすため、子だくさんの家が多かった。レンダーの家もそうで、8人きょうだいの7番目だったレンダーは、牧羊犬たちと一緒に子羊の群れの番をするのが日課だった。
ある日、王都から来たという一団が現れて、町長に6歳までの子どもたちを集めるよう要請した。その中にはレンダーと弟も入っていた。
彼らに何か、ひどいことをされたというわけではない。むしろ楽しかった。面白い遊びだと思った。
そうして彼らはちょっとしたゲームを幾つか提案してレンダーたちを楽しませると、最後に優秀だった数人を選出した。弟は落ちて、レンダーは入っていた。
その夜、彼らは選出された子どもたちの親と話して、親にまとまった金を渡した。レンダーたちは王都を経由して宮へ行き、退魔師としての訓練を受けることとなった。
両親に売られたとは思っていないし、こうなったことに不満はない。当時は意味が分かっていなかったが、王都や宮への旅は面白く、楽しかった。今まで見たことがない生き物や物、出来事、場所ばかりで、驚きの連続だった。
それが深く胸に残ったのだろう、この大陸のどこにどんな場所があるか、見て回りたいと強く思うようになっていた。
だから退魔師としての才を見出され、下級退魔剣士になったことも、彼にはちょうどよかった。もしそうならなかったら、今ごろ両親の勧めで彼らの友人の娘の1人と結婚し、家族を養うために羊の世話か、田畑を耕すことに明け暮れる日々を過ごしていただろう。
宮を出て所属した国は生国だったが、配属させられたのは名前も知らない小さな村だった。彼の生まれた町より小さく、住人は2000人足らず。退魔師は法師が1人とレンダーだけだ。
そこで2年間、下級退魔剣士としての務めに従事したが、そんな場所は中級魅魎の標的にはならず――彼らは襲うにしても、歯応えを求めるため――時たま襲ってくる魎鬼や妖鬼たちを退治したり、村の近辺に巣魂ができないか警邏するくらいのことしか起きなかった。
平和なのが一番だが、まだ若く、剣士としての訓練を受けてきたレンダーにとって、それは張り合いのない、退屈な日々だった。
魅魎を唯一断てる生きた剣・魔断と感応し、中級魅魎を相手どれる上級退魔剣士や退魔剣師と違い、少しばかり目が良くて、気の流れを感じ取れる程度の下級退魔剣士など世の中には掃いて捨てるほどいる。
だから契約期間を満了して、再契約をせずに『流れ』になると言っても、特に惜しまれることもなかった。
個人の商人か商隊に雇用され、彼らの用心棒となって旅をした。
だが彼らはみんな、同じ場所、同じ圏内で商売をするため、その移動ルートは固定されてしまっている。だから金がある程度貯まるとその商隊から離れて、別の商隊へと移るのが定石となっていた。
今の商隊にはなんだかんだと3年いる。かなり大きな商隊だ。商隊は大きくなり過ぎたころ、隊長の子どもが隊の3~4分の1ほどを連れて離れ、新たな商路を開拓していく。
エイラスがそれをしそうだから、彼の商隊について行こう思っているとカディスと話していた矢先に商隊が魎鬼の群れに襲われて、彼の背中を護ってカディスが死んだ。
そして彼はカディスの遺言を果たすため、この町へやって来たわけだが、そこでまさかこんな出来事に遭遇するとは。
この町を訪れたのは初めてというわけではなかった。しかし、道をすべて把握しているというほどでもない。
レンダーは、人が走ってくるほうを選んで走った。彼らは魎鬼から逃げているのだから、逆に進めば魎鬼がいるに違いない、と。
その考えは間違っていなかった。
前方から女性の悲鳴と、魎鬼のたてるうなり声が同時に聞こえてくる。小路を抜けて大通りへ出ると、そこにはやはり魎鬼がいて、通りの向こう側でこちらに背を向け、建物に向かって右腕を振り上げていた。
左腕は根元からなく、泥のような背中の肉はぐずぐずになっていたが、うすぼんやりと、白く発光していた。
それには見覚えがあった。
こんなふうに光っている魎鬼と、夜の砂漠で何度か遭遇したことがある。
取り込んだ生気が体に回って、少しずつ回復しているのだ。
今回、その取り込んだ生気は、この町の人間や動物たちのものだろう。魎鬼が食い散らかした肉片が点々と通りに落ちているのをざっと流し見て、レンダーは把握した。
きゃあああ、とまた悲鳴が聞こえた。
魎鬼は建物に向かって腕を振り上げているのではなかった。建物を背にへたり込んでいるらしい女性の足が見える。
「肌を覆え。伏せて、目を閉じていろ」
レンダーは彼女に向かって言い、剣を抜くと同時に魎鬼へ斬りつけた。
回復に入っていたとはいえ、まだ泥土のようだった肉は軟らかい。レンダーの気を通した破魔の剣は、獲物に夢中な魎鬼の無防備な背中を骨ごと断ち切った。
魎鬼の胃液・唾液は強酸だ。
胃を両断しないようにと気を付けてはいたが、食道から口内はどうしようもない。
路上にぐちゃりとすべり落ちた上半身から飛び散った唾液が、辺りにかかってジュッと焼け焦げた音と煙を出す。
時間がなく、唐突な指示を守るかどうか確認することもしなかったが、女性はレンダーの言葉に従ってくれたようで、頭からアバヤという布をかぶって路上に伏せていた。そのおかげで飛び散った唾液で布に小さな穴は空いていたが、女性自身は護られたようだ。
女性は、魎鬼の後ろから現れたレンダーを見上げ、彼が助けてくれたに違いないと思い、何か口にしようとしたが、すぐ近くで魎鬼が起き上がろうとしているのを見て、「ヒッ」と引きつった声を上げた。
魎鬼は倒れた路上でまだ動いていた。このしぶとさは、先に取り込んだ生気のせいもあるのだろう。手足をばたつかせ、身を起こそうとあがいているように見えるが、上半身と下半身が泣き別れの状態では復活は不可能だ。
そのうち生気が尽きて、腐臭漂う腐肉の山となる。
それと知るレンダーは、もう魎鬼を見てはいなかった。
剣を鞘に戻し、通りへ視線を投げる。
魎鬼は5匹いると言っていた。5匹を1人で相手にするのはさすがに初めてだった。剣がもつかどうか……。
そしてその背後にいたという、金髪の女性。
まず間違いなく中級魅魎だ。
女性の存在を聞いたときから、そうだろうと気付いていた。
別れ際、ダーンにはああ言ったが、こちらがダーンの向かった館よりましだとは毛ほどにも思っていない。
案外、ここが自分の死に場所となるのかもしれない――そう考えながら、次の魎鬼の気配を追って走る。
レンダーは、自分の胸が勇みに高鳴っていることに気付いていた。




