第16回
エセルたちが魎鬼出現を知ったのは、ダーンの館へ向かっている途中だった。
「魅魎だ! 魅魎が出たぞ!!」
との声に、走っていた足を止め、通りのほうを振り返る。
「アーヒム!」
注意喚起をするように走る男たちの中に見知った顔を見つけたエセルが、通りへ出て腕をつかみ止めた。
「どうした? 何をそんなに叫んでいる」
「ああ、エセルか」
腕をつかまれた当初、びくっと全身を震わせて硬直したアーヒムだったが、それをした相手がエセルと知って緊張を解く。そして身を揺すってシャヒールを片側に移すと空いた手の袖で額の汗をぬぐった。
「西の区域で魎鬼が出たんだ」
「おまえも見たのか?」
「ああ。ハリーファの言うことだと、突然何か崩れるような音がしたんだと。そんで、手抜き工事で天井でも抜けたかと確かめに外へ出てみたら、半分崩れた空き家から魎鬼たちが出てきたらしい。俺が見たのは、通りに出てこっちへ向かってきていた5匹だ。
もういいか? じいさんを町長の館へ連れて行かなくちゃいけないんだ」
大きな背中を揺すって、そこにしがみついて震えているシャヒールを見せる。
「館へ?」
「サリエルさんが、集まれと呼びかけているらしい。結界を張るからって。
おまえも行けるなら行ったほうがいいぞ。行きにくいのは分かるが、こんなときだ、四の五の言ってるような状況じゃねえ」
話している間もそわついている彼に礼を言うと、エセルはレンダーとダーンの元へ戻ろうとする。
その背中に、アーヒムは言うべきかどうかためらったあと、「エセル」と声をかけた。
「おまえ、昼間俺の店で……女と話してたろ。ほら、金髪の」
「ああ」
それがどうかしたか、と振り返ったエセルに、アーヒムは最後に目撃した女性について話した。
「ほんの、ちらっと見ただけなんだ。俺の見間違いかもしれないが……」
「分かった。教えてくれてありがとう」
手を挙げて、あらためて礼を言うと、アーヒムは少しほっとした顔で手を振り返し、走って行った。
エセルも路地へ戻る。
「始まったようだ」
直接計画内容を聞いたわけではないが、自身の名誉回復と町民たちの信頼・支持回復を狙うために魅魎騒ぎを起こしていると知っていたエセルは、このことに驚かなかった。
ただのうわさ話で終わらせては意味がない。中級魅魎を配下にしていたところからして、必ずこうした騒ぎを起こすだろうとの予想はついていた。
ただ、すでに魎鬼を内に入れているとは思っていなかった。てっきりまた中級魅魎を使って騒ぎを起こすとばかり思っていた。
魎鬼は知能が低く、人の言葉を解さず、食欲が何より勝る。常に生気を取り込み続けなければ腐って消滅してしまう。体も大きく、3メートル近くある上背と、家屋の壁など腕の一振りで破壊してしまう膂力がある。
そういったことを考慮すれば、計画に組み込むのは難しい。外から呼び寄せたというのなら分かるが、一体どうやって内部に潜ませていたのか……。
「西はほとんど人の入っていない、空き家の多い区域です。いつかの段階であの火威という魅魎を使って運び入れ、封じていたのかもしれません」
ダーンは退魔師としての教育を受けていない。退魔封師にそんなことができるのか知らず、あくまで予想だったが、レンダーに目を向けても反論は返ってこなかった。
「効果的な方法だ。外から襲撃させるよりも、内側で出現したほうがずっと人々をパニックに落とせる」
「本人としては、魅魎はいないと言っていたのを信じなかった町の者たちへの見せしめみたいなものもあるんだろう。「町の中に本当に魎鬼がいたらどんなことになるか、教えてやろう」ってね」
事実、彼らはあせって混乱していた。町長の館から戻ってきたに違いない男たちは、サリエルのいる館へ家族を連れ出そうとしていた。しかしそういった者たちばかりでなく、中には家の窓の鎧戸を落としたり、ドアに板を釘で打ち付けたりと、防備を厚くしている者もいる。
結界を張れるサリエルの元で護ってもらうのが最適であるのは間違いないが、家族の中には病気で動けない者や、年老いて館までたどり着くのに時間がかかる者もいて、そうせざるを得ないのだろう。
あんな急ごしらえの防御策で、どれほど効果があるものか……。
「生気を嗅ぎつけることに関しては、やつらは犬より鼻が利く。あれでは侵入を防ぐことはできないな」
レンダーの独り言のような言葉に、ダーンは手をにぎり締め、決意の面を上げた。
「お二方、聞いてください。
私はこれから西へ向かい、彼らが逃げられる時間を稼ごうと思います」
「そうか」
雇用主である彼にならおうとするレンダーを、ダーンの手が制止する。
「いいえ。あなたはこのままエセルさんと館へ向かってください。そして……どうかシェスタを、お願いします」
その言葉に、レンダーの目が細まった。
「彼女を助けたいのなら、それはおまえがすることだ」
「いいえ。私は罪人です。今度の件が終息して、父のしたことが明るみに出れば、私たち親子は王によって裁かれることになるでしょう」
まず間違いなく、極刑になる。
「そこに彼女を巻き込むことはできません」
帰ってきて手伝えとの手紙を受け取って帰郷したダーンは、そこで初めてガザンの起こしたことを知った。
そのときにはもはや止めようがないほど事は動きだしていて……彼女との未来はないと、覚悟を決めた。
自分が彼女に優しくしたり助けたりすれば、彼女はその恩との狭間でつらい思いをすることになる。
もとから彼女とは不釣り合いの関係だったのだ。
彼女には、もっとふさわしい男がいる。王都の婚約者のように。
「彼女は館の2階の西角部屋に監禁されています。どうか彼女を自由にしてやってください」
お願いします、と頭を下げ。走り出そうとしたダーンを、レンダーが止めた。
「おまえの言い分は分かった。だが、それでも彼女を助けるのはおまえの役目だと私は思う。
彼女の誘拐・監禁が、おまえの父親が起こした事だ。向こうは違う。父親の起こした事の始末をつけるというなら、おまえが行くべきは館だ」
「ですが――」
「向こうへは私が行こう。私はおまえに雇われた。おまえのしたいことが2つあるなら、1つは私が受け持つのが道理。
それに、相手が魎鬼のほうが私としてもやりやすい」
『流れ』らしい言葉だった。
雇われ者として、雇用主の希望を優先して期待どおりに動かなくてはならないが、そうして自身が死んでは意味がない。
その意図は、ダーンにも伝わった。
「分かりました。では、町の者たちをよろしくお願いします」
ダーンが再度頭を下げる。
その頭越しに、レンダーは後ろで2人のやりとりには興味がないと、退屈そうにしているエセルを見た。
「おまえは? 彼女の姿を見たとあの男は言っていたのだろう? 行かないのか」
「あ? ああ、あれは彼女じゃない」
払い捨てるようにエセルは手を横に振った。
あっさりとしたものだ。
エセルはセオドアの魔断だ。感応した彼女とは心理的なつながりがある。
下級退魔剣士のレンダーには分かりようのない感覚で、彼は彼女でないと分かっているのだろう。
「そうか」
レンダーはうなずき、そして2人と別れて西へ向かって走った。
その姿は、あっという間に通りを往来する人にまぎれて見えなくなる。
それを見送ったダーンはエセルに向き直り、告げた。
「お待たせしました。エセルさん、私たちも行きましょう」




