第14回
南向きの窓は東の表門からは死角となっていて、エセルの出入りが見つかることはなかった。
柵を越えて着地するときに少し音が出たが、町民たちの意識は完全に町長とガザンへと向いていて、振り向く者はいない。
窓を見上げても、サリエルが追ってくる様子も魅魎を差し向けられる気配もなかった。
(サリエル)
まさかサリエルと出くわすとは思わなかった。
彼女がこれを奪取しに来るとは思っていた。だからその前に手に入れなくてはと考え、侵入したわけだが、しかし同時とは。
彼女がエセルを見た瞬間、なぜ人を呼ばなかったかは分からない。
みんなには、セオドアほどではないにせよエセルも怪しいと思われているはずだ。
セオドアを町へ呼ぶことを提案した者だし、警吏署へ駆け込んでいく姿を何人もに目撃されている。直後、警吏署は炎に包まれ全焼したが、エセルの死体は出てこなかった。
見つけた瞬間殺さないまでも不審に思い、捕らえて話を聞こうとする者たちがいておかしくない。
彼が拘束されて身動きがとれなくなるのは、サリエルにとって都合がいいはずだった。
彼女自身は、セオドアの部屋になぜいたのかと問われても、前を通ったとき中で物音がしたからと言えば済む。
(あそこで彼女を捕まえられたら事は簡単だったんだが……)
彼女が大声を上げて人を呼ばなかった理由は分からないが、それはそれでエセルにとって好都合だった。
黒幕である彼女を捕まえることができれば、すべてを終わりにすることができるからだ。
ガザンの一味が厄介だが、結局は人だ。魅魎ほどの脅威はない。
彼女は女性で、エセルのほうが体格も力も勝っていて、しようと思えば楽に押さえ込める。
だがエセルは、サリエルが短剣を常に携帯していることを知っていた。
さりげなく服のひだに隠して人の目につかないようにしていたが、今朝も身に付けていた。
あのキスも、誘惑も、罠だった。
寝台へ倒れ込んだとき、楽しげに笑いながらもしっかりと腰の短剣が隠れるように左側を下にしていた。シーツの上についた手をエセルから死角の位置となるよう自分の体の影に隠していたりと、その動きはあやしく見えていた。
彼女の誘いに乗り、距離を詰めた瞬間、短剣で斬りかかってきたに違いない。
サリエルはこれを手に入れなくてはいけなかった。
それだけこれは彼女にとって脅威であり、利用価値のある物。
それが読めていたから、彼女に必要以上に近づかず、目を離さず、距離をとることしかできなかったわけだが……誘惑に乗るフリをして近づき短剣を奪う、チャンスに賭けてみてもよかったのでは、と思う。
しかしエセルは彼女の短剣に対抗する物を何も持っていなかった。振り回されたら厄介だ。
たとえ取り上げることに成功したとしても、人を呼ばれたら短剣を持っている姿を目撃されることになってしまうし、魅魎を喚ばれでもしたら、さらに面倒なことになる。
リスクが高すぎる。やはり、これが正解だろう。
思い直すように頭を振って、荷袋の紐をほどき、口を開いた。数枚の服の下、荷袋の底に目当ての物――竜心珠の魔導杖と翠玉でできた封魔具がちゃんとあることを確認する。
セオドアがこれを持ってきていると言っていたのを思いだしてよかった。
エセルは荷袋の口を閉じると肩に担いだ。
きっと、もう二度と会うことのない人たちのいる館に背を向け、町民たちに気付かれないようさりげない動きでその場を離れると、レンダーたちとの合流場所へ向けて走った。
◆◆◆
サリエルはゆっくりと寝台を離れ、立ち上がった。
月明かりを頼りに乱れた服の裾を直し、まだエセルの感触が残る唇に指をあてて……きゅっと下唇をかむ。
今度こそ、本当に、すべてが終わった。
結末を待つまでもない。
決して彼は私の元に戻ってはこない。
「……戻る?
ああ、そう。そうね。きっと、あの人は言うわね「おまえのものだったことは1度もないのに、戻るっておかしいだろ?」って……」
そういう関係だった。ずっと。
それでもいいと、彼にとって都合のいい女であり続けた。そうすることで、彼の中の私が、重要な位置を占められていると思っていた。
5カ月前、帰ってきた彼が、それまでの彼とは違う、全くの別人になっていることに気付けていたのに……。
それでも、賭けに出るしか、なかった。
「もう私は、あなたの中にひとかけらもいないのね……。
それならそれで、いいわ」
あなたにとって、永遠に忘れられない傷となって、抜けない楔となって、あなたの中に居続けてあげる。
「あなたにそれを防ぐことができるかしら……?」
サリエルは泣き笑い。
そして命令を下した。




