第9回
●エセルの決意
同刻、ダーンとレンダー、エセルの3人は、ガザンの館へ行く前にレンダーがとっていた宿の部屋にいた。
3人とも疲労していた。それも無理はない。魅魎と対峙し、燃える警吏署から脱出し、4人を救命した。4人は魅魎に極限まで生気を吸われて虫の息。瀕死の彼らをどうにか診療所へ担ぎ込んだが、医師の診断は思わしくなく――田舎の診療所であることもあり、都のような万全の治療は望めない――今夜が峠だろうということだった。
いつ目覚めるかも分からず、目覚めたとして、そんな彼らからまともな調書きを取れるとも限らない。棺桶に片足を突っ込んだ者の譫妄と言われればそれまでだ。
目撃者がいない以上、あれが魅魎の仕業だと言ったところで信じる者はいないだろう。
セオドアの濡れ衣を晴らしたい気持ちはある。しかしレンダーは今日町へ着いたばかりのよそ者、エセルはセオドアの知り合いで彼女を呼ぶことを提案した張本人だ。唯一この町の人間のダーンもこの地を7年離れていた身で、しかもならず者たちを館に住まわせていて町民の半数からは嫌われているガザンの息子。到底町民の信に足るとは思えない。
退魔師としての肩書きで警吏を説得、町の治安のためにその力を借りるという手もあるが、警吏署は焼失し、動ける者は准警吏の門守のハリムだけだ。彼1人で大衆を抑えられるとは到底思えず、へたに力で押さえつけようとすれば暴動へ発展する可能性も、今の町民の様子では十二分に考えられる。そうなれば多勢に無勢、そちらに自分たちも手をとられて、肝心のサリエルの暗躍に対処できなくなってしまう。
窓という窓から炎を噴き上げて燃える警吏署という光景は、町の者たちを恐怖させるのに十分だった。
レマ親子を惨殺し、警吏署を焼き払って逃走した恐ろしい殺人鬼が町のどこかに潜んでいる――それは到底看過できることではない。
警吏が役に立たない今、家族を護るのは自分しかいないと奮い立った男たちが、道にあふれていた。
夕方になって暗くなってきたから明日にしよう、などとは考えない。
片手にカンテラ、片手に鎌やナイフなどの得物を持った男たちが下の通りをばたばたと走っていく――おそらく町長の館へ向かっているのだろう――者たちの、殺気立った固い表情を窓から見下ろして、エセルは舌打ちを漏らした。
「これからについて話をする前に、確認しておくことがある」
廊下で何か異変があればすぐ対処できるようにドアを背に立ったレンダーが、テーブルの前に立つダーンと窓際のエセルを見て、口火を切る。
「お互い、何を最終目的としているかだ。われわれはチームというわけではない。ここに認識のずれがあれば、互いの足を引っ張りかねない」
「……俺は、セオドアの救出だ。彼女を取り戻せるならほかがどうなろうとどうでもいい。知ったことじゃない」
エセルは窓を離れ、髪をかき上げながらテーブルへ戻るが、席には着かない。
「わたしは……とにかく町を元に戻したい。町の者たちの脅威であるあの魅魎を町から排除し、仮面の者と……父を捕らえ、正しい裁きにかけたいと思っています」
「そうか。
残るはわたしだが。2人とも知ってのとおり、わたしは『流れ』だ。この町へ来たのは長く一緒に過ごした仲間の遺言を果たすためだった。
先の折は成り行きであの魘魅とやり合いはしたが――」
「ああ、言いたいことは分かる。あんたにとって、退魔は仕事だ。無料奉仕はできないということだろ」
たとえセオドアという知り合いを救うためでも。
セオドアとは短いながらもともに旅をした退魔師仲間で、蒼駕というつながりもある。尊敬する教え長の養い子の救出に手を貸すことはやぶさかでないが、そこを曖昧にすることはできなかった。相手は魅魎。自分の命に関わることだ。
それは商売人であるエセルにも理解できた。そのことについてどうこう言う気もなく、彼がそれで抜けると言っても驚かないし、文句を言う気もない。
セオドアを助けに行くことはエセルにとって決定事項で、そこにレンダーがいてもいなくても大して違いはないと考えていたからだ。
しかしダーンは違った。
「それなら、わたしがあなたを雇いましょう。
あなたに働いてもらうためには、いくら必要ですか」
レンダーは額を提示し、ダーンはその額を聞いても眉一つ動かさず、交渉もせず、言いなりに受け入れた。
「ではこれよりわたしは雇用主のダーンの利となるように動こう。
その上で進言する。黒幕の人間2人はともかくとして、2体の魅魎は、われわれでどうにかできる相手とは思えない。
すみやかに王都へ連絡を取り、上級退魔剣士か退魔剣師の派遣要請をするべきだろう」
シーリンは経験不足の年若い魘魅だった。
魘魅は依り代を砕けば散る。サリエルが呼び込んだ魅魎が彼女だけなら下級退魔剣士が2人いればなんとかできそうに思えたが、しかし闘っている最中に2階から感じていた魅魎の気は大きく、シーリンとは比べものにもならないものだった。
「おまえは直接見ているのだろう」
との振りに、エセルがうなずく。
だがやり合ったわけではないため、エセルにも火威は魅妖か魘魅かの判断はつかなかった。
「王都に報告、派遣要請し、ここから一番近い町に配置されている上級退魔剣士か退魔剣師を連れてくる必要がある。
ターヒルまでは半日足らずで着く。明日の開門を待って速駆けすれば、昼には到着できる。ターヒルには上級退魔剣士がいたはず――」
「そんな余裕はない!」
言い終わるのも待たずにエセルが一蹴した。
「退魔師の派遣要請には町長とこの町の退魔師の署名入りの許可証と要請書がいる。町長はともかく、サリエルの協力を得るのは不可能だ。
たとえ朝までに町長の署名が手に入ったとして、それで手続き許可を得られたとしても、王都から許諾を得るのに何日かかる!? 1週間か? 10日か?
サリエルはばかじゃない、この騒動が長続きしないことくらい分かっているはずだ。今は怒りと恐怖から視野が狭まって、あまり物事を深く考えられなくなっているやつらでも、時間を空ければ空けるだけ、理性や分別を取り戻す者が増えてくる。それを彼女がただ傍観しているとでも?
時間をかければ、それだけセオドアの命が危険だ!」
「落ち着け。彼女を生かして連れて行ったのは、彼女が生きている必要があるからだ」
そんな言葉は何の保証にもならない。何のために連れ去ったか分からない以上、用は済んだといつ殺されても不思議でないからだ。
サリエルは魅魎が町に潜伏している、という事件をガザンの仕業にしようと画策しているはずだ。
そしてそれを暴いた者として自分が活躍し、名誉と信頼を回復する。それが彼女の狙いだったはず。
そこに、退魔師が魔断を用いて人を殺した、という事件を起こして、何の意味がある?
『なぜこんなことを? これが何の役に立つというんです?』
ダーンの言葉がよみがえる。
彼もとまどっていた。内部にいたダーンにも、このことは寝耳に水で、意味不明の行動だったのだろう。
彼に目的を訊いたところで無駄だ。
『彼女にはまだしてもらわなくちゃいけないことがあるの』
(サリエル、一体何を考えている……)
エセルは昨夜の彼女とのやりとりを思いだそうとした。
あのときは分かっていると思っていた。だが今はもう、本当に理解できていたのか、確信が持てなかった。




