第8回
●退魔師
その言葉に、サリエルは薄い微笑を浮かべた。
「私の生まれた村では、毎年春になると王都から退魔師がやって来るの。魔断を連れていたから、きっと上級退魔剣士か剣師ね。
そしてその年6歳になった子どもたちを集めて才能のありそうな子を選んで王都へ送り、各地から選出された子どもたちはまとめて宮へ送られる。
あの年、村で選ばれたのは私1人だった。幼な心にも誇らしかったわ。ほかの子たちと自分は違う、選ばれた者だと、胸を張ってあの門をくぐったことを、20年たった今でも覚えてる。
実態はそうでもなくて、訓練は厳しいし、年に4回の試験で才なしと見切られる脱落者も多いし、そうしてようやく退魔師となってからもとても危険な仕事で、5年生き残れる者は2人に1人、10年生き残れたら万々歳。定年まで生きられる幸運に恵まれた者は1000人に1人と言われているのは、あなたも知っているでしょう?」
一体彼女は何を言おうとしているのか。分からずとまどいながらも、セオドアは慎重にうなずく。
「それだけ過酷な仕事なのよ。それはそうよね、あんな、指の一振りで人を即死させるような超常能力を持つ化け物たちを相手にしなくちゃいけないんだから。
宮で、これは人命を護る尊い役目と教わるし、みんなも褒めたたえるけれど、それはただの方便。その裏では、彼らは自分にその才能がなかったことをうれしく思っているの。
あの子たちは、選ばれて誇らしげにしていた私を見ながら、自分が選ばれなくてよかったと、ほっとしていたのよ」
「そんな……」
「でも、それでもよかった。私は上級退魔剣士にも剣師にもなれなかったけれど、法師として、人々を護っているのだという実感があった。彼らの生活を護り、感謝されているのがうれしかったわ。
この町の人たちは素朴で、素直で、気持ちを表すことにためらいがないのね。彼らに「法師さま」と呼ばれて、感謝されるたびに、私は法師になってよかったと、彼らを護ることを誇りに思っていたのよ」
2カ月前までは。
2カ月前。魎鬼が町の中で現れたといううわさが立ち、そのとき、彼女は「魎鬼に見せかけた、悪質ないたずら」だと報告した。
彼女が張った結界はどこも異常がなく、いつもどおりで、町の空気も清浄だったから。
それに、魎鬼が本当に現れたなら、壁が傷つくだけで終わるはずがないからだ。
だが町の人々は、彼女よりもうわさを信じた。人を生きながらむさぼり喰う悪鬼に恐怖し、いくら彼女が説明しても無駄だった。
はじめのうち、彼女の言葉に耳を貸し、聞き入れてくれても、少し時間がたっただけでまた恐怖にとらわれて騒ぎだす。
『あの法師は、法師として役に立たなかったことを知られたくなくて、自分の身かわいさに嘘をついているだけだ』
そう言ったのは、このことを仕組んだガザン一味の下っ端で、悪質なうわさを流していた者たちの1人だったろう。
それだけなら堪えられた。
その言葉を町のみんなが信じたことが、サリエルにはショックだった。
専門家である彼女の言葉よりも、信用のおけないほら吹きの、何の根拠もないほら話を信じた。
彼らは魎鬼がどういうものか、実際には知らないからだ。ずっと、サリエルの張った結界という鳥籠の中で居心地よく過ごしてきた者たちだから……。
「……あなたがどう感じたか、分かるような気がします。
ですが、その後、王都から来た剣師があなたの言葉の正当性を認めてくださったのでしょう? あなたのほうこそ正しかったと」
それで沈静化したと聞いていた。
サリエルの法師としての名誉は回復し、サリエルを疑っていた者たちは己を恥じたはずだ。
だがセオドアの言葉に、サリエルは皮肉げな笑みを深めただけだった。
「王都の権威ある退魔剣師さまがおっしゃったことは、確かに役に立ったわね。
だけどほら、ご覧のとおり。また似たような事件が起きただけで、彼らはまたもや不安になっているわ。
結局、心からは信じきれていなかったのよ」
「でも、だからといって、本当に魅魎を呼び込むなど――」
「だからじゃないわ」
「え……?」
ぼそり。つぶやいたその言葉はひどく冷たく、それまでの皮肉げな声とも違う、無感情な響きをしていた。
まるで、これまでしてきた会話の中で、それだけがたった1つの真実のように。
「サリエル……?」
サリエルは感情の消え失せた目で、セオドアを見下ろす。
「あなたを呼んでほしくなかった。
あのひとがあなたを呼びさえしなければ、私は、すべてから目を閉じて、耳をふさいで、何も気付かないふりをしていられたかもしれないのに」
「……どういう、こと、ですか……?」
エセルがわたしを呼んだから?
今の話に、わたしが関係しているのか?
食い入るように見つめるセオドアの前で、サリエルは一度目を伏せ、そして次に開いたときにはもう、先までの彼女に戻っていた。
「そんなことより、今はあなたのことよ。私のことを心配している余裕が、あなたにあるのかしら?
あなたは人殺しのよそ者としてのうわさが広がっているわ。そしてそのうわさに、今では警吏たちを焼き殺して脱走したというものまで加わっているのよ」
「!? そんっ――」
「建物は全焼。5人が焼死したそうよ。ダーンともう1人の剣士のおかげで入り口近くに倒れていた4人は助かったそうだけど……まだ目を覚まさないみたい。起きないほうがいいわ、起きてよけいなことをしゃべろうものなら、彼らにも死んでもらわなくちゃいけなくなるから」
「なぜそんなことが言えるんです、サリエル!! 彼らは、あなたが護らなくてはいけない人たちだったはずでしょう!!」
そのあなたが、どうして!!
立ち上がり、彼女をつかもうとしたが、拘束された腕が阻んだ。ガチッと音がして鎖が伸びきり、その反動でセオドアは再び床へ引き戻される。
無様なその姿に、そうなると思ったと、サリエルはくすくすと笑った。
「まあ、ダーンたちのせいでちょっと狂いはあったけれど、簡単に修正できる類いのものだから、計画には大したダメージにはならないわね。
小さな町のうわさの力を侮ってはいけないわ。町は今、彼らの仲間を焼き殺し、そしてまたさらにその凶行を続けたあなたのうわさで持ちきりよ。
あなたはこの町の者たちから憎まれている。きっと、今あなたを彼らの中に放り出したら、あなたはすぐさま袋だたきにあって、殺されてしまうんでしょうねえ」
くすくす、くすくす。
「それが、あなたの目的だったんですか……?」
「いいえ? それだけじゃないわ。
このうわさは、もう数日もすれば国中に、そして1カ月もすれば大陸中に広まるでしょう。あの宮にもね。
宮からやってきた退魔師が、町の人々を魔断で無惨に焼き殺した、なんて。すごい醜聞だわ。
このスキャンダルに、あの宮ははたして持ちこたえることができるかしら?」
その言葉を聞いた瞬間セオドアの脳裏に閃いたのは、蒼駕やアルフレート、そして宮にいる者たちだった。
サリエルはセオドアの評判だけでなく、彼らも傷つけ、貶めようとしているのだ。
「なぜ、そんな……彼らが何をしたというんです!!」
激怒し、くってかかろうとしてはガチャガチャと激しく鎖を鳴らすセオドアの姿に、これ以上面白い見世物はないというようにサリエルは口元に手をあてて高笑った。
「彼らじゃなく、あなたよ」
「わたし!? そんなにわたしが憎いというなら、わたしを殺せばいい!! 今すぐ殺せ!! 確かにわたしはそれだけの罪を犯した!!
だけど宮は違う! わたしの愚かさに、宮を巻き込まないでくれ!!」
お願いだから……!!
必死に懇願するセオドアを見ても、サリエルは変わらなかった。
冷めた視線で足下のセオドアを見る。
「そうね。あなたが憎いわ、殺したいほど。でも、今はそのときじゃない。
最後の仕上げに、あなたの協力が必要なの。だからそれまでここでおとなしく眠っていてちょうだい」
手にしていた仮面をセオドアの顔にかぶせるように近づける。それとともに、警吏署でのときのように、セオドアを抗いがたい眠りが襲った。
(ああ、まただ…………くそっ)
重くなるまぶたにだんだんと目を閉じて、弛緩し、どさりと床にくずおれたセオドアの顔の横には、あの仮面が転がっている。
サリエルはその仮面を拾うことなく部屋を出ていく。
後ろ手でドアが閉められた室内は、再び闇に閉ざされたのだった。




