第18回
エセルが案内した店は、大通りに面した『アビド』という名前の店だった。
特に大きくも小さくもなく、白石を組まれた外装が陽に映えて、入り口が大きくて入りやすい。
慣れた足取りで中へ入ったエセルは、ほどほどに混んだ店内を見渡し、奥の窓際の角席が空いているのを見つけると、さっさとそこへ向かうとテーブルに備えつけられてあるメニュー表を広げた。
「セオドアは何か食べたい物あるか?」
こちらへ向けて出されたので一応メニュー表を覗き込んだが、絵がない文字の羅列は料理名を見てもぴんとこない。
「任せる」
そう言うと、エセルは奥から料理皿を持って出てきた中年の男に向かって声をかけた。男もエセルとは顔なじみらしく、エセルを見て笑顔になり、皿を客の元へ運んだあと、こちらのテーブルへやって来る。そして向かい側に座っているセオドアに遅れて気付き、「今日はサリエルさんと一緒じゃないのか」と言った。
「彼女はいつもの点検だよ。そのあとは知らない」
「そうか。
あー、じゃあこの子が昨日来たっていう退魔師の子か」
『この子』と言われると、もう成人していてそういう年でもないのにとなんだかむずがゆくなるが、言われてもしかたがないくらい男とは年が離れている。
男はセオドアをしばらく無言で見下ろしたあと、にこっと人好きのする笑顔を見せて、胸を親指で指した。
「俺はアーヒム。ここの店主をしている。よろしくな」
「……セオドア、です」
会釈を返す。それ以外、何も言葉が浮かばず黙っていると、エセルがすぐに男に話しかけ、軽く談笑をしながら今日のおすすめなどを聞き出して、それと飲物を頼んだ。
「なんでみんな、俺を見ると彼女を出してくるんだろうな」
厨房に戻っていく男を眺めながら、少し不満そうにエセルがつぶやく。
(恋人だからだろう、ばか)
その話には興味がなかったので「さあな」と返し、左に空いた窓から通りを眺めた。
本日のおすすめメニューだけあって、さほど待つことなく、すぐに料理が運ばれてくる。香辛料の香り漂う、そして少し辛そうなソースがたっぷりかかった揚げ肉に5種の豆のスープ、緑の濃い香草が上にたっぷりと乗った野菜サラダ、それにラップでくるまれた平たい白パンと炒められた肉野菜のサンドだ。飲物は白くて、少し酸味のある柑橘系の香りを漂わせている。
「これが今日のおすすめだ!」
アーヒムが最後にテーブルの中央にどんっと、大皿に乗った、黄色い米を敷き詰めた上に大きな煮魚が乗っていて、さらに香草を散らした料理を置いていった。
「……多いな」
何人前だ? 一体、と思いつつ、フォークを持ち上げ目の前の肉をつつく。
「これっくらい、普通普通。ってゆーか、おまえ、朝食べてないんだって? 夫人が言ってたぞ。呼びに行ったときにはもう部屋にいなかったって」
「……まあ」
昨夜のことで食欲がなかったし、朝一番で門へ行こうと考えていたため、朝食のことは頭から抜けきっていたのだが、今思えば、館のだれかに声をかけておくべきだった。
またもや要らぬ心配をさせてしまった、自分のいたらなさに、気が滅入って口元をおおう。
エセルはそんなセオドアに気付いたようでなく、熱弁をふるっていた。
「それ聞いて、呼びに戻ったらもうおまえ、彼女と出かけてたんだよな。だからこれは朝と昼の2食分。
大体おまえ痩せすぎだって。おまえの場合、痩身美容は必要ないんだから、最低限日に3食は取らないと。俺のためにももっと肉付きが良くなることを考えて、日に4度とっても足りないと、俺は思うぞ」
だから、さあ食べなさい、と笑顔で料理をこちらへ押してくるエセルに、体にもコンプレックスのあるセオドアは、よけいなお世話だと思ったが、朝食をとらずに歩き回っていたせいか、確かに腹は減っていた。
目の前の肉料理を切り分けて、口へ運ぶ。
(……ん? 今、さらっと何か変なことを言われた気が……)
と、引っかかるものを感じたが。料理を口にした瞬間、そういった疑念は一瞬で消えた。
「うまい」
「だろう?」
セオドアの率直な感想に、「ここの料理はこの町で一番うまいんだ」と得意げにエセルが破顔する。
おまえが誇ることじゃないだろう、と言い咎めるよりも、料理を食べたいという気持ちのほうが勝って、セオドアは食べ続けた。
口の中でホロホロ崩れる舌触りといい、甘辛い味付けがしっかり肉の奥まで染みこんでいておいしい。熱い豆のスープも、一緒に長時間煮込まれた麦と溶けた豆の濃い味とが合わさって、深みがあっていい。
スパイシーな味付きの米と濃いめの味の魚。口直し用のサラダにヨーグルト味の冷たい飲物。
どれもがおいしく、腹の奥まで染み渡る味だ。もっと食べたいと、手が止まらない。その衝動に、セオドアは、自分はこんなにもおなかが空いていたんだとあらためて気付いた。
「それで」と、ある程度食事が進んだところで、おもむろにエセルが話しかけてくる。
「何をしに門へ行ってたんだ?」
「早馬を頼みにだ」
おいしい料理に空腹が満たされることに意識の大半を持っていかれていたセオドアは、特に警戒することもなく、王都へ退魔師派遣の要請をするためだったと理由を告げる。
「わたしがここにいられるのは3日が限度だ。ザーハへ赴任するための支度や手続きがあるからな」
「決めたのか、ザーハ行き」
彼女がそう結論するのをとうに見越していたように、別段の驚きも見せずエセルはグラスを口元へ運ぶ。
「ああ。やはりそれが最良だろう。経験はない、魔断もいない未熟者だがな。
宮にいた15年間、いつの日か退魔師になって、育てていただいたご恩を返すことを考えて生きてきた。
いくら正規の退魔師として不適格者であろうと、わたしにはこの道しかない。これ以外で生きる道をわたしは知らないし、それ以外の道を選びたいと思ったこともないんだ」
退魔師にはなれなくても、ザーハで教え長をして少しでも宮のお役に立てば、ご恩返しをすることはできるのではないか、と。そう思うしかない。
昨夜、ティルフィナに添い寝をして遠のく雨音を聞きながらこの件について考えを巡らせるうち、セオドアはそう結論づけた。
とはいえ、あまり悲観することでもないのかもしれない。
ザーハで教えるといっても、しばらくは助手という形で熟練の教え長の補佐につくことになるだろう。剣操術なら、たぶん模範に見せる相手ぐらい務まる。ザーハの訓練生のレベルがどれほどのものかまではまだ分からないが、これでも一応宮では優等の金鎖をもらった腕前だ。
前例のない異動にいろいろ詮索されるのはしかたない。そのせいで陰で何を言われようが、それは宮にいた今までとそう変わり映えないだろうし。
ろくに知りもしないで単純に悪い場と決めつけ敬遠するのは、ザーハの者たちに失礼というものだ。
それに、あのひとと離れることも、どうしても避けられないのであれば、まだ訪ねてきてくれるかもしれない可能性のある地のほうがいい。
宮の恥でしかない自分なんかのために宮母さまがつくしてくださった、一方ならないご尽力に報いるためにも、宮のためにも、これが最善なのだ、と……。
そういったことをぼんやりと思いだしていて、ふと現実に立ち返る。
ひとと食事をしながらこれはいけないと、反省しつつ顔を上げたが、一方エセルはエセルで、何か考え込んでいるようだった。
「どうかしたのか?」
「……ん? いや、あと3日か、と思って。
よし、決めた」
「……何をだ?」
何か、またよからぬことを企んでいるのでは……と内心身構えて訊く。
だがそんなセオドアの防御すら吹き飛ばす爆弾発言を、エセルは放った。
「3日以内に、おまえには俺が必要だと分からせる」
……………………はあ?




