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ダンジョンキラー  作者: 佐々木尽左
第5章 高校1年の夏休み(前半)

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隠れた名店

 かつての世田谷区と言えば裕福層が住む地域として有名だった。しかし、ダンジョン発生後、その危険を避けるために裕福層の人々は次々とこの地を離れてしまう。


 代わってやって来たのは低所得者層の人々だった。この人々は元からそうだった人たちの他に、ダンジョンが発生したせいで財産を失ったり失業したりした人たちも含まれている。また、そういった場所には後ろ暗い者たちもひっそりと集まってきた。


 そうしてできたのが今の世田谷ダンジョンの周辺である。スラム街というほど荒れてはいないが治安は良くないという場所だ。


 この一角に花道商店街はある。名前の由来はもうはっきりとはしないが、周辺の人々の生活を支える場所としてなかなか盛況だった。


 そんな中を友恵は慣れた様子で進んでゆく。祥吾とクリュスは意外に速く歩く彼女に続くのがやっとだ。古めかしいアーケード街の道を往来する人々の動きがてんでばらばらだからである。


「着いたよ、ここ! って、あれ?」


「人を案内するならもっと後ろに気を遣え。追いつくのが大変なんだ」


「あ、ごめーん!」


 反省した様子があまりない謝り方の友恵だったが、祥吾は呆れてそれ以上何も言わなかった。閉じた日傘を持つクリュスは仕方ないという表情を浮かべている。


 それはともかく、祥吾は友恵が指差した建物を見た。アーケード街と同じように年季の入った建物であまり広くない。看板にはラーメン屋『胸焼け』とあった。店内からは豚骨系の香りが漂ってきている。


「へぇ、個人の店か。しかし、店の名前がものすごいな」


「本当に濃い味なんだよ。それが旨くてさぁ。あたし大好きなんだ」


 話を聞くにこの『胸焼け』というラーメン屋は友恵の行きつけの店ということだ。今日もひったくりに遭わなければまっすぐここへ寄るはずだったという。探索を終えた後はここと決めているらしい。


 そんな友恵にクリュスが尋ねる。


「ここは動物を入れても良いのかしら? タッルスが入れないと私は入れないわ」


「大丈夫だよ。ここのおっちゃんも猫を飼ってるから」


「良かったわ。教えてくれてありがとう」


「それじゃ入ろっか!」


 元気よく宣言した友恵が扉を横に開けて中に入った。すると、ぃらっしゃいという渋い声が聞こえてくる。


 外の見た目の通り店内は広くなかった。カウンター席のみで16席程度だ。その椅子の半分ほどが埋まっている。


 カウンターの向こうは調理場で鍋から湧き上がる湯気が立ちこめていた。冷房の風が店内をかき乱しており、熱気と冷気がない交ぜになった風があちこちに飛び交っている。


 開いている席に3人は横一列に座った。右から友恵、クリュス、そして祥吾である。


「ここ、量が多いから、食べる自信がないなら最小のを選んだらいいよ」


「種類は豚骨ラーメンしかないんだな」


「そうなんだ。でも、それがすごく旨くてさ! 豚骨系が好きなら病みつきになるよ!」


「量は、特盛り、大盛り、並、半分、最小か。大きさは色々あるんだな」


「あたしはもちろん特盛りだね。おっちゃーん、特盛りー!」


「あいよー!」


「俺はとりあえず並だな。クリュスはどうする?」


「最小しか選べないわよ、あれを見ていたら」


 他の客へと目を向けていたクリュスに続いて祥吾も他人の様子を覗いてみた。器の大きさは一般的だが、その上にキャベツ、もやし、葱などの野菜が山積みされているのを目にする。サービスなのか、それともあれだけの量が必要なラーメンなのか判別しにくい。


 強い魔物と相対するときとはまた別のおののきを内心に抱えながら祥吾はクリュスと共にラーメンを注文した。店主のおやじは威勢良く答えてくれる。


 注文を終えた3人はラーメンができあがるのを待つだけとなったが、早速友恵がクリュスに話しかけてきた。その目は黒猫に向けられている。


「ねぇ、そのタルス(・・・)っていう子、すっごい綺麗な黒色だね」


「タッルスよ。タとルの間で詰まるの。よく間違えられるけれど」


「タッルス? ちょっと言いにくいなぁ。こんにちはぁ、初めまして、タッルス」


 飼い主の両手に収まっている黒猫に目を輝かせて顔を近づけた友恵が声をかけた。しかし、タッルスはまったく反応しない。


 その様子にクリュスが苦笑いする。


「ごめんないさいね。この子、気難しいのよ。知らない人にはまず反応しなくて」


「そうなんだ。あぁ、残念だなぁ。こんなにかわいいのに。触るのもダメ?」


「慣れないうちはやめておいた方が良いわ。嫌われるから。あなたも初対面でいきなり触れるのは嫌でしょう?」


「うっ、確かに。早く慣れてくれるといいなぁ」


「それより、ここのお店は小皿を貸してもらえるのかしら? この子にご飯をあげたいの」


「もしかして、キャットフードとかを入れるの?」


「ええ、そうよ」


「おっちゃーん、この人に猫用の皿ぁ!」


「あいよー!」


「ということで、ちょっと待ってて」


 座ったと思った友恵はすぐに椅子から降りて店の端へと寄った。そこにはカウンターの高さに調整された長方形の台座がある。友恵によると、客が猫と一緒に食事を楽しめるようにと店主が自作したものらしい。多少歪な作りなのはそのせいだ。


 猫用の椅子と名付けられたそれを友恵はクリュスと自分の席の間に置いた。カウンターにぴったりとくっつけると岸壁から()り出した桟橋のように見える。


「クリュス、タッルスをここに移したらいいよ!」


「ありがとう。タッルス、こっちに移りましょう」


 腰の辺りを撫でられたタッルスは起き上がると、クリュスの手を離れて台座に移った。表面を嗅ぎながらくるくると何周か回った後に寝そべる。


「か、かわいい!」


「猫が好きなの?」


「動物は大体何でも好きなんだ! でも、うちのアパートはペット禁止でさぁ」


「それはつらいわね。ペットが許される部屋があれば良いのに」


「そういう所は大抵普通よりも家賃が高くてさ、なかなか手が出ないんだよね。今は探索業でやっと安定してきたところだから、まだ貯金がろくになくてさ」


「動物を飼うのは手間暇だけではなくて、費用もかかるものね」


「そうなんだよ! 飼うならちゃんと飼いたいから、今は我慢してるんだ」


 黒猫を中心に飼い主と猫好きが楽しくおしゃべりをしていた。話題は尽きないようで延々と話をしている。


 すっかり置いてけぼりとなった祥吾だったが、2人の様子をぼんやりと眺めていた。出会いはなかなか衝撃的だった2人はすっかり仲良くなったように見える。動物を介すると打ち解けるのが早い。


 そういえば、あのひったくり犯は結局放置したままだと祥吾は今になって思い出した。もうとうの昔に逃げ去っているだろう。警察に連絡すらしないのはまずいことだが、今更遅い。


 3人がそれぞれくつろいで待っていると、ついに豚骨ラーメンが店主から届けられた。クリュスの前には最小のものが置かれたが、それでもラーメン自体は通常の半分くらいあり、野菜が山と積まれている。祥吾の前にはクリュスの4倍程度のものが、友恵に至ってはどんぶりの大きさがまったく違った。


 祥吾もクリュスも自分の目の前よりも友恵のラーメンに注目する。


「おい、友恵。それ本当に全部食べられるのか?」


「探索直後なら平気だよ! これくらいはないとね!」


「見ているだけで胸焼けしそうだわ」


「ああ、店の名前はこれが由来かぁ」


「いたたきまーす!」


「はい、おねーちゃん、猫の皿!」


 三者三様の態度を取っていると、そこに店主が猫用の皿を届けてくれた。キャットフードを入れる普通の深皿である。


 クリュスはそれをタッルスの前に置くと、祥吾からセカンドバッグを受け取って中からキャットフードが入ったパックを取り出す。袋を破って皿に入れてやると、タッルスが上品に食べ始めた。


 その様子を見届けた祥吾はいよいよ目の前の豚骨ラーメンに取りかかることにする。割り箸を手に取って割り、盛られた野菜の土台部分に突っ込んだ。麺を取ろうとしたが野菜が邪魔で思うように取れない。


「まずは野菜から食えってことか」


 いくらか挑戦して食べる順番がありそうなことに気付いた祥吾はラーメンとの境にある野菜を少しずつ崩しながら食べ始めた。スープにつけながら食べると豚骨のこってりとした油のような膜が絡み付いて旨い。野菜とよく合う。


 ある程度野菜を突き崩すとラーメンの麺が見えてきたので祥吾はいよいよ麺に取りかかることにした。割り箸で少なめに持ち上げると口に入れる。その瞬間、濃厚な豚骨の味が口内に広がった。野菜のときとは違ってひたすら豚骨の旨味で満たされる。


 祥吾は友恵がこれを好きだという理由がわかった気がした。野菜と交互に食べるといくらでも腹に入る。


 食べ方がわかった祥吾は以後黙々と空きっ腹にラーメンと野菜を入れ続けた。

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