白昼堂々の犯行
中途半端な時間に宿泊するホテルに到着した祥吾とクリュスは昼時まで情報を収集することで時間を潰した。対象は世田谷ダンジョンとその周辺である。
2人が個別に調べた結果、前に調べたときと大差なかった。30分ほどかけてみたが事前情報通りということである。
「クリュス、世田谷ダンジョンの異変は相変わらずみたいだが、これはまだ悪化していないと見て良いんだよな?」
「神様がおっしゃるには、悪いなりに安定しているそうよ。今のところは」
「不安になる言い方だな。まぁ、異常が発生しているんだからそんなものなんだろうが」
「急がなくても良いのは朗報だと思うわ。それよりも、当面の問題は周辺の治安ね」
「最悪っていう程ではないにしろ、なかなか悪そうだな。前の世界の貧民街よりましっていうくらいか」
「貧民街ってそんなに治安が悪かったの? みんなが助け合って生きているって聞いたことがあるんだけれど」
「貧しいから助け合って生きていたのは確かだよ。でも、それで治安が良いのかというとそうじゃないっていうことだ。特によそ者にはな」
「よそ者に厳しいというのは、ダンジョン周辺も同じなのかもしれないわね」
「何も知らずに迷い込んで財布を盗まれるくらいならましな方だな」
スマートフォンから目を離した祥吾が立ち上がった。最後に時刻を確認してからそれをポケットに入れる。
「11時半くらいだが、外に出て昼飯を食うか?」
「そうね。少し早いけれど良いでしょう。少し待ってくれる? 日焼け止めを塗りたいの」
「朝は塗っていなかったのか?」
「軽く塗っただけだから、もう少しよく塗っておきたいのよ。日差しが強いから」
「女は大変だなぁ」
「祥吾も塗ったらどうなの? 最近の日差しは冗談じゃ済まないくらい強いじゃない。そのうち火傷をしてしまうわよ」
「その話は聞いたことがあるな。今のところは少し日焼けをしただけで済んでいるが」
自分の腕の焼け具合を見ながら祥吾が返答した。異世界で生活していた頃もそうだったが、あまり日焼けをしない体質らしく、見た目はそこまで変化していない。もちろん服に隠れた部分と比べると明確な違いがあるものの、うっすらと焼けたという程度だ。
これは男の感覚であることは祥吾も理解している。そのわずかな日焼けを嫌う女性もいることはよく知っていた。だから何も言わないが、同時に自分でそこまで対策をしたいとは思わないだけである。
結局何もしないまま、用意の終わったクリュスと共に祥吾は部屋を出た。階下に降りて受付カウンターで鍵を返すと外に出る。真夏の日差しは容赦なかった。
日傘を持ってきたクリュスがそれを開けるとその下にだけ日陰ができる。右肩にはタッルスが乗っているので重そうに思えた。
クリュスのセカンドバッグを持つ祥吾が黒猫へと目を向ける。
「そうだよな、直射日光はきついよな、お前は」
「真っ黒な体ですものね。すぐにへばってしまうわ」
「でも、猫って元々砂漠の生き物なんだろう? 暑さに強いはずじゃないのか?」
「猫だって暑ければ日陰に入って涼を取るわよ。それより、どこに行くつもりなの?」
「どうせ食べてから支部に行くから、向こう側にある花道商店街っていうところの店に行かないか?」
「う~ん、まぁそうね。1度くらい行ってみましょうか」
あまり気乗りしない様子のクリュスを見た祥吾は別の案にするべきか迷った。しかし、少し考えた末に同意してくれたことからそのまま向かうことにする。
下車した地下鉄の入口へと一旦戻った2人は高速道路の高架の下を通った。すると、うっすらと雰囲気が変わる。何となく不穏なのだ。
祥吾はこの雰囲気を知っている。やはり何となく異世界の貧民街に似ているのだ。もちろんそこまでひどくはないが、他の日本の街とは少し違う。
今の2人は表通りを歩いているが、枝分かれしている路地の奥から怒声が聞こえてくることがあった。耳の良いタッルスもそちらへと顔を向けている。
「祥吾、本当に花道商店街でお昼を食べるの?」
「どうせ世田谷ダンジョンに行くときはここを通らないといけないだろう。予行演習と思えば良いんじゃないか?」
「ぶっつけ本番は予行演習とは言わないわよ?」
「前の世界で貧民街にはたまに通っていたじゃないか」
「あれは正確には私じゃなくて」
2人が後ろ向きだが懐かしい話をしていると、前方から女の大声が聞こえてきた。悲鳴ではない。泥棒と叫んでいる。
何事かとどちらも顔を向けると、自分たちの方へと向かって走ってくるリュックサックを持った男を見かけた。更にその奥から口汚く罵りながら追いかけるショートヘアの女の姿を認める。
「祥吾、助けましょう」
「お巡りさんのお仕事のはずなんだけれどなぁ」
ぼやきながらも祥吾はクリュスに声をかけられてすぐに前へ出た。自然体で歩き、走ってくる男を避けるかのようなそぶりを見せる。
必死の形相の男が前方に立ち塞がりそうな通行人を威嚇しながら走ってた。当然祥吾に向かっても短く悪態をついてその脇を通り過ぎようとする。
その瞬間、祥吾は右足を横に出して男の足を引っかけた。避ける暇もなくもろに引っかかった男がそのままの勢いで宙を舞う。そのはずみで手にしていたリュックサックを手放し、宙を舞ったそれは立ち止まっていたクリュスの胸元に飛び込んだ。次の瞬間、男が地面に転がって悲鳴を上げる。
右手に日傘の柄、左手にリュックサックを持ったクリュスが歩き出した。面白くなさそうな顔の祥吾の脇を通り抜けて近くで立ち止まっていたショートヘアの女の前に立つ。
「はい、落とし物、お返ししますね」
「え、あ、うん。ありがとう?」
「祥吾、行きましょう」
「あいつはどうするんだ?」
「この女性が何とかしてくれるそうよ。だって、追いかけていたのは彼女だから」
「うぇ!?」
さっさと女の前から下がったクリュスが祥吾に向き直って歩くように促した。その女は突然の通告に変な声が出る。
わずかな間どうしようか迷っていた祥吾だったが、クリュスの言葉に従って歩くことにした。確かに窃盗犯の後始末という面倒なことはしたくない。
まるで何事もなかったかのように歩き始めた祥吾とクリュスだが、すぐに背後から呼ばれた。リュックサックを抱えた女が前に回り込んでくる。
「あ、あの、ありがとう! これ、仕事道具が入ってたから、なくすととても困るんだ」
「良かったな。もう盗られるんじゃないぞ」
「今日は徹夜明けでちょっとぼさっとしてただけだから、もう大丈夫だよ!」
「だと良いんだがな」
「あの、外国人のお姉さんもありがとう!」
「ここは油断ならない場所らしいので、気を付けてくださいね」
「あ、はい。あたし、ここに住んでるんでよく知ってます!」
それならなぜ油断なんてするんだと祥吾は思ったが口にはしなかった。追撃する意味もないからだ。あと、ムキになって反論してきそうな気配を感じ取ったというのもある。
ともかく、用は済んだので2人はこの場を後にしようとした。しかし、女は尚も話しかけてくる。
「あの、もうそろそろ昼なんで、ご飯なんてどうかな? あたし、おいしい店を知ってるんだ。ごちそうするよ!」
「昼飯か。あーどうしたもんかな」
「祥吾、せっかくこう言ってくださっているんだから招待されましょう」
「いいのか?」
「私たちだけで花道商店街に行っても、おいしいお店がどこかわからないでしょう?」
「まぁ確かに」
「やったぁ! それじゃ行こう!」
やたらと元気な女が嬉しそうに笑顔をはじけさせると体を反転させて歩き始めた。やたらと積極的に関わってくることを不思議に思いながらも2人は後に続く。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。俺は正木祥吾だ」
「私はクリュス・ウィンザーよ」
「あたしは木下友恵! 世田谷ダンジョンで探索者をやってるんだ」
「ということは、そのリュックサックの中身は装備が入って入るのか」
「そうだよ。だから、これを盗られるとすごく困るんだ!」
どうりで必死なわけだと祥吾は先程の友恵の追いかけぶりを思い返した。探索者といえども装備なしだと普通の人間だ。油断すれば一般人に物を盗られたり組み敷かれたりもする。なので、今回の件は友恵に同情できた。
しばらく歩いていると古めかしいアーケード街が目に入ってくる。
「花道商店街はここ!」
「そう書いてあるからな。それにしても、随分と年季が入った所じゃないか」
「怪しい店もあるけど、すっごくいい店もあるんだ。見極められるといい所だよ!」
「地元民以外には難易度が高そうな話だな」
随分と花道商店街を持ち上げる友恵に対して祥吾は苦笑いをした。心底そう思っていそうなのが微笑ましい。
楽しく話をしながら3人は商店街に入った。




