すべてが終わった後の解放感
期末試験から解放された週末の土曜日、祥吾はいつも通りに目覚めた。スマートフォンに設定された目覚ましが静かに鳴る。
目を開けた祥吾は布団から起き上がった。いつもの習慣で布団を片付けて私服に着替え、自室を出て洗面所で顔を洗う。
台所へと入った祥吾は両親の姿を目にした。父親の健二は新聞を読んでおり、母親の春子は流し台から冷蔵庫へと食材を出している。
「祥吾、おはよう。ご飯の支度をしてあげるわねぇ」
「学校は休みだったよな。どこかへ出るかけるのか?」
「昼から友達と商店街に行くつもり。朝は行かない。父さんは?」
「今日は休みだ。この後、母さんの畑仕事を手伝うんだよ」
「父さんは休みなのに働くの?」
「まぁそんなに大した作業じゃないからな。昼までには終わるよ。ところで、この前あったていう期末試験の結果はどうだったんだ?」
「解答用紙が返されるのは来週になってからだよ。でも予想では平均で8割以上あると思う。中には9割以上の教科もあるんじゃないかな」
「かなり頑張ったんだな」
「それはもちろん。正直かなり疲れたよ」
「結果がはっきりとするまで油断できないが、そんなに自信があるなら大丈夫なんだろう」
祥吾は父親と和やかに話をした。中間試験後とは違い、大きな成果を上げたので気後れすることなく会話ができる。
そこへ食事の用意をしていた母親が祥吾の分を持ってきた。とても上機嫌である。
「クリュスちゃんにあれだけ面倒を見てもらっていたんだから当然よねぇ」
「母さん、そんなに?」
「そうなのよ、お父さん。週末だけでなく、平日も学校から帰ってきてすぐ、週に何度も!」
「待って母さん、話を盛らないでくれ」
「盛ってないわよ。クリュスちゃんの夕飯を何度用意したと思っているの? 確実に週2回は食べてもらっていたわよ」
「そ、そうだったかな?」
「そうよ。盛大に盛るのはいつも祥吾のご飯だけなんだからね」
結構な頻度でクリュスに教えてもらっていたのを覚えている祥吾は黙った。何とも居心地が悪いが、これから朝食を食べるため逃げるわけにもいかない。
何とかして都合の悪い話から逃れようと祥吾は知恵を絞った。
昼過ぎ、祥吾は黒岡小町商店街の端で立っていた。祐介と良樹の2人と遊ぶためである。
最初にやって来たのは良樹だ。見慣れた私服姿で近づいて来る。
「祥吾君、待たせたね」
「大したことないよ。それより、もらった映画のチケットは持ってきたんだろうな」
「もちろんだよ。これがないと始まらないからね。ちゃんと3人分あるよ」
しゃべりながら良樹は鞄から映画のチケットを3枚取り出した。その表面には2年前にテレビ放送されていたというリアルロボット系のアニメ絵が描かれている。祥吾も名前くらいは知っていたが当時アニメは見ていなかった。
これを良樹が手に入れたのは偶然で、父親の仕事の関係で譲ってもらったらしい。厳密には配っていたそうなのだが、良樹にとってはどちらでも良いことだ。何しろ元々金を払って見に行く予定だったからである。喜んで父親から受け取ったとのことだ。
今回そのお裾分けを祥吾と祐介はもらったわけだが、半分付き合いのようなものである。漫画もアニメも嗜みはするものの、そこまでのめり込んでいないのだ。ただ券で近所の映画館で鑑賞できるからこそ応じたのである。
「良樹はこういうのも好きなんだな」
「大体一通りは嗜んでいるよ。リアルロボット系は好きな方だね。僕も男の子だからさ」
「そういうものか。お、祐介も来たな」
なんと返事をして良いのかわからなかった祥吾は都合良く現われた祐介に顔を向けた。こちらはこちらはティーシャツにハーフパンツという涼しそうな格好である。
「おう! あっついな、しかし!」
「もう夏だからな。日差しもきつい」
「良樹、お前なんでそんな春物を着てるんだよ。もっと涼しい格好にしたらいいのに」
「ふふっ、衣替えに失敗したんだ」
「なんだそれ?」
「どうせ映画館はキンキンに冷えてるから問題ないよ。それじゃ、行こうか」
最初に歩き始めた良樹を先頭に祥吾と祐介が後に続いた。漫画やアニメ関連になるとおなじみの形だ。
黒岡小町商店街の一角には『スマイルシアター』という映画館がある。関東地方でチェーン展開する映画館のひとつだ。他の大規模な映画館に近年押されているが、かろうじて踏ん張っていると噂されている。
そんな映画館に3人は入った。良樹の言う通り中は冷房が効いて冷え切っている。上映時間に合わせて集合したので、チケットを係員に手渡してすぐに劇場内に入った。
観客は祥吾が思っていた以上に多く、席は大体埋まっている。3人が一列に並んで座れる場所を少し探したくらいだ。それなりに人気があるらしい。客層の大半は男性で年配から小学生まで割と幅広いように見受けられた。
上映時間となり映画が始まる。設定の緻密なリアルロボット系のアニメ映画ということだったが、確かに良樹の説明通りだと思った。ぱっと見て素人の祥吾にはそれらしく見える。話も悪くなかった。
ただ、祥吾にはどうにも周囲の観客が気になって仕方がない。何かを食べる音、スマートフォンの画面の光、小声でしゃべる声などが耳に入ってくる。楽しみ方は人それぞれというのは理解できるが、それらが気になって仕方ないという人にはつらいだろう。
結局、祥吾は最後までスクリーン集中できずに鑑賞を終えた。エンディングが流れ始めたところで観客が席を立ち始め、劇場内が明るくなると一斉に騒がしくなる。
3人も映画鑑賞を終えて席から立ち上がった。背伸びをした後、流れに沿って外に出る。
「なかなか良かったねぇ。評判になるだけのことはあるよ」
「意外と話はしっかりしてたよな。オレはもっとバトル寄りかと思ってたぜ」
「でもあの映画、最後に続きがあるように臭わせていたよな。前後編なのか? 予備知識なしで見たからよくわからないぞ」
「実はこの映画、テレビ放送の前日譚っていう位置づけなんだ。だからあんな形で終わってるんだよ」
「ということは、気に入ったらテレビ放送も見てねってことか。いやでも、もう放送は終わっているんだよな?」
「そこでテレビ版のソフト販売ですよ!」
「ああ、そういう」
何とも商魂たくましい事情を良樹から聞いた祥吾は苦笑いした。中にはこれではまってテレビ版も見たくなる人がいるんだろうなと想像する。
その後、3人はゲームセンターに寄って少しゲームをした。いつもの格闘ゲームをやり、祐介の圧勝で終わる。そうして、学校でまた会うことを約束して解散した。
翌日の日曜日、祥吾は昼下がりにクリュスの訪問を受けた。玄関で応対した母親の春子から呼ばれて階下へと迎えに行き、自室へ案内する。
「外は本当に暑いわね。梅雨明け宣言はまだらしいけれど、もう実質初夏だし」
「こもった暑さというのがたまらないよな」
「汗が引いていくのがわかって気持ちいいわ」
「ところで、今日は勉強のために来たんじゃないよな?」
「さすがに試験明けすぐに始めるつもりはないわよ。私だって休みたいもの」
「あー良かった」
いきなりストイックな生活が始まるのかと緊張していた祥吾は全身の力を抜いた。クリュスにも休みがほしいという感覚があって安心する。
しかし、祥吾にはもうひとつ懸念事項があった。それはダンジョン攻略である。人間社会の事情など基本的に考慮してくれない神々は容赦なく依頼をしてくることは想像できた。それをクリュスがどの程度うまく捌けるのかだが、限度があることも承知している。拒否しすぎれば今度は世界が危ないのだ。何ともうまくいかないものである。
そのダンジョンの話を切り出して良いものか祥吾は迷った。問わなければクリュスは何も言わないかもしれないし、そうであれば祥吾はしばらく平穏な日々を暮らせるのだ。どのみち夏休みにはまとまって何かあることは予想できるのでこの考えは現実逃避でしかないのはわかっている。それでも、知らずにいられるのならばそのままでいたかった。
何とも儚い願いだったが、それはクリュスによって打ち砕かれてしまう。
「ただね、実は神様からいくつか話を聞いてしまったのよ」
「やっぱりそんなことだろうと思ったよ」
「ごめんなさいね。神様も私たちが長期休暇だっていうことをご存じだったみたいで」
「なんでそんなピンポイントで人間社会の、しかも高校生の事情を知っているんだよ?」
「神様だからとしか言えないわね」
「そんな言い方をされたら俺も言い返せないな」
一介の高校生の事情を知った上で依頼をしてくる神々を祥吾は呪った。しかし、申し訳なさそうな顔をするクリュスを見て諦める。
仕方なしに祥吾はクリュスから話を聞くために姿勢を正した。




