週末の挑戦2─狭山ダンジョン─(3)
狭山ダンジョンの仕掛けを踏破した祥吾とクリュスは地下2層へと降りた。この時点で祥吾などはかなり精神的に疲れている。
「はぁ、魔物と戦っているときの方がまだましだなぁ」
「そうね。これで6階層あるのよね」
「一体あといくつの仕掛けを越えたらいいんだ」
肩を落とした祥吾が嘆いた。反撃できないのでストレスが溜まる一方なのだ。しかし、いくら嘆いてもダンジョンは都合良く変化してくれない。何とか踏破するしかないのだ。
気合いを入れ直して祥吾は改めて先頭に立って進む。せめて仕掛け以外ではしっかりと仕事をしたいと気合いを入れて警戒した。
そんな祥吾の前に次の仕掛けが現われる。縦横約50メートル、高さ約15メートルの部屋だ。特に何も見当たらない。
「クリュス、ここが次の仕掛けなのか?」
「そうよ、一見すると何もないただの部屋に見えるけれど、床を踏むと浮き上がるのよ」
「なんだそれは?」
「あの石畳を見て。部屋いっぱいに1メートル四方くらいに区切られているでしょう。人が上に乗るとあれ単位に浮き上がるのよ」
「そこだけ聞けば随分と平和だな」
「でもね、たまにものすごい勢いで跳ね上がって天井にぶつかるものもあるの」
「いきなり物騒になったな。そのままじっと乗っていると天井との間に挟まれて死ぬのか」
「そういうこと」
「どの石畳が危ないかわからないのか?」
「そのときによって変わるらしいから、乗ってみないとわからないのよね」
祥吾は大きくため息をついた。穏やかな振りをしていきなり殺しにかかる恐ろしい仕掛けだ。何も知らなければ引っかかって死ぬ可能性が高い。正に初見殺しと言えるだろう。
しばらくじっと室内を見つめていた祥吾はやがて首を傾げた。そして、クリュスへと顔を向ける。
「これってあの奥の通路まで走り抜けたらどうなるんだ?」
「え? 走るの?」
「別に走ってはいけないわけじゃないんだろう? 床がある程度浮くっていうのがどの程度にかもよるが、止まらなければ天井まで突き上げられる可能性も低いんじゃないかな。最悪前のめりに次の石畳へと転がり込めばいいわけだし。それとも、連続して天井に突き上げられることってよくあることなのか?」
「どうでしょうね。ちょっと待って。地図情報の備考には何も書いてないわ」
手に持っていたタブレットへと目を向けていたクリュスが目を見開いて祥吾を見つめた。慎重に進むのではなく、一気に走り抜いてしまおうという作戦は思い付かなかったらしい。
そんなクリュスに祥吾は提案する。
「まず、俺が試してみる。うまくいったらクリュスも同じようにすればいい」
「そうね。床の浮き具合にもよるけれど、天井まで上がる石畳がなければ、そこをゆっくり伝って行ってもいいのよね」
「そういうことだ。走るのは得意だからな」
「運動会の100メートル走、見ていたわよ。早かったじゃない」
「あれか。迷宮でも命をかけて走っていたからな。大したことじゃないぞ」
にやりと笑った祥吾がそのまま前に出た。まずは奥の通路へ向かう経路とはまったく関係のない石畳の上に乗る。いつでも安全な出発地点に戻れるようにだ。すると、確かに1メートル四方程度の区切りで石畳がせり上がった。その瞬間出発地点に転がるようにして戻る。目の前で1メートルほど浮き上がったかと思うと、すぐに元の位置に戻った。
立ち上がった祥吾が独りごちる。
「これなら浮き上がることを意識していれば走れそうだな」
「問題は、上がる速さと高さが一定ではないということよね。地図情報の備考にはそう書いてあるわ」
「天井まで高速で上がってぶつかるやつもあるんだ。不思議じゃないな」
「行けそう?」
「行くさ。でないと前に進めないんだからな」
そう言いつつ祥吾は何歩か後ろに退いた。そうして、運動会のときのように走る構えをとる。その視線の先には奥の通路があった。かつての迷宮のゴール地点が脳裏をよぎる。
誰に合図をされるでもなく、祥吾は走り始めた。1メートル四方の石畳の大きさに関係なく足を踏み出し、そして蹴って前に出す。石畳は一拍遅れて浮き上がるが、ある程度の速さまでならほぼ無視してもいい。
問題は高さだ。あまりにも高いと次の石畳へと駆けたときに飛び降りる形になってしまう。走る以上はできるだけ浮き上がる高さは低い方が望ましい。ただ、そんな探索者の望みなどダンジョンの仕掛けが聞いてくれるはずもなかった。ある石畳など突然2メートルもせり上がる。
駆ける祥吾はそれでもうまくバランスを取りながら脚を動かした。飛び降りる形で前に出ざるを得ないのならば出てしまえばいい。1枚か2枚の石畳を踏まずに飛び越えられるというのならば、むしろ仕掛けに助けられたとも言える。
どうにか順調に3分の2ほどまで駆け抜けた祥吾だったが、ここに来てついに例の石畳を踏んだ。その瞬間、視界が一気に上昇する。
「ぅおおおぅ!」
今までとは違う急上昇に祥吾は焦った。しかし、迷わずその石畳から飛び降りる。1秒で5メートル程度までせり上がった。片足で踏みつけて次へと向かおうとしていたところだったのでバランスを崩し、前のめりで次の石畳へと向かう。約5メートル上空から。
背後で何かがぶつかる音を聞きながら、祥吾は体を1回転させた。そのまま石畳へと足から着地し、更に前転して尚も前へ向かおうとする慣性の残りを活かして跳ね上がる。そうして再び走り始めた。
その後の石畳の浮き方はいずれも許容範囲だったので祥吾は何とか奥の通路へとたどり着く。かなり息が切れていた。
祥吾はリュックサックからペットボトルを取り出すと、大きく凹んでいるのが目に入る。先程前転したからだろうと考えながら口に付けた。
人心地付いたところでクリュスに向かって叫ぶ。
「クリュス、途中で急に浮いた石畳があったよな!?」
「天井まで上がっていったわ! よく避けられたわね!」
「これは走るのが正解だ! ためらわずに全力で走れ!」
「わかったわ!」
「それと、途中、俺が踏んでいない石畳もあるから気を付けろ! 特に高くせり上がった石畳から飛び降りたときは最低1枚は飛び越えているからな!」
「ありがとう!」
伝えるべきことを伝えた祥吾は黙ってクリュスを見守った。運動神経は決して悪くないので何とかなると信じる。
それにしても、と祥吾は不思議に思った。なぜ地図情報の備考に走破が最適だと書かれていないのか。もしかしたら歩いた方が良い可能性もあるが、あの天井まで一気に上昇する石畳から逃れるためには走るしかないように思えるのだ。仮に10メートルの高さで逃れたとしても、3階建ての建物の上から落ちるようなものである。下手すれば死にかねない。
何にせよ、祥吾は走り抜けたし、クリュスも今から同じようにやる。これでうまくいくはずだった。
リュックサックからタッルスを出したクリュスは走る構えを見せた。その足元にタッルスがいつものように立っている。
クリュスが走り始める。経路は祥吾とほぼ同じだ。石畳の浮き具合も変わりない。途中の天井まで突き上がるあの石畳近辺以外なら走り抜けられそうだ。その横をタッルスが走っている。さすがと言うべきか、人間と違ってまったく危なげがない。
1度祥吾の走る姿を見たからか、それともクリュスの身体能力が高いからか、安定して走っている。たまに急にせり上がる石畳も危なげなく乗り越えていた。
大したものだと祥吾が感心しながら見ていると、そろそろ例の天井まで届く石畳に近い。クリュスはその手前で右隣の石畳を選んだ。それは緩やかにせり上がるだけで終わる。正解だ。
一方、タッルスはまっすぐと駆け抜けた。あの石畳をである。一瞬緊張した祥吾だったが、驚いたことに石畳は反応しなかった。なぜという疑問が湧き上がったものの、それよりもクリュスだ。
最も危ない石畳の脇を通り抜けたクリュスは最後まで危なげなく仕掛けの部屋を突破した。全力で駆けたせいで息を弾ませている。
「お疲れ様、クリュス」
「ありがとう。やってみてわかったけれど、事前情報ありとはいえ、よく初見で走りきれたわね、あなた」
「走り抜けたら何とかなると思っていたからな」
「頭のネジが本当にあるのか怪しまれるわよ、普通の人から」
「ひどい言われようだな。そっちから誘ったくせに」
「ごめんないさい。でも前衛って思った以上に大変なのね」
「危険を引き受けるのが仕事だからな。こんなものだよ」
息を整えようとしているクリュスに対して祥吾は肩をすくめた。仲間であろうと金で雇われていようとやることに変わりはない。
さすがに疲れたので2人はしばらくそこで休憩をした。タッルスを構って心を癒やす。それから再び通路を奥へと進んだ。




