週末の挑戦1─滝山ダンジョン─(2)
地上から階下へと降りた祥吾とクリュスは地下1層の正面玄関に入った。室内には閑散としている。
「ほとんど誰もいないな。まだ早朝だからか?」
「それもあるでしょうけれど、ここの霊体騒ぎのせいみたいね。ネットで噂が広まり始めていたわ。それが原因でしょう」
「命あっての物種だからな。当然だと思うが」
「ただ、霊体の被害者の写真を公開するのはやり過ぎだと思うわね」
「そんなことをした奴もいるのか」
相変わらずの無秩序っぷりに祥吾は呆れた。自分が曝されたらたまらないと不快に思う。改めてクリュスを見ると平気な様子だ。ネットで曝される可能性はクリュスの方がずっと高いはずだが、その辺りのことをどう思っているのか少し気になる。
しかし、そのことを聞く機会はなかった。クリュスが祥吾に指示を出す。
「行きましょうか。まずは地下3層の番人の部屋を目指すとして、祥吾が霊体を視認できるかどうかわかるまで私の隣を歩くこと。いいわね?」
「わかった」
祥吾の返事に満足げなクリュスは歩き始めた。片手にタブレットを持ちながら前を見る。要所要所でたまに手元へ目を向けるくらいだ。
一方の祥吾は黙ってクリュスの隣を歩く。いつもの警戒はもちろん、目下の目的である霊体を自分で見つけられないかも試し続けた。
そういえば、かつてダンジョンでデートなどということを話したことがあることを祥吾は思い出す。どのダンジョンのどんな場面で話したのかは忘れたが、自分が呆れていたのは記憶に残っていた。それが今やどうだ。正に今の状態がそれに近いのではと考える。まったく馬鹿げた想像だが、なぜかしばらく頭から離れなかった。
滝山ダンジョンで現われる魔物は活性死体ばかりだ。肉体があったり骨だけだったり霊体だったりと様々だが、生きていないことだけは共通している。
それはこのダンジョンの特性なのでとやかく言っても仕方ないが、ひとつ大変紛らわしいことがあった。それは、ダンジョン内で死んだ探索者の遺体である。実はたまに魔物が偽装することがあるのだ。これがなかなか出来がよくて騙される探索者がたまにいるらしい。
しかし、実は偽装ではなく、本物の探索者の死体ではないかという噂も根強くある。一定時間が経過すると探索者の死体さえ消えてしまうダンジョン内でどうやってという反論に対して、一旦ダンジョン内で消えてから死体を再利用しているのではという実に嫌な回答がなされていた。何にせよ、今のところ検証されていないので真相は闇の中だ。
つまるところ、滝山ダンジョンでは死体を見たら魔物だと思えというのが生き残るための鉄則になっていた。実に厄介な習慣である。
今のところ魔物そのものにまだ遭遇していない。地下1層はどのダンジョンでも魔物は弱く数が少ないのでこんなものだが、確認したいことがあるときにはすぐに出てきてほしいと都合良く考えてしまう。
最初に出会うのは何かと祥吾が考えていると、分岐路のひとつから人影が現われた。一瞬他の探索者に見えたが違う、全身がぼろぼろであちこちが傷付いていたり腐っていたりする。しかも、やけに背丈の低い者がいると思って目を凝らすと、同じように体が損傷している元は小鬼だったらしい。
それにしても臭いがきつい。魔物として動いてはいるが死んでいるので死臭がひどいのだ。近づいて来るにしたがって鼻腔を強く刺激してくる。
「動屍体が2体か。人間と小鬼が仲良く一緒に歩いているとはな」
「霊体が近づいて来たら教えてあげるから前に出ても大丈夫よ」
「臭いから近づきたくないっていう理由で俺をけしかけるわけじゃないよな?」
「もちろんよ」
一瞬窺うような目をクリュスに向けた祥吾だったが、何も言わずに剣を抜いた。そして、人間と小鬼の動屍体へと近づく。鼻が麻痺してきたのか、より死臭を強く感じているはずなのに鼻への刺激はそこまで強くなったとは感じない。
近くで見ると人間の方の動屍体により嫌悪感を抱く。死ねば自分の死体もこうなることは頭で理解しているが、心情的にはこうなりたくはないと強く感じた。
動屍体の動きは総じて鈍い。体のあちこちが傷みあるいは破損しているため、そもそもまともに動かせないからだ。また、知能や知性はほぼないので動きは単調である。元が死体なので通常の武器で叩けば潰れ、頭部が破壊されると活動を停止するので活性死体の中では比較的相手をしやすい。ただし、見た目や死臭などにより心理的な抵抗は最も大きいが。
動きが鈍く、弱点もはっきりとしていて狙いやすいのであれば祥吾の敵ではない。最初に人間、次に小鬼の頭を剣で破壊する。頭部を失った2体の体はあっさりと床に崩れ落ちた。
剣を鞘に収めた祥吾がクリュスに振り返る。
「霊体は来なかったんだな」
「そうね。もしかしたら地下1層では遭遇しないかもしれないわね」
「地上には出てくるのにこっちには出てこないのか。なんだか変な話だな」
「裏でどんな風に動いているかなんてわからないからそんなものよ。ほら、魔石をとって早く先に進みましょう」
「ここは臭いもんな」
面白そうに祥吾が茶化すと不機嫌そうなクリュスに軽く睨まれた。わずかに肩をすくませると魔石を拾う。
結局、地下1層で魔物に遭遇したのはその1回だけだった。更に言うと他の探索者にはまだ出会っていない。
階下へと続く階段を目の前にした祥吾がクリュスに顔を向ける。
「次の階層くらいで霊体に遭っておきたいよな」
「早めに確認しておきたいことですものね」
「はっきりとわからないまま他の活性死体と戦っている最中に近づいて来られてもきついからな。見えないと最悪だ」
「慌てなくても必ず遭遇できるわよ。何しろ地上に出てくるくらいいるんですから」
「嫌な話だよなぁ」
雑談を切り上げた2人は階段を降りた。そうして地下2層に踏み入れる。風景は相変わらずの石造りの部屋と通路だ。
周囲に問題がないと確認した2人は歩き始める。次の階下へと続く階段を目指すべく最短経路をだ。試せることはそのうち試せると信じて。
この階層も魔物の数は多くないのか簡単には遭遇しなかった。上の階層と比べて罠が悪質化するだけなのでおかしなことではない。ただ、今までダンジョンの核に異常が発生すると魔物の数がやたらと増えていたので、今回のような状況は初めてなのだ。祥吾などは本当に核に異変が起きているのかと首を傾げたくなる。地上に現われるという霊体も目にしていないので、今のところ普通のダンジョンに入っているようにしか思えない。
地下2層も道半ばまで踏破した頃、2人は魔物と遭遇した。今度は白骨体だ。骨格のみで活動する白骨化した骸骨である。叩けばすぐにばらばらになるのだが、骨格を維持する核を破壊されない限り再生する面倒な魔物だ。再生できないほど骨を細かく砕く方法もあるがこれは効率が悪い。周辺に砕かれた骨の代わりになる別の骨があればそれを取り込んで再生するからだ。
そんな白骨体の核は大抵頭蓋骨の中にある。次点で心臓の近辺だ。なのでこれを破壊してやれば良い。
2体の白骨体が近づいて来たので祥吾が前に出る。動きは遅いのでやはり大した敵にはなり得ない。剣で頭を叩いてやって核を破壊すると倒せた。
剣を鞘に収めた祥吾が魔石を拾う。
「白骨体も動屍体も単体だと大したことはないよな。まとまった数で襲われると厄介だが」
「そうね。だから下の方の階層だともっと」
不自然に言葉を途切らせたクリュスに祥吾は顔を向けた。自分でも周囲の気配を探る。すると、右手にごくわずかな気配を感じた。しかし、そちらへと目を向けても壁があるだけである。
「クリュス、右の方にかすかな気配があるんだが、見えるのは壁だけなんだよな」
「霊体の気配を感じ取れるの? 確かに壁の向こう側に1体いるわ」
「本当にいるのか? これが霊体の気配なのか」
「驚いたわ。さすがに気配までは感じ取れないと思っていたのに」
「喜んでいいのかな」
「少なくともここだと便利な能力よ。おめでとう」
祝いの言葉を述べたクリュスはそのまま魔法の呪文を唱えた。そうして祥吾の持つ剣の刃全体がぼんやりと淡く輝き始める。
祥吾がしばらくじっと壁を見つめていると、やがてその奥から半透明な存在が姿を現した。白い影で全体的にぼんやりとしている。体はどうなっているかわからないが、顔の部分だけは恨みがましそうな表情を浮かべているように感じられた。
そんな霊体が近づいて来たので、祥吾は魔力付与された剣で斬る。それは簡単に切り裂かれ、悲鳴を上げる仕草と共に消え去った。
あっさりと片付いたことに祥吾は安心する。これで、この滝山ダンジョンでやっていく自信がようやく持てるようになった。




