高校の運動会
高校には勉強以外でいくつかの大きなイベントがある。その中のひとつが運動会だ。高校によって開催される時期が異なるが、黒岡高等学校は6月の前半である。
その当日、祥吾はいつも通り登校した。違いはスポーツバッグの中身に勉強道具がないくらいだ。駐輪場に自転車を置いて教室へと向かう。
教室には既に何人も生徒がおり、中には既に体操服に着替えている者もいた。運動部に所属している者は部活の更衣室を使って着替えたのである。その他の生徒は教室を使って体操服に着替えた。最初は男子、次に女子、と別れてだ。
体操着に着替え終わった祥吾は教室前の廊下で良樹に話しかけられる。
「運動会はスポーツの好きな人だけがやればいいのにな」
「それじゃ部活動と変わらないだろう」
「ああそうか。面倒だなぁ」
中学校時代と同じ態度の良樹を見て祥吾は苦笑いした。元冒険者で現探索者ではあるが、別に運動会が好きというわけではない。この場合、良樹にどう扱われるのだろうかととりとめもなく考える。
「よう、ビルダー! 今日の活躍を期待しているぜ!」
「いきなりだな、祐介。蒸し返すなよ、それ」
「いいじゃないか。毎回体育の時間に見せつけてくるんだし」
「見せつけていないよ。お前が勝手に見ているだけだろうが」
「実は祐介君、祥吾君のことが前から気になってるとか?」
「ちょっ、良樹!?」
思わぬ横やりを受けた祐介が目を剥いて良樹へと顔を向けた。疑問を呈した当人は口に手を当てて面白そうに笑っている。
もう少しで本格的な追いかけっこが始まろうとしたところで、担任の沢村教諭が生徒に声をかけた。これから男女に分かれて整列をして校舎の外に向かうのだ。
男女ともに10人の列ができると沢村教諭を先頭に出発する。向かうは運動場の端だ。入場行進のためである。現地に着くと他のクラスの生徒たちが並んでいた。これに祥吾たちも加わる。
時間になると運動場への行進が始まった。古い定番の音楽がスピーカーから流れる中、あらかじめ決められた場所にクラス単位で進んでゆく。全クラスが揃うとその場で立ち、開会の挨拶が始まった。
運動会の本部テントに詰めている放送部の部員が司会進行を務める。開会式が終わると、運動場の周辺に前日設置された席にクラス単位で生徒が座っていった。
ここからが運動会の本番だ。全学年が赤白に分かれて各競技を競ってゆく。最初の競技は100メートルだ。各クラスから競技に参加する生徒が指定された場所に向かう。
生徒は運動会の競技に参加することを義務づけられているので、必ずどの競技にも生徒が集まるようになっていた。しかし、誰もが参加を望んでいるのかというと当然そんなことはない。やはり面倒がる生徒は多いのだ。そこでどの競技に参加するかを決めるホームルームでは熾烈な争いが発生した。大抵は不人気種目を押し付け合う醜い争いだ。最終的にはくじ引きかじゃんけんで決めることになるのだが。
運動部員は得意分野が活かされる競技に強制参加となるのが習慣となっているが、それ以外の生徒は公平なふるい分けによって参加競技が決まるので大抵はやる気がない。始まってしまえば周囲の雰囲気に流されて大体ちゃんと競技に参加するのだが、待っている間はテンションが低いことが多かった。
祥吾は100メートル走に参加するため、スタート地点に向かう。祐介と良樹も一緒だ。実際に走るときは異なるクラスの者同士で走るよう調整されるため、現地でばらばらになる。
「良樹、がんばれよ」
「死なない程度にね」
「祥吾は1位な」
「なんで俺だけ順位確定なんだよ」
出走順に振り分けられるときに3人は互いに言葉を掛け合った。そうして出走のときまで待機する。100メートル走は単純な競技なのでテンポが早い。次々に生徒が走ってゆく。
次第に自分の番が近づいて来るのを見て、祥吾はかつて迷宮で似たような競技に参加したことを思い出した。あれは命がかかっていたので必死に走ったものだ。学校の運動会は少なくとも命がかかっていないので気が楽である。
目の前の出走者が合図と共に走り出した。それから一拍遅れてスタートラインに立つよう指示される。前走者が全員ゴールした。そのとき、隣から声が聞こえる。
「こいつが正木?」
左隣へと顔を向けると、角刈りの日焼けした生徒が無表情な目を向けてきていた。その精悍な姿から陸上部か何かの部活に所属していると想像する。
なぜ自分の名前を言ったのか気になった祥吾だったが、スタート前の声がかかったので前を向いた。
最初は適当に走って終わるつもりだったが、祥吾の気は変わった。隣の生徒が何を考えているのかまではわからないが、自分を推し量ろうとしているのは違いない。それならば、ひとつ全力で走ってどの程度かを見せつけることに決めた。
スタート直前の合図がかかったので出走者が走る態勢になる。その後すぐに合図が出ると6人が一斉に走り出した。
専門の競技者ではない祥吾の走りは完璧ではない。しかし、身体能力に関しては決して劣っているわけではなかった。それに、自分の体の動かし方と限界はよく理解している。
6人の中で差はすぐに開いた。祥吾とその左隣の生徒が飛び抜けて速い。左右並んで走っている。
祥吾は周囲を気にすることなくひたすら前だけを見た。あのときの感覚が蘇る。蹴った地面が端から崩れていく恐怖を。それが更に体を前へと押しやる。
しかし、それでもと言うべきか、左隣の走者は速かった。ゴール直前には1歩先行されてしまっている。そして、そのまま決着はついた。
走り終わった後、祥吾はしばらく荒い息を繰り返す。それから深呼吸をして落ち着けようとした。何度も繰り返してようやく収まる。
「祥吾、お前すごいな! あの日出と競り合うなんて!」
「日出? 誰だそれは?」
「お前の左で走ってたヤツだよ。あいつ、陸上部のヤツなんだぜ」
「そうなのか」
「俺たちと同じ1年だけど、足が速いって評判らしいんだ。そいつと競えるってだけですごいって。お前が走ってたとき、周りがどよめいてたんだぜ?」
「あー全然気付かなかったよ」
近寄ってきた敦が祥吾の背中を叩いて賞賛した。それを受けた祥吾は戸惑うばかりだ。何となく陸上選手っぽいと思っていたが、それ以上は何も考えていなかった。
クラスの席に帰った祥吾は周囲から声をかけられる。誰もが敦と同じ様な言葉だ。どうも日出という人物は有名人らしい。
「祥吾、マジ速かったじゃん! さっすがビルダー!」
「すごーい。筋肉ムキムキだもんねー」
「お前ら」
寄ってきた香奈と睦美が囃し立ててくるので祥吾は肩を落とした。賞賛してくれているのはわかっているので強く注意できないのがもどかしい。
その後も運動会の競技は続いていった。熱心に応援する者、適当にだらけている者、真面目に競技に参加している者、そして遊んでいる者など運動場は様々な生徒で溢れている。
また、この日は保護者も参観していた。生徒全員の親が来ていたわけではないが、ある程度の数の大人が応援したりビデオ撮影をしたりと頼んでいるのを見かける。尚、祥吾の親は母親の春子が参観に来ていた。父親の健二は平日なので会社である。
昼休みになると食事をするわけだが、祥吾はこの日、母親が持ってきてくれていた。今日は重箱である。
「祥吾、あんた頑張って走っていたわねぇ!」
「あーうん、見ていたんだ」
「それはもう! スマートフォンで撮影したから後でお父さんにも見せなきゃ」
「やめてくれ」
「どうしてよぉ。お父さんだって見たがるに決まっているんだから。それより、はいこれ」
「うわ、でかいな」
「たくさん体を動かしたんだから、たくさん食べないとね」
この日は保護者と一緒に食事ができるように校舎が開放されていた。なのでクラスで一緒に食べる。他の席でも自分の親と一緒に食べている生徒はちらほらといた。
午後から運動会が再開されると、いよいよ競技は盛り上がってくる。特に目玉は400メートルリレーだ。祥吾もこれに参加して足の速さを改めて示す。ちなみに、クリュスもアンカーを務めたのだが、このときの周りの声がすごかった。男子の声援はもちろん、女子も応援する人が多かったのだ。今回は赤組なのに白組のクリュスを応援していた徳秋は敦に呆れられていたが。
競技が終わると生徒全員が再び運動場で整列した。そうして結果発表を聞く。今年は白組が勝った。赤組所属の者たちは僅差だったことを慰めとする。
保護者たちが帰る中、生徒は運動会の後片付けを始めた。終わった後なので体がだるいが、それでも友人としゃべりながら楽しげに道具をしまってゆく。
こうして、この年の黒岡高等学校の運動会は幕を閉じた。