優等生からのお願い
大型連休後の最初の授業が一通り終わった。日が経つにつれて弛んでいた生徒の気持ちも平常に戻りつつある。そのすぐ後に中間試験があるので誰もが心穏やかではないが、学校に再び慣れてきたのは確かだ。
その中間試験に向けて、早い者は早速動き始めていた。クリュスに勉強を教えてほしいと頼んできた者たちはそういった者の一部である。香奈と睦美は偶然とはいえ、その隙間に自分たちを入れることができたわけだ。
この週末クリュスが他の生徒の面倒を見ている間、祥吾は自分で試験勉強をしていた。1週間ほど前の両親とのやり取りが頭にちらついたからである。
どれだけ身についたのかという不安は若干あるものの、何とかなりそうだという自信を得て勉強に区切りを付けた。現在は日曜日の夕方、この後はもう自由にして良いだろうと判断する。
学習机から離れた祥吾は畳の上に寝転がった。何をしようかなと考えているとスマートフォンが鳴る。画面を見ればクリュスからの電話だ。とりあえず出る。
「はい、どうした?」
『勉強会がやっと終わったのよ。正名さんと林さんの』
「おーお疲れ様。大変だったんじゃないか?」
『そうでもないわよ。頭が悪いわけじゃないから、あの2人は。ただ、わからないというところが多いっていうだけで』
「まぁ、進んでやりたいものじゃないからな、勉強なんて」
『そうね。ところで、今からそっちに行っていいかしら?』
「今から? 構わないが、もうすぐ夜だぞ」
『今日は正名さんの家で勉強会を開いていたんだけれど、今その帰りなのよ』
「こっちに寄ってから帰るつもりなのか。まぁそれならわかるかな」
どこで勉強会を開いていたかまでは聞いていなかった祥吾はクリュスの説明でようやく納得した。
電話を切った祥吾は起き上がって室内を見て回る。特におかしなところはない。散らかってもいない。座布団さえ出せばいつも通りだ。
片付けることはないと知った祥吾は再び安心して寝転がった。後は待つだけである。スマートフォンを手にもって暇潰しに興じた。
しばらくすると階下の玄関が騒がしくなったことに祥吾は気付く。ぼんやりとした気配から母親の春子が対応していることがわかった。
いつもならすぐに春子が祥吾を呼びつけるのだが、この日は話が長引いているようだ。最初はクリュスがやって来たと考えていた祥吾は別の訪問者なのかと考えを改める。
「祥吾ぉ! クリュスちゃんよぉ!」
やはりクリュスだったらしいことで祥吾は首を傾げた。今、自分の母親と長話をする理由がわからない。
階段を上がってくる足音が祥吾の耳に入ってきた。立ち上がったところで扉をノックする音が聞こえる。
「開いているぞ」
「お邪魔します。見られたら困る物はちゃんと隠しておいた?」
「そんなものないよ。お前、何回も俺の部屋に来ているから知っているだろう」
「新しく買ったかもしれないじゃない」
「お前なぁ。ところで、うちの母さんと何を話していたんだ?」
「2日連続で勉強会を開いて疲れたって伝えていたのよ。そうしたら、夕食を食べて行きなさいって誘われちゃって」
「実はそれ目当てでこっちに来たな?」
部屋の隅から座布団を取り出しながら祥吾はクリュスの真意に気付いた。当の本人は微笑みながら座布団に座るのみだ。
ため息をついた祥吾は学習机の椅子を反対に向けて座る。
「それで、晩飯を食べに来ただけなのか?」
「もうひとつ本題があるの。奥多摩3号ダンジョンについて神様から連絡があったのよ」
「ということは、ろくでもないことだな。頼まれている仕事の性質上、ダンジョン関連でいい話は俺たちに回ってくることはまずないし」
「その通りよ。魔物を大量放出した後、ダンジョンの核が変調をきたしたそうなの」
「後にか。出してすっきりして終わりだと思っていたが、違ったのか」
「そう都合良くはいかなかったみたいね」
「魔物の放出がまだ止まっていないってこの前ニュースで見たが、そのせいなのか?」
「途中からは。それで、私たちは奥多摩3号ダンジョンの核を取り替えないといけないの」
「あれがいつ終わるのか神様から何か聞いているか?」
「あと数日で終わるんじゃないかっていう話よ。行くとしたらその後ね」
話をしていた祥吾の顔が険しくなった。高校の中間試験が1週間後から始まるからだ。悪い想像をしながらクリュスに尋ねる。
「奥多摩3号ダンジョンに入るのは、まさか次の週末だったりするのか?」
「そうなるわね」
「その次の日からは中間試験があるんだぞ。試験勉強はどうする?」
「平日の間にできるだけやっておく必要があるわね」
「嘘だろう。俺の頭の出来はお前ほど良くはないんだぞ。前倒ししたからそれで問題なしっていうわけにはいかないんだ」
「核がおかしくなる前なら私ももう少し先延ばしをするつもりだったわ。でも、おかしくなってしまった以上、急がないといけないのよ」
「いやそれはわかっているけどさ」
高校の生活とダンジョンの攻略がかち合う日がいつかやってくると祥吾は予想していた。なので、こういう事態に驚きはない。しかし、そんな日がまさかこんなにも早くやって来るのは予想外だった。
どうするかは決まっている。危険だというのならばダンジョンの攻略を優先するべきだ。奥多摩3号ダンジョンから自宅までの距離は普段の生活の感覚からすると遠いが、日本地図を思い浮かべた場合だと真隣と言っても良いくらい近い。ダンジョンが制御不能に陥った後、早い段階で被害を受けるのは自分とその周囲なのだ。
しかし、だからといって自分の生活を捨てるというのは祥吾には納得いかない。今後も似たようなことを繰り返すと人生に悪い影響を受けるのは明白である。
「クリュス、これからもこういったことは間違いなくあるはずだから言っておくぞ。俺の場合、試験の結果次第では父さんと母さんに探索者活動を止められる可能性がある。それは頭の片隅に入れておいてくれ」
「わかったわ。私も今後はどうするべきか考えておく」
「よし、ならこの話は終わりだ。これからはダンジョンの攻略について話し合おう。今の奥多摩3号ダンジョンについて教えてくれ」
自分の意見を言った祥吾はクリュスから真摯な返事をもらって気持ちを切り替えた。必要なことは言うべきだが、いつまでも引きずるのは良くない。
祥吾の承諾を得たクリュスが自分の知っていることを説明する。
「奥多摩3号ダンジョンは今、探索庁監視隊と自衛隊が地上に出てきた魔物を24時間駆除し続けているわ。ダンジョンの出現地域が山奥だから警戒区域が他よりも狭いのが難点だけれど、現時点で魔物は壁の外にまで溢れていないみたい」
「不幸中の幸いというところだな。外に出てきた魔物は探索庁監視隊と自衛隊で駆除出来そうなのか?」
「恐らくできるはずよ。放出の勢いは次第に衰えてきているから。それで、魔物の駆除が完了した後、探索庁監視隊の主導で奥多摩3号ダンジョンの内部を確認することになっているそうなの」
「ダンジョンは探索庁の管轄だからな。そうなるだろう」
「ただ、そのためには頭数が必要だから、探索庁監視隊が先日から依頼主で探索者の募集をかける始めているの。今回はこれに応募して核がある部屋まで行くつもりよ」
魔物の大量放出など異常事態が発生すると探索庁監視隊が中心となって対処に当たるが、その異常事態が本当に収まったのかを確認することが通例になっていた。その確認期間は様々で、規模の大小、期間の長さ、特殊かどうかなどを勘案して決められる。
今回の場合、特に通常よりも長期間大量放出が続いているので、この確認期間が長めに設定されることになっていた。そのため、いつも通りダンジョンに入れるのは来月になる。
本来なら探索者協会の入場規制が解除されてから攻略すべきだ。しかし、今回は急ぐ必要があるのでクリュスは探索庁監視隊の募集依頼に応募するという提案をしたのである。
提案の意図を祥吾は理解した。なので反対はしない。しかし、疑問がひとつ湧く。
「その募集に俺たちは応募できるのか? 18歳以下はお断りなんてよくあるだろう」
「今回の募集でそういう記載はなかったわね。だから、私たちも応募できるわよ」
「それっていいのかな」
普段は年齢制限などで色々と規制をかけているというのに、今回はなぜそれがないのか祥吾は不思議に思った。
首を傾げる祥吾にクリュスは笑顔を向ける。
「その辺りは深く考えなくてもいいんじゃいかしら。今の私たちにとって重要なのは奥多摩3号ダンジョンの中に早く入ることなんだから」
「そんなものかな」
何となく不思議に思いつつも、祥吾はクリュスの提案を受け入れて専用アプリから募集依頼に対して応募した。




