ダンジョンの無害化─青村多摩川ダンジョン─
ダンジョンの守護者を倒した祥吾とクリュスは凍り付いた半漁人のリーダーの脇にドロップアイテムが現われたのを目にした。魔物が使っていた銛である。
泥濘む湿地帯から霜の降りる地へと移った祥吾がその武器を手にした。微妙な表情を浮かべながらそれを眺めた後、クリュスに振り返る。
「武器は武器なんだけれどなぁ」
「出費を抑えたいなら使ってみたらどう?」
「銛だぞ? 短槍として使えないことはないが、そもそも投擲して使う武器だし」
「予備の武器として持っていたらいいんじゃない? 普段使う武器は新たに買って」
「代わりの武器がなくて今回困ったもんな」
剣を失った前後の状況を思い出した祥吾が渋い表情を浮かべた。ナイフは一応持っているものの、あれは真っ当な戦闘で使えない。その点、銛ならばまだましである。
しばらく黙っていた祥吾は途中で考えるのを止めた。今ここで結論を出す必要はないからだ。それよりも本来の目的に話題を移す。
「戦利品の話はこのくらいでいいだろう。それより、ダンジョンの核がある部屋はどこなんだ? まさか川の中じゃないよな?」
「それは私も嫌ね。でも安心して。あそこの土手に扉が現われたわ」
クリュスが指差す方へと祥吾が目を向けると土手に埋もれるようにして扉が備え付けられていた。やって来た当初にもあの辺りをみた記憶があるが最初はなかったはずだ。恐らく守護者を倒した後に現われたのだろう。
世間一般では開かずの扉と呼ばれている扉だが、神々から開け方を教わっているクリュスならばその限りではない。
2人は苦労して湿地帯を横切り、扉の前までやって来た。それからすぐにクリュスが呪文を唱え、取っ手に手をかけて扉を開けてみせる。
足回りにこびりついた泥をそぎ落とし、水属性の魔法でいくらか洗い流してから2人は中へと入った。石垣で造られた通路の奥には部屋があり、その中央にはダンジョンの核である水晶が鎮座している台座がある。
「やっとたどり着いたな」
「そうね。ここでタッルスの出番よ」
しゃべりながらリュックサックを下ろしたクリュスがその口を開けた。一拍置いて黒猫が顔を出す。クリュスがその美しい体を抱え上げると黒猫が輝き始めた。寝るときのように丸まったかと思うとそのまま球体へと変化し、やがて台座の上にある水晶と寸分違わぬ姿になる。
「祥吾、台座の水晶を外してちょうだい」
「わかった。これはもうリュックサックの中に入れもいいんだよな」
「構わないわよ」
元から台座に置かれていた水晶を祥吾は持ち上げた。そうしてリュックサックに入れようとする。そのときに水晶を間近で目にしたのだが、その中心の辺りに何か濁りのようなものがあることに気付いた。
台座の上に鎮座するタッルスが変身した水晶で作業中のクリュスへと祥吾は顔を向ける。
「クリュス、この水晶、真ん中辺りが何か濁っているように見えるぞ。黒岡ダンジョンのやつにはなかったのに」
「どうなっているの? ああこれは、傷み始めていたみたいね」
「傷む? 水晶が傷むのか?」
「水晶はダンジョンを構成する重要な部分だけれど、一部品でしかないのも確かなのよ。だから、おかしくなったり壊れたりする可能性は常にあるの。ダンジョンの他の部分がそうなったら修理したり交換したりするのと同じように、普通なら水晶も修理か交換するようになっているはずなんだけれどね」
「何らかの異常が発生してどうにもならなかったわけか」
「そうよ。このダンジョンの製作者である侵略者はもう神様が滅ぼしちゃったから、本来の管理者がいない状態で動いているのよ、ダンジョンって」
「その話を聞くと、無茶苦茶危ない気がするな」
「だから神様がダンジョンを何とかしようとしているのよ」
かつて黒岡ダンジョンの核がある部屋でダンジョンの危険性について聞いた祥吾だったが、それとはまた別の理由でダンジョンが危険だと知って震えた。確かにこれはダンジョンを止めるか滅ぼすかしないといけないと強く感じる。
その間にもクリュスの作業は続いた。台座の上に鎮座するタッルスが変身した水晶からは同じ大きさの水晶が生み出される。
「祥吾、タッルスを持ち上げて」
指示を受けた祥吾は台座に置いてある水晶を持ち上げた。それと入れ替わりでクリュスが手にしていた神々謹製の水晶を置く。これで作業は完了だ。
タッルスが元の黒猫の姿に戻る中、クリュスが水晶に手を当てて目を閉じるのを祥吾は目にする。何かを確認しているのかそれとも神様と対話しているのか、何にせよ今は待つしかない。
抱えた黒猫に構っていると祥吾はクリュスから声をかけられる。
「終わったわよ。帰りましょう」
「神様とは何か話をしたのか?」
「作業が終わったっていう報告をしたわ。よくやったって褒めてくださったわよ」
神々に褒められる喜びというものを祥吾はよく理解できなかったが、クリュスが喜んでいるのならと黙ってうなずいた。
やるべきことを済ませた2人は片付けを始める。リュックサックに荷物と黒猫を入れてそれを背負った。そうしてダンジョンの核がある部屋から出る。
湿地帯に戻ると、そこにはもう半漁人の死体はなかった。霜の跡さえも見当たらない。
折れた剣さえも消えていることに若干の寂しさを感じた祥吾だったが、そんなことを思っている間に体が光り輝き始めた。すぐさま周囲が真っ白になり、短時間でその白さが薄れていく。
周りに目を向けると、階上に続く階段の目の前に立っていた。周囲に人は誰もいない。
いつまでもじっとしているわけにはいかなかったので2人は階段を上がった。ダンジョンの外に出るとすでに空は真っ暗だ。
スマートフォンを取り出した祥吾は表示した画面を見て驚く。
「うわ、もう9時かぁ。どうりで暗いわけだ」
「買取店はまだ空いていたかしら? 閉まっているとドロップアイテムを持って帰らないといけないわね」
「それは面倒だな。ここの売買施設は何時まで開いているのかなっと。午後9時か」
「間に合いそうにないわ」
「明日の朝、ここに来て売ろう。そのときに俺は剣を買いたい」
「あの銛は予備にするんだったかしら」
「そうだ。普段使う武器はやっぱり使い慣れたやつの方がいい。同じ剣を買うぞ」
「もっと高くて良いものにしないの?」
「明後日に次のダンジョンを攻略しないといけないだろう。だからなじみ深い同じ剣の方がいいんだ」
「なるほど、そういうところはちゃんと考えているのね」
武器の選定理由を聞いたクリュスは納得したようにうなずいた。魔法を使える身としては武器のこだわりが良くわからないので興味深げに聞いている。
正門を抜けて壁の外へと出るとほぼ人影のない探索者協会の敷地に出た。外灯で照らされた周囲は何とも寂しい風景である。
青村多摩川支部の本部施設に入った2人は着替えとシャワーを済ませると再び合流した。後は荷物を持って帰宅するだけだ。
自転車にスポーツバッグなどを入れた2人は夜道に向かってペダルを漕ぎ始めた。
翌朝、祥吾とクリュスは再び青村多摩川ダンジョンの探索者協会の敷地へとやって来た。駐輪場に自転車を置くと売買施設へと向かう。
ここもまた閑散としていた。入店している店舗も少なく、こぢんまりとしている。それでも最低限必要な店が揃っている点は探索者協会の努力を賜物だ。
全国にチェーン展開している買取店ダンジョンドロップアイテムズはここにもあった。2人は袋を手にして店内に入る。
マニュアル対応の店員の案内に従って2人は隣のカウンターへ移った。そこで袋から売りたいドロップアイテムをカウンターへと並べてゆく。
店員はすぐに査定の作業に入った。手慣れたもので淀みなく数を数えて金額をパソコンに入力していく。
「計算が終わりました、金額はこちらになりますがよろしいでしょうか?」
「はい。その金額を2等分して、俺は現金で、彼女は口座に振り込んでください」
「承知しました。口座振り込みの場合は、口座が設定された探索者カードかキャッシュカードをそちらのカードリーダーに差し込んでください」
祥吾が買取証明書にサインをしている横で、クリュスが探索者カードをカードリーダーに差し込んだ。後は祥吾が店員から現金を受け取ってお終いである。
次いで武器を取り扱っている店舗へと2人は入った。こちらは買う物が決まっているので時間はかからない。破損した剣と同じ物を手に取った祥吾がそれを店員に渡し、手に入れたばかりの収入で支払う。
「うーん、まだ自転車操業だなぁ」
「そのうち安定するわよ」
難しい顔をした祥吾はクリュスに苦笑いされた。できるだけ早く返したいと思っている借金の返済の道のりはまだ遠い。
クリュスに慰められながら祥吾は家路についた。




